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イラク北部、クルディスタン地方のシャニダール洞窟は、1950年代の発掘で10体のネアンデルタール人が見つかった遺跡です。中でも「花の埋葬」と呼ばれた一角は、花粉が骨のそばから出たことから「花を供えて葬った」と語られ、のちにその解釈は退けられましたが、ネアンデルタール人が死者をどう扱ったかを考えるときに必ず名前の出る場所です。2015年に再開された発掘で、この一角から新たに3体が加わりました。ケンブリッジ大学の Emma Pomeroy さんらは、そのうちの1体「Shanidar A」について、骨に残った2つの傷の分析を Scientific Reports に報告しました。片方は顔に受けて生き延びた傷、もう片方は胸を貫いて命を奪ったとみられる傷です。
大岩の陰に、何度も置かれた死者
再開後の発掘が掘り進めたのは、洞窟の天井から落ちた大きな縦長の岩の裏側です。この岩は当時の洞窟の床から突き出ていて、目印になっていたと考えられています。1960年に Ralph Solecki の調査団が見つけた成人3体と乳児1体(Shanidar 4・6・8・9)に、新しい発掘で Shanidar Z・A・B の3体が加わり、少なくとも5体ぶんの骨が、長さ約1.5m・幅約1m・深さ約1m の狭い範囲に重なって出ています。年代はいずれも約7万〜7万5,000年前です。
堆積物の分析からは、骨が一度に置かれたのではなく、別々の機会に何度も運ばれたことが分かっています。前に置かれた体が土に戻りきる前に次の体が置かれていることが多く、間隔は数世代以内とみられます。寒さをしのぐために集まった群れが一度に死んだ、という説明は、堆積の分かれ方と、骨が置かれた時期の気候が穏やかだったことから除かれました。同じ狭い場所を選んで死者を置き続けたことに、著者らは実用でも感傷でもない「この場所の意味」があったとみています。

右手と肋骨と肩甲骨、そして7本の歯
Shanidar A の骨は2019年と2022年に掘り出されました。残っていたのは、ほぼ完全な右手、左の肋骨2本、右の肋骨の断片、左の肩甲骨、そして歯7本です。右手は指を軽く曲げたまま、ほぼ元の位置関係を保っていて、体を仰向けにして右腕を胸の上に置いた姿勢で置かれたと読めます。骨が互いの位置を保っているのは、置かれたときにまだ肉が付いていたことを意味します。
ただし、頭や脚は残っていません。細かな砂の層に骨が埋まったあと、土石を含んだ鉄砲水がこの場所を洗い、肉が落ちて軽くなっていた大きな骨を流し去ったと著者らは考えています。大岩の陰にあった右手は守られ、歯は流されて肋骨にひっかかって止まりました。歯7本のうち6本は前歯で、すり減り方が同じ型だったことから1人のものと判断されています。残る1本の奥歯だけは摩耗が軽く、別の個体のものとみられます。前歯の激しいすり減りから、年齢はネアンデルタール人としては高齢の、45歳前後と見積もられました。性別は分かっていません。
縦に割れた前歯が語る、生き延びた大けが
その前歯のうち1本が、縦に半分に割れていました。失われた半分の断面も、歯の表面も、ほぼ全体が歯石で覆われていたのです。歯石は生きている口の中でしかたまりません。割れた歯がそのまま口に残り、噛むのに使われ続けていた証拠です。割れた面の歯石には噛み合わせでできた磨き跡もあり、歯石の層の重なりから、傷のあと少なくとも1年、おそらくもっと長く生きていたと著者らは見ています。隣の前歯が回転していることも、顎の前面に強い力がかかった跡と読めます。
何がこの傷を作ったのかは、顎の骨が残っていないので決められません。硬い地面に顔から倒れた、あるいは誰かに殴られた、といった鈍い打撃がもっとも考えやすいと論文は書いています。はっきりしているのは、口の前がこれだけ壊れた状態で食べ続けるのは一人では難しく、周りの助けがあったはずだということです。ネアンデルタール人が傷ついた仲間を世話したかどうかは長く議論されてきましたが、Shanidar A の歯はその実例の1つになります。
肩甲骨の丸い穴が、腐って消えた槍を語る
もう1つの傷は左の肩甲骨にあります。直径約15mm の、ほとんど完全な円形の穴が開いていて、そこから3本以上のひびが放射状に走っています。穴の縁には治った跡がまったくなく、傷は死の直前か、死んだあとに付いたものです。肩甲骨の下の土を X 線 CT で調べると、穴から押し出された長さ4mm 以上の骨片が少なくとも4つ埋まっていて、その1つは穴にぴったりはまりました。骨片が穴のすぐ下にとどまっていたのは、突かれたときに肩甲骨を覆う肉の中に埋まり、そのまま土に置き換わったからだと考えられます。
穴の縁は背中側が斜めに削れていて、これは刺し傷の出口に典型的な形です。つまり何かが胸の前から入り、体を貫いて、肩甲骨から背中側へ抜けました。骨片の飛び方からは、体の内側やや上から外側へ向かう角度だったことも読めます。先が入ったのは左胸の前。肺と、場合によっては大きな血管を通ったはずで、生き延びるのは難しい傷です。

そして、穴の形が凶器を絞り込みます。石器の先を付けた槍で突くと、穴は石器の断面に合わせて楕円や菱形になり、縁に角が出ます。これは旧石器時代の動物の骨に残る刺し傷や、復元した槍で実験した結果から分かっていることです。Shanidar A の穴はきれいな円で、角がありません。断面が丸い木の槍に合う形です。シャニダール洞窟のもう1体、Shanidar 3 の肋骨には石器の先が刺さったとみられる細い傷が残っていて、同じ洞窟の2つの傷が、石の先と木の先を区別して見せていることになります。
木の槍はヨーロッパでは約40万年前のイギリスや約20万年前のドイツで実物が見つかっていますが、木は腐って残らないので、使われていた証拠はたいてい間接的です。骨に残った丸い穴は、中東のネアンデルタール人が木の槍を持っていたことを示す、数少ない手がかりになりました。ただし、これが人を狙った暴力だったのか、マンモスなどの大型の獲物に近づいて突く狩りの最中の事故だったのかは、骨からは分かりません。著者らも、どちらとも決められないと書いています。
傷のあとに、同じ場所へ
Shanidar A の骨は、鉄砲水が作った浅い溝が乾いているときに置かれ、すぐに薄く土をかぶっていました。Shanidar Z のように穴を掘った跡はありません。それでも、頭を東に向けて仰向けに横たわる姿勢は、約15cm 上に重なっていた Shanidar Z とそろっていて、同じ群れの一員として同じ場所に置かれたと見るのが自然です。
顔に大けがをして1年以上世話を受けながら生き、最後は胸を貫かれて死に、それでも仲間が死者を置き続けてきた大岩の陰に運ばれた。骨の断片から読み取れるのはここまでで、花を供えたかどうかのような話は、もう語られません。それでも、この1体が加わったことで、「同じ場所に何度も死者を置く」というネアンデルタール人のふるまいが、5体ぶんの重みで裏づけられたことになります。
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出典
- Pomeroy, E. et al. (2026) “Evidence for funerary behaviour and lethal trauma in a new Neanderthal individual from Shanidar Cave.” Scientific Reports. https://doi.org/10.1038/s41598-026-69193-z
- University of Cambridge “Neanderthal spear wound…”(2026年10月15日)https://www.cam.ac.uk/stories/neanderthal-spear-wound-shanidar-cave
- ScienceAlert “Oldest Known Spear Attack May Be Found in 75,000-Year-Old Neanderthal Remains”(2026年10月15日)https://www.sciencealert.com/ancient-hole-in-neanderthal-shoulder-blade-may-be-the-oldest-spear-attack-ever-discovered
- Live Science “Mysterious hole in Neanderthal shoulder blade may have been a ‘kill shot’ from a wooden spear, according to archaeologists”(2026年10月15日)https://www.livescience.com/archaeology/neanderthals/mysterious-hole-in-neanderthal-shoulder-blade-may-have-been-a-kill-shot-from-a-wooden-spear-according-to-archaeologists


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