北イタリアの個人蔵から見つかったマネの素描、本物と確かめたあとに残った謎

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北イタリアの個人コレクションから、エドゥアール・マネの手になる素描が1枚、新たに見つかりました。赤チョークで描かれた、しゃがみ込む子どもの習作です。縦およそ20cm、横およそ18cmの小さな紙で、英国の美術誌「The Burlington Magazine」2026年10月号に、鑑定にあたった2人の研究者が報告を載せています。

マネといえば『草上の昼食』や『オランピア』で知られる19世紀フランスの画家です。その未発表の素描が出てくること自体が珍しいのですが、この1枚には、見つかった経緯と、鑑定のあとに残った「解けない謎」の両方に読みどころがあります。

持ち主の言葉から始まった鑑定

見つけたのは、イタリアの美術史家 Francesco Baccanelli です。もともと17〜18世紀のイタリア絵画を専門にしていて、マネの研究者ではありません。北イタリアのあるコレクションを調査していたところ、持ち主から「これは記録に残っていないマネの作品だ」と、1枚の素描を見せられました。

個人蔵の作品に「実は有名画家のもの」という言い伝えがついていることは珍しくなく、そのほとんどは裏付けが取れません。Baccanelli は自分で結論を出さず、写真を撮って、マネの素描に詳しい学芸員 Emily Beeny に送りました。Beeny はサンフランシスコのリージョン・オブ・オナー美術館に所属する研究者で、「マネではないか」という持ち込みを日常的に受けている立場です。

Beeny は英紙ガーディアンの取材に、写真を見た瞬間に「本人の手だ」という感触があった、と話しています。ただし感触だけで公表はできません。ここから、素描が本物かどうかを物証で確かめる作業に入ります。

上の画像は、紫外線ランプの下で古い素描を調べる場面を描いた想像図です。実際の素描の写真は、記事末尾のBurlington Magazineのページで見られます。

筆致に残る画家のくせ

最初の手がかりは描き方そのものでした。マネは1850年代の終わりから1860年代にかけて、赤チョーク(サンギーヌ)でモデルを写生する習作をたくさん残しています。20代でイタリアを旅したときに、フィレンツェでルネサンスの素描、とくにアンドレア・デル・サルトの作品を模写した経験がもとになっていて、同じ時期の作例はオルセー美術館などに収蔵されています。

今回の素描には、そうした既知の習作と共通する特徴がいくつもありました。Beeny が挙げたのは、明るい部分から影への切り替えが段階を踏まずに唐突であること、そして指先がぷっくりと丸みを帯びながら先細りに描かれていることです。どちらも、本人が意識せずに繰り返してしまう「手ぐせ」にあたります。影をつけず紙の白を残したままにする処理や、ペンとインクで髪の生え際を描き直している点も、『草上の昼食』や『老音楽師』のための習作に見られるやり方と重なります。

ポーズにも由来がありました。しゃがんで体をかがめた姿勢は、ウフィツィ美術館にある古代ローマの大理石像『うずくまるヴィーナス』とよく似ています。マネはこの像をフィレンツェで実際に見てスケッチしています。古い彫刻の姿勢を、目の前のモデルにとらせて描く。これもマネがこの時期によくやっていたことです。

描かれているのは少女に見えますが、顔立ちは、1850年代末にマネのアトリエで筆を洗ったり掃除をしたりしていた少年アレクサンドルに似ているとも指摘されています。アレクサンドルはときどきモデルも務めていたので、顔はこの少年を借りて描いた可能性があります。

紫外線で浮かび上がった印

筆致の一致は専門家の目に頼る判断なので、それだけでは「似ている」の域を出ません。決め手になったのは物的な証拠でした。

素描を紫外線ランプの下で見ると、右下の隅に、肉眼ではほとんど見えない「E.M.」のスタンプが浮かび上がりました。これはマネの頭文字で、本人とそのアトリエが素描に押していた印です。形、大きさ、インクの色のどれもが、ほかの多くのマネの素描に残る印と一致しました。

来歴もたどれる範囲でたどられています。マネの死後、妻のシュザンヌが19世紀末に手放したものと見られ、1930年代にドイツとスイスで2度売買されたあと、1996年にイタリア・ブレシアのコレクションから現在の持ち主の手に渡りました。印、筆致、来歴の3つがそろったことで、2人は「マネの素描」として公表に踏み切っています。

方眼が引かれているのに、行き先がない

ここまでなら「新発見の習作が1枚増えた」という話で終わります。ところがこの素描には、鑑定が済んだあとに逆に大きくなった謎があります。

紙の上には、鉛筆で方眼が引かれています。これは「スクエアリング」と呼ばれる手法で、小さな下絵を大きなキャンバスに写すときに使うものです。下絵と画布の両方に同じ数のマス目を引いて、マスごとに形を移していけば、比率を崩さずに拡大できます。方眼を引くということは、画家がこの図柄を気に入り、本画に使うつもりだったことを意味します。

それなのに、現存するマネの絵のどこを探しても、このしゃがんだ子どもは見当たらないのです。

報道では『老音楽師』(1862年)に描かれた裸足の少女や、『草上の昼食』(1863年)の奥で身をかがめる女性との関連が取り沙汰されています。たしかに姿勢は似ていますし、時期も重なります。ただ、Burlington Magazine に載った報告の要旨は、この素描が既知のどの作品にも結びついていない、と明記しています。『老音楽師』の習作だという見方は、あくまで報道側の推測にとどまります。

もう一つの可能性として挙がっているのが、『モーセの発見』です。マネが1850年代末に取り組んだ大作ですが、完成しないまま切り詰められ、1861年の『驚くニンフ』に作り替えられました。もしこの子どもが『モーセの発見』のために描かれたのなら、本画に移されたあとで、切り落とされた部分と一緒に消えたことになります。筋は通りますが、切り落とされた画布が残っていないので、確かめようがありません。

残った謎と、素描の役目

Beeny と Baccanelli は報告の中で、この素描が何のために描かれたのかは、初期の来歴と同じく謎のままだと書いています。鑑定の結論ははっきり出せても、画家がそのあと何をしたかまでは紙から読み取れません。方眼だけが残って、行き先の絵がない。その宙ぶらりんの状態を、2人はそのまま認めています。

マネは絵画の人という印象が強いのですが、素描の段階で古い彫刻やルネサンスの作例を自分のものにして、そこから近代絵画へ踏み出していきました。その途中経過が、こうした小さな赤チョークの紙に残っています。今回の1枚も、マネの全作品を網羅する「カタログ・レゾネ」の次の版に収録されることが期待されています。

見つかったのは縦横20cmにも満たない紙切れです。それでも、印と筆致と来歴で本人の手だと確かめられ、同時に「何のために描いたのか」という答えの出ない問いを連れてきました。個人蔵の作品が表に出るとき、こういう形で終わる話は意外と多いのかもしれません。

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出典

Emily A. Beeny and Francesco Baccanelli, “A new drawing by Édouard Manet,” The Burlington Magazine, October 2026(要旨は無料、本文は購読者向け)
https://www.burlington.org.uk/annex/a-new-drawing-by-douard-manet

Smithsonian Magazine, “An Enigmatic Chalk Drawing, Rediscovered in a Private Italian Collection, Has Been Identified as the Long-Lost Work of Édouard Manet”(2026年9月30日)
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/an-enigmatic-chalk-drawing-rediscovered-in-a-private-italian-collection-has-been-identified-as-the-long-lost-work-of-edouard-manet-180989593/

Artnet News, “Mysterious Drawing Identified as Early Manet Work”(2026年9月28日)
https://news.artnet.com/art-world/rediscovered-crouching-child-drawing-manet-2816951

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