2023年、アラスカ湾の海底——光のまったく届かない水深3,250メートルほどの暗闇で、岩に張りついた金色の球体が見つかりました。大きさはソフトボールくらい、なめらかなドーム型で、片側に小さな穴。映像を見ていた調査クルーは「ホラー映画の冒頭みたい」「X-ファイルの第1話はこんなふうに始まった気がする」と口々に言ったそうです。持ち帰って専門家が調べても、卵なのか、海綿(カイメン)なのか、それとも未知の何かなのか——誰も言い当てられないまま、2年半が過ぎました。
そして2026年4月、ようやく正体が判明します。これは生き物そのものではなく、巨大な深海イソギンチャクが岩にくっつくために体の底から分泌していた“土台”の遺骸でした。卵でも、未知の生物でも、ましてや宇宙由来の何かでもなかったわけです。
アラスカ湾の深海で見つかった「金色の球体」
見つかったのは2023年8月30日、アメリカ海洋大気庁(NOAA)の調査船オケアノス・エクスプローラーが、遠隔操作型の無人探査機(ROV)「ディープ・ディスカバラー」でアラスカ湾の海山を調べていたときのことでした。水深約3,250メートル——富士山がまるごと沈むよりまだ深い、真っ暗で冷たく、強い水圧がかかる世界です。探査機のライブ映像に、岩肌に張りついた金色のドームが突然映り込みました。
その場の見立てはバラバラで、卵のかたまり、海綿、微生物の膜、なかには「黄色い帽子みたい」という声まで出たといいます。探査機の吸引装置でそっと回収し、ワシントンのスミソニアン国立自然史博物館へ送りましたが、間近で見てもやはり正体はつかめません。結局「正体不明の生物サンプル」として登録されました。

正体は巨大イソギンチャクの“土台”
結論から言うと、金色の球体は生き物そのものではありませんでした。巨大な深海イソギンチャクが、岩にしっかり張りつくために体の底から分泌していた丈夫な外皮(クチクラ)の遺骸だったのです。イソギンチャクの体の下に隠れている部分で、ふだんはそれだけを取り出して調べる機会がほとんどない、いわば“足あと”のような構造でした。
金色に見えるのは、この外皮をつくる丈夫なタンパク質によるもの。冷たく高圧の深海ではゆっくりとしか分解されないため、本体がいなくなったあとも、しばらく金色の塊として残ります。つまり、誰も見たことのない奇妙な物体の正体は、ほとんど誰も間近で見たことのなかった“イソギンチャクの裏側”だった、ということになります。
正体特定までの2年半
NOAA漁業局の国立分類学研究所を率いる動物学者アレン・コリンズ氏は、当初「いつもの手順で正体は分かるだろう」と考えていたといいます。ところがこれが特別に手強い相手でした。最初に試したDNAの簡易判定(バーコーディング)は、はっきりした答えを出せません。球体の表面にびっしり付いた微生物のDNAが混ざり込み、肝心の“本体”の遺伝情報が埋もれてしまったためと考えられています。
手がかりになったのは、顕微鏡で見えた刺胞(しほう=獲物を捕らえる毒針のような細胞)でした。表面はスピロシストと呼ばれる種類の刺胞で覆われており、これはイソギンチャクや六放サンゴの仲間(六放サンゴ類)だけが持つもの。これで候補がぐっと絞られます。さらに、こまかい遺伝情報をまるごと読む全ゲノム解析にかけたところ、ある深海イソギンチャク Relicanthus daphneae(レリカンサス・ダフネアエ)の遺伝情報と、ほぼぴったり一致しました。長年この生物を研究してきた専門家が、問題の組織を“岩に張りつくための外皮”だと見抜いたことも決め手になっています。
2021年に別の調査船が回収していた、よく似た標本の存在も後押しになりました。両者を比べると同じ刺胞を持ち、遺伝情報もほぼ同一。形・遺伝・深海生物学・情報解析という複数の専門知識を持ち寄って、ようやく1つの答えにたどり着いた格好です。
謎の主、レリカンサス・ダフネアエ
正体の“主”であるレリカンサス・ダフネアエは、クラゲやサンゴ、イソギンチャクと同じ刺胞動物の仲間で、イソギンチャクによく似た深海生物です。触手は2メートルを超えることもあり、大人の背丈より長く伸びます。めったに見つからず、本体が丸ごと採れること自体まれなため、岩に張りつく“底”の部分にいたっては、これまでほとんど調べられてきませんでした。今回の球体は、その滅多に見られない部分を図らずも単体で手にした、貴重な機会だったとも言えます。
本体がどうなったのかは、まだ分かっていません。別の場所へ移動した(深海のイソギンチャクは這ったり転がったりして動くことが知られています)、あるいは体の一部がちぎれて増える無性生殖の跡、または単に死んだあと——いくつかの可能性が挙がっていますが、決め手はなく、ここは謎のまま残されています。
深海探査が教えてくれること
深海にすむものの多くは、まだ人類が見たことのないものばかりです。今回の件で印象的なのは、本体ではなく“抜け殻のような遺骸”しか手元になかったにもかかわらず、形態の観察とDNA解析を組み合わせることで種までたどり着けた点です。生き物がいなくなったあとに残された構造からでも、それがどの種のものかを突き止められる——この手法は、これからの海底調査で「正体不明の妙な塊」に出くわしたときの向き合い方を変えていくかもしれません。
NOAA側も、こうした謎はDNA解析のような新しい技術で1つずつ解けるようになってきており、だからこそ探査を続ける意義がある、という趣旨を語っています。深海はいまも、見るたびに何かしらの驚きを返してくる場所だということです。
解釈上の留意点
今回の特定をまとめた論文は、2026年4月にプレプリント(査読前の段階の原稿)として「bioRxiv」で公開されたものです。複数の独立した証拠(形態の観察・刺胞の種類・全ゲノム解析・別標本との一致)が同じ結論を指しており、説得力のある特定ですが、正式な査読を経た最終決定版ではない点には注意が必要です。本体がなぜ抜け殻だけを残したのかなど、残された問いもあります。今後の検証や追加の調査で、細部が更新される可能性はあります。
出典・もっと知りたい人へ
NOAA公式発表「Scientists reveal identity of mysterious ‘golden orb’」:noaa.gov
プレプリント論文(bioRxiv・査読前):Auscavitch et al. “The Curious Case of the Golden Orb – Relict of Relicanthus daphneae”:biorxiv.org
ScienceDaily(無料で読める解説):sciencedaily.com


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