「時間の向き」を量子ビットにする。2018年の光子の実験データを読み直すと、進む向きと戻る向きが重なった「時間量子ビット」がすでに動いていた

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量子の世界では、粒子の位置やスピンは「測れる量」として扱われます。ところが時間だけは違い、ただ外から与えられる目盛りとして式に入っています。この時間の向きそのものを、0と1を重ね合わせられる量子ビットとして扱えないか。そんな提案が2025年の秋に出て、そのわずか1年後、ソウルの高麗大学校の Tai Hyun Yoon が「光を使えば作れる。しかも、すでに作っていた」という論文を公開しました。2026年10月20日に arXiv に載った査読前のプレプリントで、単著です。

時計の針を両向きに回す

量子の状態がどう変わっていくかは、ハミルトニアンと呼ばれる式で決まります。この式の符号をひっくり返すと、状態は来た道を逆にたどります。時間そのものが巻き戻るわけではありませんが、量子系の中の変化だけを見れば、時間を逆に流したのと同じことが起きます。

テルアビブ大学の Yakov Bloch は2025年11月、この「進む向き」と「戻る向き」を、量子ビットの0と1のように重ね合わせられるはずだと提案しました。時計にたとえるなら、針が時計回りと反時計回りに同時に回っている状態です。Bloch が考えた作り方は、磁場の中で回るスピンを使うものでした。粒子の進む道を2つに分け、片方には逆向きの磁場をかけてから合流させると、2つの向きの時間発展が干渉するはずだ、というものです。この提案も査読前で、実験はまだ行われていません。

「時間の向き」を量子ビットにする。2018年の光子の実験データを読み直すと、進む向きと戻る向きが重なった「時間量子ビット」がすでに動いていた

磁場ではなく、光で

Yoon が目を向けたのは磁場ではなく光でした。使うのは、もつれた光子対を作る2つの非線形結晶です。結晶にレーザー(ポンプ光)を当てると、1個の光子が2個に分かれて飛び出します。Yoon の装置では2つの結晶に同じレーザーから分けた光を入れ、さらに「シード光」と呼ぶ弱い光を添えて、光子対が生まれる過程を外から制御します。

論文の第一の主張は、ポンプ光とシード光の位相を半周期だけずらすと、光子対が生まれるときの相互作用の向きが反転する、というものです。式の上では、相互作用を表す項の符号が入れ替わり、その部分の時間発展が逆向きに進みます。相互作用の全部ではなく、制御できる一部だけを逆転させる形です。これで「進む向き」と「戻る向き」の2つが手に入ります。

ただ、2つの向きがあるだけでは量子ビットになりません。2つが同時に存在する重ね合わせが要ります。ここで効くのが、2つの結晶に同じレーザーを分けて入れていることです。ふつう、光子対が生まれると「どちらの結晶から出たか」の情報が残ります。この情報が残っていると2つの道は区別でき、干渉しません。論文の第二の主張は、同じコヒーレントなシード光を両方の結晶に供給すると、この「どちらから出たか」の情報が消え、2つの向きの時間発展が干渉できる、というものです。情報の消え方は、シード光の強さで決まる式で表されます。

新しい実験ではなく、2018年のデータ

ここがこの論文の面白いところです。Yoon は新しい装置を組んでいません。この干渉計は、Yoon が同僚の Minhaeng Cho らと2018年に Communications Physics で発表した「周波数コム単一光子干渉計」そのもので、当時は別の目的で測定が行われていました。論文の図4のデータは、その2018年の論文から取り直したものだと明記されています。

つまり、8年前に取ったデータを新しい理論の目で読み直すと、位相を半周期ずらしたときの振る舞いも、2つの向きの干渉も、時間量子ビットの理論が予測するとおりに出ていた、という主張です。理論を立てたあとに過去の測定がそれに合っていたと気づく、という順番は、研究の現場ではそう珍しくありません。ただ、理論のために設計した実験ではないので、これは「すでに実現していた」の証明というより、概念が実際の装置で成り立つことを示す試しの段階です。Yoon 自身も、量子状態をもっと細かく制御できる専用の実験で、理論が予測する操作の全部を確かめる必要があると書いています。

「時間の向き」を量子ビットにする。2018年の光子の実験データを読み直すと、進む向きと戻る向きが重なった「時間量子ビット」がすでに動いていた

何に使えるのか

時間の向きを量子ビットにできると何がうれしいのか。論文が挙げているのは、まず量子情報処理の新しい道具としての使い方です。時間の向きという自由度を使った誤り訂正や、2値より多くの状態を持つ「キューディット」の処理、相対論的な量子現象を卓上で模擬する実験などが候補に挙がっています。薄膜ニオブ酸リチウムの光集積回路と組み合わせれば、同じ仕組みを小さなチップの上で動かせる、という見通しも書かれています。

ここで押さえておきたいのは、この研究が示しているのは「時間を逆に進める装置」ではないことです。逆転できるのは、量子系の中の制御できる相互作用の向きだけで、実験室の時計はふつうに進みます。言葉のインパクトが先に立ちやすい話題ですが、論文の主張は数式で閉じた、狭くはっきりしたものです。査読を通った段階で、理論の細部にどんな指摘が付くかも含めて、続きを見ていきたい話です。

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