ローマ時代の墓地を掘っていたら、その下から3,000年古い石器時代の墓が出てきた

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ポーランド南西部、ヴロツワフのすぐ隣にあるジュラヴィナという村で、およそ4,900年前の男性の墓が見つかった。首もとには、根元に穴をあけた動物の歯を42本つないだ首飾り。右ひじの下には石の戦斧(せんぷ)。そしてそばには、本人のものではない人間の頭蓋骨が2つ置かれていた。

骨を調べているヴロツワフ医科大学の人類学者パヴェウ・ドンブロフスキ氏は、狩人か戦士の墓かもしれないが、この首飾りからすると一族の長のような重要人物だった可能性がある、と述べている。ヴロツワフ医科大学が9月2日と4日に発表し、Live Scienceが9月5日に報じた。

副葬品だけでも十分に目を引くのだが、この墓には見つかり方にもう一つ意外な点がある。

ヴロツワフ郊外で見つかった42本の歯の首飾り

首飾りに使われていた42本は、いずれも切歯(前歯)と犬歯だった。並び方が整っていたので、掘り出した時点でひもに通されていたものだと分かったという。あとで一本ずつ確かめると、全部の歯の根に穴があけられていた。

歯の持ち主は大型の哺乳類で、ドンブロフスキ氏は見た目からオオカミなどのイヌ科、シカの仲間、若いクマの歯が混じっていると見ている。人間の歯が含まれている可能性も否定していない。どの動物のものかは、今後の遺伝子解析で確定させる予定だ。

首飾りのわきには、骨と琥珀(こはく)のビーズがいくつか。少し深いところから成人男性の骨格が現れ、小さな矢じりとナイフのようなフリント(火打ち石に使われる硬い石)の刃が2点、それに石の戦斧が一緒に出た。

発掘現場は1,600年前の墓地

ここで舞台の説明をしておきたい。ヴロツワフ大学とヴロツワフ医科大学の研究者・学生・ボランティアがこの夏ジュラヴィナで掘っていたのは、西暦350年から430年ごろの墓地だった。ローマ帝国の影響が薄れ、フン族の到来をきっかけに民族大移動が始まる時期にあたる。発掘を指揮したのはヴロツワフ大学の考古学者トマシュ・グララク氏で、ドンブロフスキ氏は人骨を調べる人類学チームを率いていた。

調査は約4週間続き、いよいよ機材を片づけて撤収というところまで来ていた。その最終盤に、地面に直径4メートルほどの円い輪郭が見えた。土を盛った墓、つまり墳丘の跡のように見えたので、掘ってみることにした。出てきたのが、あの首飾りだった。

戦斧が示した3,000年の時間差

ここで効いたのが、骨格のそばにあった戦斧である。材質は蛇紋岩(じゃもんがん)という緑がかった石で、その形は紀元前2900年ごろ、新石器時代の中ごろに使われていたタイプのものだった。

つまりこの墓は、まわりの墓地より3,000年以上も古かった。1,600年前の人々が墓地として使った場所に、その彼らから見てもさらに3,300年前の墓が、たまたま埋まっていたことになる。ローマ時代の墓地を掘っていたはずの研究者たちが、最後の最後で石器時代に突き当たったわけだ。

この時期にこの一帯にいたとみられるのは、縄目文(なわめもん)土器文化の人々である。土器の表面に縄を押しつけた模様が特徴で、およそ5,000年前から東ヨーロッパ・中央ヨーロッパの広い範囲に広がった。インド・ヨーロッパ語族の言語をヨーロッパに広めた集団と考えられていて、その遺伝的な痕跡は今のヨーロッパ人にも残っている。ドンブロフスキ氏によれば、この文化の人々の墓はポーランド東部で止まることが多く、ヴロツワフ周辺でこの時代の墳丘墓が見つかったのは今回が初めてだという。

年代については断りが要る。紀元前2900年という数字は、斧の様式から割り出した暫定のもので、放射性炭素年代測定の結果は秋に出る。ドンブロフスキ氏はずれても前後200年程度と見込んでいるが、確定はそれからになる。

副葬品から見える人物像

石器時代と分かったうえで副葬品を見直すと、この人物の立ち位置がいくらか読み取れる。

戦斧は刃先が少し欠けていて、使い込まれた跡があった。副葬のために形だけ添えられた飾りではなく、実際に戦いか狩りで振るわれた道具だとグララク氏は見ている。歯を42本集めて穴をあけ、ひもに通した首飾りは手間のかかる品で、これに琥珀と骨のビーズが添えられていた。両氏はこの男性を、一族の長、優れた戦士、あるいは腕のいい狩人といった、地域の集団の中で特別な立場にいた人物と推測している。ただし、どれかに絞れる根拠はまだない。

そして2つの頭蓋骨である。いずれも一部しか残っていないが、首飾りのそばに置かれていた。研究チームが立てている仮説は、切り落とされた頭が供物のようなかたちで一緒に埋められた、というものだ。ただしこれは仮説にとどまる。首を切り離す行為があったなら、骨に刃物による傷が残っているはずで、これから頭蓋骨と首の骨を詳しく調べて、そのような痕跡があるかどうかを確かめる。痕跡がなければ、この見方は取り下げられることになる。

数キロ先のもう一つの墳丘墓

ジュラヴィナの墓が見つかったのとほぼ同じころ、数キロ離れたイヴィニという村の建設現場でも、民間の考古学会社による緊急調査で似た墳丘墓が出ていた。こちらには骨格とともに戦斧が2本、フリント製の道具、琥珀の装飾品が納められていた。さらにその後、同じイヴィニでもう一つ墳丘墓が見つかり、中から子牛の骨が出た。動物を供物として埋めたのかもしれない。

この地域でこの時代の墳丘墓が見つかったのは、この2か所が初めてになる。二つの大学は両方の遺跡の資料を合わせて調べる方針で、埋葬された人々に血縁があるのか、どこから来たのかを突き止めようとしている。

これから始まる分析

骨の多くは崩れかけていたため、周囲の土ごと切り出して持ち帰った。土の塊のままエックス線で透視してから、慎重に取り出す手順になる。

そのうえで、男性本人と2つの頭蓋骨の性別と年齢を調べ、それぞれの骨を放射性炭素で年代測定して、本当に同じ時代のものかを確かめる。ハプログループ(祖先の系統を示す遺伝子の型)から、この人々がどこから移動してきたのかも探る。骨の組織と化学分析からは食生活が分かる。肉が主だったのか、小麦や大麦のような初期の穀物を食べていたのか。歯のエナメル質に残る細かな傷からは、食べ物が硬かったか柔らかかったか、加熱調理されていたかまで推定できるという。

最初の結果が出るのは今年の後半とされている。首飾りの歯が本当に人間のものを含むのか、2つの頭蓋骨が誰のもので、なぜそこにあったのか。いまの段階で分かっているのは、片づけの直前に見つかった円い輪郭の下に、まわりより3,000年古い誰かが眠っていた、ということまでである。

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出典

ヴロツワフ大学(PAP・Nauka w Polsce配信記事の転載、2026年9月4日):Antropolog: znaleziony pod Wrocławiem naszyjnik z zębów pochodzi sprzed około 5 tys. lat

Gazeta Wrocławska(2026年9月):Niezwykłe odkrycie pod Wrocławiem. Znaleźli grób sprzed 5 tysięcy lat

Live Science(Kristina Killgrove、2026年9月5日):Excavation in Poland reveals Stone Age man buried with decapitated heads and a tooth necklace

今回の発見はまだ学術誌に論文として発表されておらず、大学の発表と研究者への取材にもとづく速報段階の情報である。年代・歯の由来・頭蓋骨の解釈は、今後の分析で変わる可能性がある。

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