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イングランド西部の町バースに、1771年に開場した「アセンブリー・ルームズ」という建物があります。日本語にすると集会場ですが、中身は社交の殿堂で、舞踏会や音楽会のために上流の人たちが集まった場所です。ジェーン・オースティンがこの町に住んでいたころ、彼女もここに足を運んでいました。『説得』と『ノーサンガー・アビー』には、この建物がそのまま舞台として登場します。
その床の下から、ローマ時代の兵士の兜のかけらが出てきました。2026年9月24日、建物を所有するナショナル・トラストが発表した発掘成果です。
改修工事がくれた、床下を掘るチャンス
アセンブリー・ルームズは2025年から休館して、2,000万ポンド規模の改修工事に入っています。第二次世界大戦の空襲で受けた損傷の修理、床と正面扉の交換、ジョージ王朝時代から残る10基のシャンデリアの保存処理などを進めていて、再開は2027年の予定です。
床を全面的に張り替えるとなると、その下の地面に手が届きます。これが考古学者にとっては大きなことで、建物が建って以来250年あまり、この区画の地下を調べた人はいませんでした。発掘を担当したウェセックス考古学のマレク・ルークンさんは、ジョージ王朝期の建物の床下を1メートルまで掘れる機会は初めてだったと話しています。
最初に出てきたのは、建物と同じ時代の落とし物でした。2026年7月に発表されたのは、かつらを整えるためのカーラー、軟膏(なんこう)の壺、作り手の刻印が入った喫煙用のパイプ、ワイン瓶、食事に出された肉の骨といった品々です。舞踏会に向けて髪を整え、裏庭で一服し、飲んで食べて帰る。オースティンが小説に書いた夜の、物証がそのまま出てきた形です。

さらに下に埋まっていたローマの溝
ところが掘り進めると、18世紀の層の下に、まったく別の時代のものが現れました。地面を網の目のように走る溝です。年代は2世紀から3世紀、ローマ帝国がブリテン島を支配していた時期にあたります。
溝の1本からは、ローマ時代の土器の破片がほぼ60点、ガラス容器、動物の骨、屋根瓦、貨幣3枚、それにモザイク床に使われていた可能性のある石灰岩の小片が見つかりました。モザイクの石が出るということは、近くにそれなりの建物があったことを示唆します。
バースという町は、ローマ時代の名前をアクアエ・スリスといいます。43年のクラウディウス帝によるブリテン侵攻から数十年のうちに、天然の温泉を囲む大浴場と、女神スリス・ミネルウァの神殿が建てられました。この大浴場は今もバースの観光の中心で、ローマ遺跡としてはイギリスでも指折りの知名度があります。
ただ、ローマ時代の居住域がどこまで広がっていたかは、分かっているようで分かっていない部分が多い場所でもあります。2世紀の市壁の外側、北へ伸びる街道沿いに人の活動があったことはこれまでにも記録されていました。一方、アセンブリー・ルームズのある西寄りの区画は、その上にジョージ王朝期の立派な建物が建ち並んでいるせいで、調べたくても調べられない土地だったのです。
社交の床下から出てきた兵士の兜
今回の発掘で、ナショナル・トラストが「最も興味をそそる」と表現したのが、ローマ軍の兜の破片です。
浴場と神殿で知られる町ですから、祈りと湯治のイメージが強いのですが、そもそも町をつくり、町から四方へ伸びる街道を敷いたのはローマ軍でした。発表では、軍の兵士がこの町と道路の建設に関わり、退役後は町の近くの別荘や周辺の田園で暮らした人もいただろう、という見方が示されています。兜のかけらは、その軍の存在をこの区画で裏づける手がかりになります。
それでは、ここは軍の施設だったのかというと、そう単純でもないようです。ルークンさんはガーディアン紙の取材に、ここに住んでいたのはおそらく今の郊外にいるような普通の人々で、土器やパンを売る小さな店を営んでいたのではないか、と話しています。兵士の装備が出たからといって、兵営とは限らない。溝の配置と出土品を合わせて見えてくるのは、町の中心からすこし離れた、軍の気配が混じる住宅地という姿です。
18世紀には貴族や紳士淑女がダンスをしていた床の、1メートル下に、2,000年近く前のパン屋と退役兵の暮らしの跡がある。この縦の重なりが、今回の発見のいちばんの面白さだと思います。
地上のバースだけが、ローマのバースではない
ナショナル・トラストのプロジェクト担当学芸員タチアナ・ルボフさんは、BBCの取材に対して、今回の成果はバースが「地上に見えているローマのバース」だけではないという可能性を開いた、と語っています。
これは具体的な話で、アセンブリー・ルームズの周囲には、同じようにジョージ王朝期の建物に覆われたまま一度も発掘されたことのない通りや敷地が広がっています。今回の区画でこれだけ出たのなら、隣の区画の下にも同じようなものが残っている可能性は高い、というのが発表の見立てです。
ただし、ここで何が行われていた場所なのかは、まだ分かっていません。ルークンさん自身がそう明言しています。出土品の分析はこれからで、査読を経た論文も出ていない段階です。周囲の建物で改修の機会が巡ってくれば、そのたびに少しずつ地図が埋まっていく、そういう時間のかかる仕事になります。
アセンブリー・ルームズは2027年に、ジョージ王朝期の舞踏会を体験できる施設として再開する予定です。かつら用カーラーやパイプは展示に回されるとのことですが、その下から出たローマの溝のことも、どこかに一言添えてほしいところです。オースティンの読者がダンスホールに立ったとき、足元のさらに下にもう一つの町があったと知っているかどうかで、見える景色はずいぶん変わるはずですから。
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