アメリカ・テキサス州西部で1985年に採集された1個の化石が、41年ぶりに名前を変えました。長いあいだ「甲殻類の子ども」として博物館の引き出しに収まっていた標本を、ケンブリッジ大学と中国科学院南京地質古生物研究所(NIGPAS)を中心とする国際チームが調べ直したところ、いまの昆虫につながる系統の、ごく根元にいた生き物だと分かったのです。論文は2026年8月26日付でNatureに掲載されました。
新しい発掘があったわけではありません。標本は40年以上前からそこにあり、変わったのは「見る技術」のほうでした。
標本庫で41年眠っていた「甲殻類の子ども」
舞台はテキサス州ブルースター郡、ビッグベンド国立公園の北に広がる岩場です。ここに露出するテスヌス層という地層は、石炭紀前期(約3億2400万年前)のもので、テスヌソカリス・ゴルディチ(Tesnusocaris goldichi)という古い甲殻類の化石が出ることで知られていました。1985年の調査で採集された問題の標本は、同じ岩層から出たこともあって、このテスヌソカリスの幼体として扱われることになります。
その後、標本はサンディエゴ自然史博物館に収蔵され、とくに注目されることもなく年月が過ぎました。黒っぽい岩の上に、黒っぽい輪郭がうっすら残っているだけの印象化石で、研究チームの一人はのちに「黒いしみ」と表現しています。ふつうに照明を当てて眺めるかぎり、細かい構造はほとんど読み取れませんでした。
ここで補足しておくと、テスヌソカリスはムカデエビ類(レミペディア)という甲殻類の仲間です。ムカデエビ類は、体の節ごとに脚がずらりと並ぶ多足の甲殻類で、現在の研究では甲殻類のなかで昆虫にもっとも近いグループの一つとされています。つまり「昆虫の根元にいた生き物」と「昆虫にいちばん近い甲殻類の幼体」は、見た目の上で紛らわしくて当然の組み合わせでした。当時の同定が的外れだったというより、当時の道具では見分けようがなかった、と言ったほうが近いと思います。
昆虫の化石記録に空く8000万年の穴
この標本の再検討が重要になる背景には、昆虫の進化史に長年開いたままの空白があります。
遺伝子の変化速度から生き物の分岐時期を見積もる「分子時計」の推定では、昆虫を含む六脚類(ろっきゃくるい)は、カンブリア紀からオルドビス紀にかけて、海にいた甲殻類の仲間から枝分かれし、陸への適応を始めたとされます。ところが、疑いの余地のない六脚類の体の化石が最初に見つかるのは、スコットランドのライニーチャートという約4億500万年前(デボン紀前期)の地層です。しかも、そこから先も昆虫の化石はほとんど出てきません。昆虫の化石が数多く見つかるようになるのは、石炭紀後期になってからです。
デボン紀前期から石炭紀後期まで、およそ8000万年。この期間、昆虫がどんな姿でどこに暮らしていたのかを直接示す体の化石は、ほぼゼロに近い状態でした。これが「六脚類の空白(hexapod gap)」と呼ばれる問題です。分子時計は「もうとっくに昆虫はいたはずだ」と言い、化石記録は「まだ見つかっていない」と言う。両者のずれをどう埋めるかは、昆虫の起源をめぐる大きな宿題でした。
そして、今回の標本の年代である約3億2400万年前(石炭紀前期の終わりごろ)は、まさにこの空白のど真ん中にあたります。
交差偏光で浮かび上がった24本の脚
再検討のきっかけは、意外なところにありました。ケンブリッジ大学の古昆虫学者エリック・ティヘルカ氏が、古本で手に入れたロシア語の古生物学の教科書のなかに、この標本の線画を見つけたのです。元の論文をたどってみても「甲殻類の幼体」という説明に納得がいかず、氏はサンディエゴまで足を運んで実物を確認することにしました。
そこで使われたのが、交差偏光(クロス偏光)を使った撮影です。光には振動の向きがあり、偏光フィルターはその向きをそろえる働きをします。カメラ側と光源側に向きを直交させた2枚のフィルターを置くと、岩の表面で反射しただけの光(てかり)が大きく減り、そのぶん化石の輪郭と地の岩とのコントラストが上がります。黒い岩の上の黒い輪郭というもっとも見づらい条件で、この方法が効きました。
浮かび上がってきたのは、昆虫の特徴が並ぶ体でした。3つの節に分かれた胸部、そこから伸びる6本の歩くための脚、長い触角、腹の先から伸びる1本の長い尾糸(びし)とそれを挟む2本の短い尾角(びかく)、そして産卵管です。産卵管があることから、この個体は成体のメスとみられます。つまり「幼体」という前提そのものが崩れました。体長は約32ミリ、尾糸まで含めると約50ミリです。

ただし、そのまま昆虫と呼ぶには、どうしても引っかかる点が一つありました。腹部の第1節から第9節までに、一対ずつ、短い脚が並んでいたのです。胸の6本と合わせると、脚は全部で24本。しかも腹部の後ろのほうの脚は、先端が平たい櫂(かい)のような形に変わっていました。現生の昆虫は、幼虫の段階で腹に突起を持つものはいても、成体で腹部に関節のある脚をこれだけ並べたものは知られていません。
研究チームは、この標本を現生・化石の昆虫や甲殻類と形質ごとに比べ、系統樹のどこに収まるかを解析しました。結果、この生き物は六脚類であり、いまの昆虫すべてを含むグループのすぐ外側、つまり昆虫の系統が甲殻類から分かれたあと、現生の昆虫の共通祖先にいたるまでのあいだに位置づけられました。チームはこれに、チョーシャ・プラエクルソル(Chosha praecursor)という新しい名前を与えています。属名はナバホ語で「昆虫」を意味する ch’osh から、種小名はラテン語で「先駆者」の意味です。ナバホの創世神話には、原初の世界に虫のような姿の人々が暮らしていたという話があり、そこから採られています。
「幹昆虫」という位置づけ
ここは丁寧に書いておきたいところです。チョーシャは「24本脚の昆虫」ではありません。
生き物の系統を考えるとき、いま生きている種すべての共通祖先から先の枝を「冠群(かんぐん)」、その共通祖先より前に枝分かれして絶滅した仲間を「幹群(かんぐん)」と呼び分けます。紛らわしい読みですが、木にたとえれば、葉が茂る上のほうが冠群で、根元に近い幹から出て枯れた枝が幹群です。現在の分類で「昆虫」と呼んでいるのは冠群のほうで、チョーシャはその外側の幹群に入ります。論文が「幹昆虫(stem-insect)」という言い方をしているのは、この区別のためです。
したがって「昔の昆虫は脚が24本あった」というのは正確ではなく、「いまの昆虫につながる系統の根元には、まだ腹に脚を残した生き物がいた」というのが今回の研究の言っていることになります。現生の昆虫がすべて6本脚なのは変わりません。変わったのは、6本脚にたどり着くまでの途中の姿が、初めて具体的に見えたという点です。
研究チームはチョーシャに加えて、以前から正体のはっきりしなかった化石も同時に見直しています。スコットランドのライニーチャートから出た約4億500万年前のレバーフルミア(Leverhulmia)と、アメリカ・イリノイ州のメイゾンクリークから出た石炭紀後期の未記載標本2点です。これらも腹部に脚を残す多足の体つきを持っており、解析ではチョーシャと同じく幹昆虫のなかに収まりました。論文は、この一群が現時点で確実に昆虫の系統だと言える最古の化石群にあたるとしています。
水際で暮らしていた初期の昆虫像
腹部の櫂のような脚は、何のためにあったのか。研究チームは、これをえらの役目も兼ねた遊泳用の付属肢とみています。標本が出たテスヌス層の堆積環境を復元すると、河口に近い浅い水域、いまでいう三角州の海岸あたりの環境だったと推定されました。そこから導かれるのが、チョーシャは水と陸の境目で暮らす半水生の生き物だったかもしれない、という見立てです。
これを踏まえると、昆虫の上陸は一足飛びではなかった、という筋書きが見えてきます。海にいた甲殻類の祖先から分かれたあと、昆虫の系統は泳ぐための脚やえらをすぐには捨てず、それを作り替えながら、湿った水際で長く暮らしていた。腹部の脚が徐々に減り、最後に6本だけが残った体つきになるのは、乾いた陸へ完全に移った段階で起きた変化だった、という考え方です。論文は、腹部付属肢の縮小が陸上適応の鍵となる変化の一つだったと位置づけています。
研究チームは、こうした初期の昆虫が食べていたものについても推測しています。腐植や植物の残骸、菌類の胞子などを食べる分解者として、水域と陸域のあいだの生態系で働いていたのではないか、というものです。古生代に陸の生態系が成熟していく過程で、こうした生き物が果たした役割は小さくなかったとみられます。

もう一つ、この発見が効いてくるのが、先に触れた8000万年の空白です。チョーシャとレバーフルミア、メイゾンクリークの標本を幹昆虫として認めると、昆虫の系統の化石記録はデボン紀前期まで引き上げられ、分子時計の推定とのずれは以前よりずっと小さくなります。論文はこの点を「空白を埋めるのに役立つ」と控えめに書いていますが、40年間しまわれていた1個の標本が、昆虫の起源をめぐる年表の食い違いを緩めた、というのは大きなことだと思います。
解釈上の留意点
研究チーム自身が慎重に書いている点を、いくつか挙げておきます。
まず、半水生という生活様式は「示唆」であって、確定ではありません。腹部の付属肢の形と堆積環境から推定されたもので、論文でも suggest という言葉が使われています。同じように、食性についても化石そのものに証拠が残っているわけではなく、体のつくりと環境からの推測です。
系統上の位置づけについても、解析では「昆虫の冠群のすぐ外側」がもっとも支持されていますが、「六脚類全体の冠群のすぐ外側」という置き方も統計的には棄却できていません。一方で、ムカデエビ類に近い非六脚類とする仮説は棄却されています。つまり「六脚類であること」はかなり固く、「昆虫の系統の根元であること」は有力だが幅がある、という段階です。
また、チョーシャの標本は現時点で限られており、今回の記載はサンディエゴに収蔵されている標本に基づいています。同じ地層からの追加標本が出てくれば、体の細部や成長段階についての理解が変わる可能性はあります。この研究にコメントした研究チーム外の古生物学者も、今後の探索でこの生き物の化石がさらに見つかることに期待を示しています。
最後に、これは新しい発掘の成果ではなく、既存の収蔵標本の再検討です。1985年に採られ、41年間ラベルを貼り替えられずにいた標本が、見方が変わったことで別の意味を持った。博物館の引き出しに、まだ同じような標本が眠っている可能性は、この研究がそのまま示していると言えそうです。
出典
- 論文:Tihelka, E., Vásquez, C., Engel, M. S., Schram, F. R., Lozano-Fernandez, J. & Cai, C. “Amphibious stem-insect sheds light on colonization of land,” Nature(2026年8月26日公開) https://doi.org/10.1038/s41586-026-10961-2
- 中国科学院プレスリリース(EurekAlert!):Amphibious stem-insect reveals early history of insect terrestrialization
- Science News(Elie Dolgin、2026年8月26日):Once upon a time, insects had 24 legs
- ScienceAlert(David Nield、2026年8月28日):Bizarre Fossil Turns Out to Be a 24-Legged Insect Science Somehow Missed


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