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ペルー南部の砂漠に、ハチドリやサル、クモ、何キロも続く直線や台形が描かれています。ナスカの地上絵です。紀元前200年から紀元500年ごろ、この地に暮らしたナスカの人々が作ったもので、数は数千、線の総延長は1,300km を超えます。文字を持たない社会だったので、なぜ作ったのかを書き残した記録はありません。20世紀の初めに調査が始まってから100年あまり、研究者はこの問いに答えを出そうとしてきました。Live Science が2026年10月に出した解説は、研究者3人の談話と近年の論文を並べて現状をまとめています。そこで引かれている論文を元にたどると、「空から見るための絵」「天体の暦」という広く知られた説は後ろに退き、代わりに別の答えが複数の研究で重なってきているのが分かります。
ひとつの答えでは説明できない
まず押さえておきたいのは、地上絵がひとまとめに扱えるものではないことです。ノースイースタン・イリノイ大学の Ana Nieves は Live Science に、よく見れば様式がいくつもあり、大きいものも小さいものも、丘の斜面にあるものもパンパ(平らな砂漠)にあるものもあって、ひとつの説明が全部に当てはまるとは考えにくい、と話しています。
アウクスブルク大学の Karsten Lambers は2017年の論考で、用途そのものが時代とともに変わった可能性を挙げています。初めは旅人や隊商に道を示す目印で、のちに人が集まって宴をする場になった、という見方です。この見方を、2026年に出た論文が時間の順序として組み立て直しました。

道しるべから、人を集める舞台へ
Charles Stanish らが Journal of Anthropological Research に発表した論文「アンデスの地上絵の理論」は、何十年分の調査をもとに、地上絵がどう発展したかを段階で描いています。最初にあったのは岩に刻んだ岩絵で、移動の道筋を示していました。次に、丘の斜面に動物などの図形の地上絵がまとまって現れます。遠くからよく見え、道のそばにあるので、人が集まる場所を示す目印だったと見られます。
転機はその後です。ペルー沿岸で社会が大きく複雑になるにつれ、パンパの上に直線の複合体が現れました。何本もの直線と台形、図形が重なり合う、いまナスカの地上絵として知られる大規模なものです。Stanish らは、これらを有力な集団が作った「儀礼化された、演劇的な景観」だと論じます。定期的な宴や市に人を呼び寄せるための舞台で、集団どうしが宴の規模を競い合う政治のしくみの中に組み込まれていた、という見方です。
Lambers が論考で挙げた供え物の話も、これと噛み合います。台形の地上絵のそばの低い石の台には、土器やカニ、トウモロコシ、スポンディルスという貝の耳飾りが置かれていました。スポンディルスはふつうはもっと北のエクアドルの海にいる貝で、エルニーニョのときだけペルーの沿岸に現れます。貝もカニもトウモロコシも、水と豊穣に結びつくものです。乾いた砂漠で水を願う場に人が集まった、と読めます。
「暦」説を測り直す
長いあいだ有力だったのは、地上絵が天体の暦だという説です。1941年に歴史家の Paul Kosok が線に天文学的な向きがあると考え、数学者の Maria Reiche が40年以上をかけて、多くの地上絵が太陽や星と関係すると主張しました。この説を、ドレスデン応用科学大学の Christiane Richter らが2021年に Applied Sciences で検証しています。
Richter らは、ドレスデンのナスカ・プロジェクトが集めた測量データを使い、「直線」に分類される線のすべてについて方位を計算し、地形の模型を使って地平線に対する高さまで求め、大気のゆらぎや地球の丸みも補正したうえで、ナスカの時代の太陽と明るい星の位置と比べました。結果、太陽の至点のような出来事や星に向いている可能性のある線は、ごく一部でした。論文の結論は「地上絵を全体として暦と解釈することは、確実にできない」というものです。
ただし Richter は Live Science に、これは天体が無関係だったという意味ではない、と念を押しています。論文のあとの解析では、地上絵の約8%に月と関係する向きが見つかっていて、天体が絵の制作に何らかの役を果たした可能性は高い、と Richter は書いています。「全部が暦」でも「天体は無関係」でもなく、一部の線に天体の向きがある、というのが現在の見立てです。
線の上を、一列で歩く
もうひとつ重なってきているのが、地上絵を「見るもの」ではなく「歩くもの」と考える説です。地上絵の中には、途切れない1本の線で描かれたものがあります。Nieves はこれを、人が一列になって線の上を歩く行進に向いた形だと見ています。
ダートマス大学の Darryl Wilkinson は2020年の Cambridge Archaeological Journal の論文で、この考えを社会のしくみに結びつけました。大きな地上絵は世界的に見てもアメリカ大陸に集中していて、国家や帝国ではなく、その手前の中規模の社会に多い。Wilkinson はこれを偶然ではなく、地上絵という表現が持つ性質によると考えます。神殿のように特定の人が管理する場所ではなく、だれでも歩ける線の上で儀礼を行えば、権威は分散します。地域がまとまり始め、権力が集まりかけていたナスカの社会で、地上絵はそれに対する釣り合いの重りだった、という解釈です。Wilkinson は Live Science に、線を歩くのは集団の行為で、参加した人のあいだに共同体の感覚を生んだはずだ、と話しています。

上の画像は想像図です。実際の地上絵の写真は、出典に挙げた Live Science の記事で見られます。
残っている問い
こうして並べると、近年の研究は「道を示す目印として始まり、人を集めて宴をし、線を歩いて儀礼をする場になった。その一部には天体の向きも含まれる」という方向でおおむね重なっています。宇宙人の着陸場という話は、研究の中には出てきません。
それでも、個々の図形が何を表し、どんな順番で何が行われたかは分かっていません。地上絵の数すら確定しておらず、AI を使った探索で新しいものがいまも見つかり続けています。Lambers は論考の結びで、ナスカの人々は世界でもっとも乾いた砂漠のひとつを、何世紀もかけて、自分たちの考えを表し社会の活動の舞台とする場所に変えることに成功した、と書いています。何のために作ったかの答えは一つではなくても、砂漠を舞台に変えたという事実は、はっきり残っています。
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出典
- Live Science “Why were the Nazca Lines built?”(2026年10月24日、Owen Jarus):https://www.livescience.com/archaeology/why-were-the-nazca-lines-built
- Charles S. Stanish, Henry Tantaleán, Carito Tavera Medina, Jacob L. Bongers, Karen Wise, “A Theory of Andean Geoglyphs”, Journal of Anthropological Research(2026年):https://doi.org/10.1086/739379
- Christiane Richter, Bernd Teichert, Karel Pavelka, “Astronomical Investigation to Verify the Calendar Theory of the Nasca Lines”, Applied Sciences 11(4), 1637(2021年):https://doi.org/10.3390/app11041637
- Darryl Wilkinson, “The Geoglyph as a Medium for Anarchist Ritual”, Cambridge Archaeological Journal 31(1), 95–110(2020年オンライン):https://doi.org/10.1017/S0959774320000244


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