1920年代の部品だけで「機械式テレビ」を再現——ニプコー円板でうつす100年前の映像

テクノロジー・エネルギー
スポンサーリンク

いまのテレビが映し出す映像は、薄いパネルの上にびっしり並んだ画素でできている。けれど、テレビが家庭に入ってきたいちばん最初の時代、映像を作っていたのは電子部品ではなく、穴のあいた円板がぐるぐる回る「機械式テレビ」だった。その100年前のしくみを、当時手に入った部品だけで一から組み上げようとしている人がいる。

機械式テレビという原点

ブラウン管(CRT)よりも、さらに前。テレビの最初の姿は、回転する円板で画像を読み取り、また映し出す機械じかけの装置だった。その中心になるのが「ニプコー円板(Nipkow disk)」——19世紀にパウル・ニプコーが考案した、穴をらせん状に並べた円板である。

この円板を高速で回すと、らせん状に並んだ穴が、決まった範囲を順番に横切っていく。穴の位置が少しずつずれているので、上から下へ流れる何本もの線になって、画面の隅から隅までをなぞる。光源の明るさを、穴が横切るタイミングに合わせて変えてやると、その線の集まりとして一枚の絵が浮かび上がる。映す側も、撮る側も、同じ円板で実現できるのがこの仕組みの面白いところだ。

1920年代、これを実用にしたのがジョン・ロジー・ベアードだった。彼の受像機「テレビジョン受像機(Televisor)」は、わずか30本ほどの線(走査線)で人の顔を映し、その映像はAMラジオの電波に乗せて送れるほど情報量が小さかった。映る絵はネオンランプ特有の、ぼんやりしたピンク色。解像度は今からは想像もつかないほど粗いが、それでも顔の表情は意外なほど分かったという。

2026年1月、Hackadayはこの機械式テレビの発明から100年という節目に触れている。つまり、いまの私たちが当たり前に見ている映像の出発点は、ちょうど一世紀前にあった。

1920年代の部品だけで組む試み

今回の主役は、製作者のPaul Kocylaさん。彼が挑んでいるのは、ただ機械式テレビを再現することではない。2026年のいま、マイコンや明るいLEDを使えば、機械式テレビ自体はそれほど難しい工作ではなくなっている。彼があえて自分に課しているのは、「1920年代に手に入った部品だけで作る」という縛りだ。当時はまだ技術の最先端のさらに先にあったものを、当時の制約のまま組み直そうとしている。

現時点で揃っているのは、木製のシャーシ(土台の枠)、当時式の電源と増幅器(アンプ)、回転を一定に保つための同期モーター、そして要となるニプコー円板。装置の骨格はほぼできあがっている。残っているのは電子回路の仕上げと、もう一つ厄介な部品探しだ。

残る課題、ネオンランプ

最後に立ちはだかっているのが、映像を光らせるためのネオンランプ。それも、ふつうの細長いネオン管ではなく、機械式テレビ専用に作られた「平板型」のネオンランプが要る。画面いっぱいを均一に光らせるために発光面が平たい板状になった特殊な部品で、もともと数が少ないうえに、作られなくなって久しい。1920年代の部品でそろえるという縛りのなかでは、ここがいちばんの難関になりそうだという。

製作はまだ途中で、完成したわけではない。それでも、当時の技術者がどんな部品と格闘していたのかを、文字どおり手を動かしてたどっていく過程そのものが読みどころになっている。

自分の手でたどる初期テレビ

機械式テレビは、1930年代に入ると全電子式(CRT)の方式へ一気に置き換えられた。市販された台数も少なかったため、現存する実物はごくわずかしかない。博物館でガラス越しに眺めるしかないような技術を、当時の制約のまま組み直してみる。そうすると、教科書の一行では分からない苦労や工夫が見えてくる。なぜ初期のテレビが30本程度の走査線にとどまったのか、なぜ全電子式へ移っていったのか。仕組みを手でなぞると、その理由が腑に落ちる。

ニプコー円板は古い技術に見えて、じつは今も生きている。光を一点に絞って試料をなぞる「共焦点顕微鏡」では、回転する円板で多数の光点を同時に走らせる方式が、いまも研究の現場で使われている。100年前のアイデアが、形を変えて最先端の機器に残っているわけだ。

完成すれば、100年前の人々が初めて「動く映像」を家庭で見たときの、あのぼんやりとピンクに光る画面がよみがえることになる。途中経過を追いかける価値のある製作だ。

出典

Mechanical TV, Without The Benefit Of New Parts(Hackaday)

Mechanical Image Acquisition With A Nipkow Disc(Hackaday/ニプコー円板の仕組みと歴史)

コメント

タイトルとURLをコピーしました