4世紀のローマ人の石棺に、11世紀の修道院長が眠っていた。ウェストミンスター寺院で157年続いた謎に、2016年に見つかった骨が答えた

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ロンドンのウェストミンスター寺院に、4世紀のローマ人のために作られた石棺が展示されています。側面にはラテン語の碑文、ふたには大きな十字架。どちらも本物ですが、作られた時代が700年ほど違います。この食い違いは19世紀に石棺が見つかって以来の謎でした。寺院の顧問考古学者 Warwick Rodwell が2026年10月20日に Journal of the British Archaeological Association に発表した論文は、2016年に「空のはず」の棺を開けたときに見つかった骨をもとに、中に葬られた人を2人の修道院長まで絞り込んでいます。

碑文は4世紀、ふたの十字架は11世紀

石棺は石灰岩製で、側面に「Valerius Amandinus の記憶に。Valerius Superventor と Marcellus が父のために作った」と読めるラテン語の碑文があります。彫りの様式も碑文の形式もローマ時代のもので、Amandinus は西暦300〜400年ごろにこの近くに住んでいた裕福な人物だと考えられています。ところが、ふたには10〜11世紀のものとみられる大きなラテン十字が彫られていました。ローマ人の棺が、数百年後に誰か別の人のために使い直された、ということになります。

4世紀のローマ人の石棺に、11世紀の修道院長が眠っていた。ウェストミンスター寺院で157年続いた謎に、2016年に見つかった骨が答えた

石棺が眠っていたのは、寺院の北側にあった聖具室(典礼の道具や衣装をしまう部屋)のあたりです。13世紀半ばにヘンリー3世がその上に聖具室を建て、棺はそのまま600年近く土の中にありました。Taylor & Francis の発表によれば、1820年に作業員が偶然掘り当ててふたを6つに割ってしまい、1869年になってようやく修復され、碑文の正体が分かったのだそうです。Live Science の記事は「1869年に寺院の主任石工が掘り出した」と書いていて、発見の経緯は媒体で少し割れています。はっきりしているのは、19世紀の初めに中が荒らされ、副葬品があったとしても持ち去られていたことです。

2016年、保存処置で開けたら全身の骨があった

長いあいだ、中には何も残っていないと思われていました。それが変わったのが2016年です。石棺を保存処置のために工房へ運び、ふたを持ち上げたところ、ほぼ完全な人骨が入っていました。調べたのは発掘会社 Pre-Construct Archaeology の生物考古学者 James Langthorne です。頭骨には過去に誤って開けられた穴があり、腕と脚の骨は入れ替わっていましたが、男性で、35〜49歳、身長はおよそ175cm と分かりました。1869年の調査が「30歳以下のがっしりした若者、身長約170cm」と書いていたのとは食い違う結果です。

骨には、左の第10・第11肋骨のよく治った骨折の痕と、左のすねの骨2本に原因のはっきりしない感染の痕がありました。Live Science はこれに加えて変形性関節症と痛風の痕を挙げています。スコットランド大学環境研究センターの放射性炭素年代測定では、骨は西暦987〜1052年のものでした。ローマの石棺がアングロサクソン時代の終わりごろに使い直され、ふたもそのときに彫り直された、という見立てがここで固まります。

もうひとつ、2016年の調査で見つかったものがあります。石棺の内側に、白い石灰の残りで長方形の輪郭が残っていました。木の棺が入れられ、それが朽ちて跡だけが残ったのです。つまり遺体は、木棺に納められたうえで石棺に入れられ、十字架を彫ったふたで閉じられていました。

修道院長の名簿から、候補は2人に

Rodwell は論文の中で「残る大事な問いは、彼が誰だったのかだ」と書いています。副葬品は失われていますが、大きな十字架つきの石棺で手厚く葬られた人物であることから、Rodwell は「ほぼ確実に修道院長だった」とみています。当時のウェストミンスターはベネディクト会の修道院でした。

放射性炭素の年代と、ウェストミンスターの歴代院長の在任期間を重ねると、候補は3人に絞れます。988〜993年の Wulfsige、993〜1020年の Ælfwig(エルフウィグ)、1020〜1049年の Wulfnoth(ウルフノス)です。このうち Wulfsige はウェストミンスターを離れて別の土地の司教になったので、ここに葬られた可能性は低い。残るのは2人です。どちらも生年は分かっていませんが、20代の初めに院長になり50歳近くで亡くなったと考えれば、35〜49歳という骨の年齢はどちらにも合います。Rodwell は、Ælfwig がもともとウェストミンスターの修道士だった点を挙げて、こちらをやや有力とみています。ただし論文は2人のどちらかと断定してはいません。

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なぜローマの棺だったのか

謎がすべて解けたわけではありません。ローマ時代の棺を中世に使い直した例は極めて珍しく、Rodwell によれば比べられるものがないそうです。手がかりのひとつは碑文の最初の語「memoriae(〜の記憶に)」で、Amandinus 自身が初期のキリスト教徒だった可能性を示しています。ローマ時代のロンドンでそれなりの人物だったのかもしれませんが、経歴は何も伝わっていません。

棺の石は、イングランド南部オックスフォードシャーの石灰岩です。もともとはどこかのローマの霊廟に置かれていたものが掘り出されて運ばれたのかもしれない、と Rodwell は書き、同時に「ウェストミンスター寺院の近くに、まだ見つかっていないローマのヴィラと墓地があってもおかしくない」とも述べています。棺を使い直した修道士たちにとって、それは古いものの流用ではなく、ローマの職人の仕事で院長を飾る行為だった、というのが PopSci が伝える論文の見方です。

石棺はいま、寺院のクイーンズ・ダイヤモンド・ジュビリー・ギャラリーで見られます。棺が眠っていた聖具室の跡は2025年に発掘が終わり、その場所には来年、チャールズ3世の聖具室が開く予定です。4世紀の棺に11世紀の院長、そして21世紀の建物。ひとつの場所に、ずいぶん長い時間が重なっています。

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