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水を冷やしていくと、ふつうは0℃で凍る。少し手を加えれば0℃を下回っても液体のままにできるが、それにも限界があって、マイナス45℃あたりでどんな水も自分から凍りはじめる。そこから先は、凍らない水を誰も見たことがない領域だった。
スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHチューリッヒ)の Raffaele Mezzenga 氏の研究室を中心とする国際チームが、この領域に踏み込んで、水が氷ではなく「ガラス」に変わる瞬間を追いかけた。水を脂質のような分子の層のあいだに、厚さ1ナノメートルに満たない薄さで閉じ込め、結晶になれない状態のまま冷やしていったのだ。結果は2026年5月に Nature Communications に載り、実験の舞台となったオーストラリア原子力科学技術機構(ANSTO)が9月に入って改めて紹介したことで、海外の科学メディアが一斉に取り上げた。
水は凍らないまま温度を下げ、マイナス64℃からマイナス74℃のあいだでガラスになった。その過程を、6桁にわたる時間スケールで測り分けた記録が、今回の論文である。
水の「無人地帯」
氷は、水の分子がきちんと並んだ結晶だ。一方ガラスというのは、分子がばらばらのまま動けなくなった固体を指す。窓ガラスの正体である二酸化ケイ素も、溶かして急いで冷やすと結晶にならず、乱れた配置のまま固まる。あれと同じことが水にも起きる。分子が並ばずに固まった水は「ガラス状の水」「アモルファス氷」と呼ばれ、地球上では極地の成層圏の雲の中にある。寒い環境で生きる微生物が、細胞の中に氷の結晶ができて壊れるのを防ぐのにも一役買っているらしい。
ただし、液体の水がガラスに変わる瞬間は、誰も直接見たことがなかった。理由は単純で、水はその前に凍ってしまう。純粋な水でもマイナス45℃前後で自発的に結晶化が始まり、それより下の温度で液体の水は存在できない。かといって、ガラスになる温度は熱測定からマイナス137℃前後と見積もられている。マイナス45℃からマイナス137℃までの90℃ぶんが、研究者のあいだで「ノーマンズランド(無人地帯)」と呼ばれる空白になっていた。
これまで、この空白を飛び越える方法は二つあった。一つは、1秒に10万℃から100万℃という猛烈な速さで冷やして、分子が並ぶ暇を与えないやり方。クライオ電子顕微鏡で試料を凍らせるときに使う技術で、たしかにガラス状の水はできるのだが、速すぎて途中経過を観察するどころではない。
もう一つは、水を数ナノメートルの狭い場所に閉じ込めるやり方だ。結晶が育つには分子が集まって整列する空間が要る。それがなければ、水はゆっくり冷やしても凍れない。こちらは冷やす速さを自由に選べる代わりに、別の問題があった。シリカの細孔のような硬い壁に押し込むと、壁が水素結合のつながり方まで縛ってしまい、測っているのが「水の性質」なのか「壁に縛られた水の性質」なのか分からなくなる。
脂質の層ではさむという発想
研究チームが選んだのは、硬い壁ではなく、やわらかい壁だった。
使ったのはファイタントリオールという分子である。化粧品にも使われる脂肪族アルコールで、水と混ぜると細胞膜に似た二重の層を自分で組み上げる。ここに重量で7.5%だけ水を加えると、層と層のあいだに水がはさまれた状態になる。その厚みはおよそ0.8から0.9ナノメートル、水の分子にして3個ぶんしかない。この分子は低温でも凍らず、水を薄くはさんだままマイナス120℃まで液体の性質を保つ。生きた細胞の中で、水が膜や分子のすき間に薄く閉じ込められている環境を真似た形だ。
実際、この状態で1分に1℃という遅さで冷やしていっても、氷の結晶を示すX線の信号は出なかった。水を重量で15%まで増やすと、マイナス40℃からマイナス50℃のあいだであっさり凍る。水は薄くはさまれたときだけ、凍らずに温度を下げていける。

上の図のように、脂質の層が何枚も重なり、その一枚一枚のあいだに、ごく薄い水の層が入り込んでいる。研究チームが見ていたのは、この薄い水の層だけである。
複数の時計で追いかけた減速
ガラスへの変化は、分子の動きがどんどん遅くなって、ついに止まる過程だ。だから「いつ止まったか」は、どのくらいの時間をかけて見張っているかで答えが変わる。1ピコ秒(1兆分の1秒)のあいだに動かなければ止まったと判定する時計と、1マイクロ秒(100万分の1秒)待っても動かなければ止まったと判定する時計では、後者のほうが厳しい。研究チームは、この時計を何種類も用意した。
骨組みになったのは、ANSTOのオーストラリア放射光施設でのX線小角・広角散乱と、オーストラリア中性子散乱センターの中性子分光器 Emu と Pelican である。X線は分子の並び方、つまり構造を見る。中性子は水素の原子によく反応するので、水の分子がどのくらい動いているかを直接測れる。ただし、ファイタントリオールにも水素は含まれている。そこで水素を重水素に置き換えたファイタントリオールを別に合成し、中性子が水だけを見るように仕向けた。これに、フランスの放射光施設SOLEILでのテラヘルツ分光、固体NMR、そして分子動力学シミュレーションを加え、ピコ秒からマイクロ秒まで、6桁にわたる時間スケールで水の動きを追った。
結果は、時計ごとに少しずつ違う温度を指した。もっとも短い時間で見るテラヘルツ分光ではマイナス31℃からマイナス50℃、中性子ではマイナス35℃からマイナス21℃、マイクロ秒までシミュレーションで追うとマイナス53℃からマイナス63℃で水は止まった。全体としては、マイナス20℃からマイナス63℃という広い幅の中で、水の分子の動きが鈍り、止まっていく。
時計に頼らない見方もあった。X線で測った水の層の厚みは、冷やすにつれて少しずつ縮んでいくが、マイナス70℃の前後で縮み方の傾きがはっきり変わる。体積の変わり方が変わる点はガラス転移の古典的な目印で、ここから研究チームは、静的なガラス転移をマイナス64℃からマイナス74℃と割り出した。
液体の壁にはさまれたガラスの水
ここで、壁のほうを見る。
ファイタントリオールの分子は、中性子で見るかぎりマイナス105℃まで動き続けていた。顕微鏡で観察すると、試料全体がもろくなってひび割れはじめるのはマイナス115℃からで、この分子がガラスとして固まるのはそこから先である。つまり、水がガラスになったマイナス70℃前後で、水をはさんでいる壁はまだ液体だった。
これは、ものが薄くなったときの常識とは逆を向いている。プラスチックなどの薄い膜では、厚みが数ナノメートルになるとガラスになる温度が下がることが古くから知られている。薄いほうが固まりにくい。ところが、ここでは分子3個ぶんの水が、周りの分子より先に、しかも動き回っている壁のあいだで固まった。水の分子どうしの手のつなぎ方が、壁の動きとは切り離されて、独立に止まっていたことになる。
温度も予想より高かった。やわらかい壁に閉じ込めた水のガラス転移は、これまでマイナス73℃からマイナス101℃の範囲で報告されてきた。同じ研究室が同じ材料で以前に熱測定と誘電測定から出した値も、その範囲に入る。今回はどの時計で測っても、その範囲より高い温度で水が止まっていた。理論上の目安であるマイナス137℃と比べれば、60℃以上も高い。
時計しだいで変わる境界の意味
「水のガラス転移は何℃か」という問いに、この研究は一つの数字で答えていない。答える代わりに、測り方ごとに答えが変わること自体を、6桁の時間スケールにわたって見せた。ガラス転移というのは、もともと分子の動きが観察の時間より遅くなる点を指す言葉で、見張る時間を変えれば動く。研究チームはそのことを踏まえて、単一のガラス転移温度を宣言するのを避けている。
それでも、はっきり言えることがある。分子3個ぶんという極端に薄い水が、液体の壁のあいだで、これまで報告されていたより高い温度でガラスになる。細胞の中の水は、膜やタンパク質のすき間で、まさにこのくらいの薄さに閉じ込められている。細胞や組織を凍らせて保存する技術、食品の急速冷凍のように、狭い場所の水を凍らせる場面では、この温度域で水がどう振る舞うかが結果を左右する。論文の著者らも、凍結保存と食品の冷凍を、応用が見込める例として挙げている。
分かっていないことも残る。閉じ込めた水で見えている減速が、大きな塊の水のガラス転移と同じ性質のものなのかは、専門家のあいだでまだ意見が割れている。今回の結果は、やわらかく閉じ込めた水についてのものであって、無人地帯にいる「ふつうの水」の話をそのまま置き換えるものではない。水は地球上でもっとも調べられた液体でありながら、いちばん分かっていない液体でもある。論文は、半世紀前に書かれたその言葉を、いまも古びていないものとして引いて締めくくっている。
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出典
Züblin, P., Zunzunegui-Bru, E. et al. “Resolving liquid-to-glass transitions of water under soft nanoconfinement.” Nature Communications 17, 6224 (2026). https://doi.org/10.1038/s41467-026-72955-y(オープンアクセス)
ANSTO “New insights into the fundamental behaviour of water”(2026年9月3日) https://www.ansto.gov.au/news/new-insights-into-fundamental-behaviour-of-water
ScienceAlert “Scientists Witness Water Transforming Into a Weird ‘Glass’ Instead of Ice”(2026年9月11日、Ivan Farkas) https://www.sciencealert.com/scientists-witness-water-transforming-into-a-weird-glass-instead-of-ice


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