火星最大の峡谷の地下で、断層はいまも動いていた。インサイトが記録した1回の火星地震を、深さ20〜40キロメートルの横ずれに絞り込む

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火星には太陽系で最大の峡谷があります。マリネリス峡谷と呼ばれるその裂け目は長さ約3,900キロメートル、幅は広いところで600キロメートル、深さは9キロメートルを超えます。地球のグランドキャニオンをいくつも並べてもまだ足りない大きさです。この峡谷は数十億年前にできたもので、火星の地質活動はとうに終わったと長く考えられてきました。英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンの Jung-Hun Song らの研究グループが、NASA の探査機インサイトが記録した1回の火星地震を解析し、この峡谷の地下で断層がいまも動いていることを示しました。論文は2026年10月15日に Nature Communications に載っています。

プレートが動かない惑星の揺れ

地球の地震の多くは、地表を覆う十数枚のプレートがぶつかったりすれ違ったりすることで起きます。火星にはこの仕組みがありません。地殻は一枚の固いふたのように惑星全体を覆っていて、こうした天体は「よどんだふた」の惑星と呼ばれます。だから火星は地質的に死んでいる、というのが長いあいだの見方でした。

その見方を揺らしたのが、2018年に火星に着陸したインサイトです。インサイトは地震計を火星の地面に置き、2022年末に運用を終えるまでに1,000回を超える火星地震を記録しました。その多くは隕石の落下や、着陸地点に近いケルベルス地溝帯と呼ばれる若い割れ目の活動によるものでした。

今回の研究が調べたのは、2021年8月25日に記録された S0976a という地震です。この地震は、インサイトが火星の西半球で捉えた唯一の地震で、震源は着陸地点から見て惑星の反対側にありました。それまでの研究で、震源がマリネリス峡谷の西部にあることまでは分かっていましたが、何が起こしたのかは決まっていませんでした。隕石の衝突か、峡谷の崖の崩落か、それとも地下の断層か。候補はいくつもありました。

火星最大の峡谷の地下で、断層はいまも動いていた。インサイトが記録した1回の火星地震を、深さ20〜40キロメートルの横ずれに絞り込む

4種類の証拠が同じ答えを指した

研究グループは、候補ごとに地震波がどう伝わるかの模型を作り、観測された波形と比べました。隕石の衝突や地滑りのような地表近くの出来事では、記録された波を再現できませんでした。次に、地震のあとに NASA の周回機マーズ・リコネサンス・オービターが撮った画像を調べましたが、新しいクレーターも大規模な地滑りの跡も見つかりませんでした。

最もよく合ったのは、峡谷の下20〜40キロメートルの深さで、地殻の塊が急な断層に沿って横にすれ違う「横ずれ」の動きでした。地球でいえばサンアンドレアス断層のような動き方です。Song は、地震波が地下深くでの横滑りを示し、軌道から見た地質が長く生き続けてきた断層系の存在を示し、しかも既存の断層が滑ったと考えたときに期待される向きと一致した、と説明しています。別々の種類の証拠が同じ方向を指したことが、この結果を支えています。

断層を動かした力の向きも読み取れました。震源の動き方から推定した応力の向きは、惑星全体が冷えて縮むことによる力、近くのタルシス高地の巨大な火山の重みがかける力、そして峡谷が削られて岩の重みが減ったことによる局所的な力の組み合わせで説明できます。いまの火星にかかっている力で、昔の断層が再び滑った、という筋書きです。

数十億年前の傷が、まだ滑る

マリネリス峡谷がどうやってできたかについて最も広く受け入れられているのは、地殻を引き裂く力で生じた裂け目が、タルシス高地を作った激しい火山活動と関係しながら広がり、その後の浸食や崖の崩落で大きくなったという説です。これは41億〜30億年前の出来事とされます。今回の結果は、そのときにできた断層が、数十億年を経たいまも滑れるだけの状態を保っていたことを示しています。

研究グループは、冷えつつある一枚ふたの惑星では、地下深くに根を張った古い断層の滑りが、長い時間をかけてたまったひずみを解放する主な仕組みであり続けているのではないか、と考えています。Song は、地質的に不活発と見なしてきたほかの天体でも、進行中の地震活動が見つかる可能性が開けたと話しています。

火星最大の峡谷の地下で、断層はいまも動いていた。インサイトが記録した1回の火星地震を、深さ20〜40キロメートルの横ずれに絞り込む

もっとも、根拠になった地震は1回だけで、観測したのも地震計1台です。インサイトはすでに運用を終えていて、火星に次の地震計が置かれる予定はまだありません。火星の内部がどのくらい活発なのかを本当に知るには、複数の地点で長く揺れを聞き続ける必要があります。それでも、死んだ惑星の代表のように言われてきた火星の、しかも最も有名な地形の真下で、いまも断層が動いているという事実は、火星の見方を少し変えます。

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