中世イングランドの鉛鉱山で、鉛を浴びていたのは立派な副葬品の男たちではなく、何も持たずに葬られた人びとだった。歯のエナメル質が語る産業の格差

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イングランド中部のピーク・ディストリクトは、中世ヨーロッパで最大級の鉛の産地でした。鉛は屋根や水道管、窓の枠、そして銀を取り出すための鉱石として、中世の社会を支えた金属です。ところが、ローマ帝国が去ったあとにこの地域で鉛の生産がいつ再開し、どんな人びとがそれを担っていたのかは、文字の記録がほとんど残っていません。ノッティンガム大学の Christopher Loveluck らは、その答えを墓地の人骨の歯に求めました。論文は2026年10月13日に Antiquity に載っています。

歯のエナメル質は子どものころの記録

歯の表面を覆うエナメル質は、幼いころに作られたあと、ほとんど入れ替わりません。そのころ体に入った鉛はエナメル質に取り込まれ、何百年たっても残ります。つまり、大人の骨から取った歯であっても、そこに記録されているのは「その人が子どものころ、どれだけ鉛を浴びていたか」です。

研究チームは、ピーク・ディストリクトの3つの墓地から出た、650年ごろから1500年ごろまでの人骨の歯を調べました。それぞれの歯のエナメル質の鉛の濃度を測り、放射性炭素年代で時代を押さえ、同位体の分析でその人がどこで育ったかも確かめています。結果、大半は地元で育った人たちでした。鉛の濃度は、ほかの土地から来た人の値ではなく、この地域の子どもたちの暮らしそのものを映していることになります。

中世イングランドの鉛鉱山で、鉛を浴びていたのは立派な副葬品の男たちではなく、何も持たずに葬られた人びとだった。歯のエナメル質が語る産業の格差

7世紀半ばに再開し、8世紀半ばには大規模に

鉛の濃度を時代順に並べると、生産の歴史が浮かび上がりました。ローマ時代のあと途絶えていた鉛の製錬は、7世紀半ばに再開しています。8世紀半ばには、キャッスルトンなど主要な鉱山の周りで大規模な生産が行われ、その汚染が人の歯に刻まれるほどになっていました。

汚染がいちばん強かったのは、12世紀末から13世紀初めです。これは文書や環境の記録から知られていた鉛生産の最盛期と一致します。Smithsonian Magazine によれば、時期によっては鉛の値が産業革命の時代を超えていた可能性もあるといいます。鉛を製錬する煙と灰、鉱石を砕く作業場の粉じんが、集落の空気と土を汚していたと考えられます。

副葬品を持つ男と、持たない人びと

この研究でいちばん目を引くのは、同じ時代の同じ墓地の中での違いです。7世紀の墓で、立派な副葬品とともに葬られた高い身分の男性たちの歯からは、鉛がごくわずかしか検出されませんでした。一方、何も持たずに葬られた人びとの歯の鉛は、ずっと高い値でした。

研究チームはここから、鉛の産業を取り仕切っていたのは地域の有力者で、実際に鉱石を掘り、砕き、溶かして鉛を浴びていたのは身分の低い家の人びとだった、という構図を読み取っています。子どもの歯に鉛が残っているということは、汚れた環境で育ったか、鉱石を砕いて製錬の準備をする手伝いをしていたかのどちらかです。鉛の高かった女性3人は17〜25歳で亡くなっていて、研究チームは、出産期の女性にとって鉛が危険を増やしていた可能性を挙げています。調べた人びとは全員が成人まで生きていたので、子どものころの鉛がすぐに命を奪ったわけではありません。

中世イングランドの鉛鉱山で、鉛を浴びていたのは立派な副葬品の男たちではなく、何も持たずに葬られた人びとだった。歯のエナメル質が語る産業の格差

ほかの鉱山町を見分ける物差しに

論文は、墓地の中と墓地のあいだの鉛の濃度の違いが、鉛を作る共同体の社会のあり方を映している可能性を指摘し、この手法が中世ヨーロッパのほかの鉛や銀の産地でも、誰が生産を担っていたかを見分ける基準になりうるとしています。文字に残らなかった人びとの仕事が、歯に残っていたという話です。

ひとつ注意がいるのは、調べた人数が論文の要旨には書かれていないことです。3つの墓地のどれだけの人骨を測ったかで、結論の重みは変わります。それでも、「毒を浴びる人と、利益を得る人が、墓の中で分かれていた」という結果は、中世の産業の格差を、文書ではなく体そのものから読み取った例として記憶に残ります。

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