「石器時代のペストは、そもそも人を殺せるほど強かったのか」。長いあいだ決着のつかなかったこの問いに、シベリアの古い墓地からはっきりした答えが出ました。答えは「殺せた」。しかも同じ証拠が、「ヨーロッパの人口が新石器時代に大きく落ち込んだのはペストのせいだ」というもう一つの説を、補強するどころか、かえって難しくしています。
2026年6月に学術誌『Nature』に載った、査読を通った研究です。舞台はヨーロッパではなく、遠く離れたバイカル湖のほとり。そこで見つかった大量死の痕跡が、疫病と先史時代の社会をめぐる議論の風向きを変えました。
「新石器時代の人口減少」という長年の謎
いまから5,400〜5,000年ほど前、ヨーロッパの広い範囲で人口が目に見えて減った時期があります。考古学では「ネオリシック・ディクライン(新石器時代の人口減少)」と呼ばれてきました。にぎわっていた集落が次々と捨てられ、そのまま二度と使われなくなる。20世紀の初めから、その原因は何かと問われ続けてきた古い謎です。
有力な説は大きく二つ。ひとつは、農業がうまくいかなくなったという「農耕危機説」。土地がやせ、穀物がとれなくなって人が減ったという見方です。もうひとつが「ペスト説」。当時の人骨からペスト菌(Yersinia pestis=ペストを起こす細菌)のDNAが見つかっており、疫病が人口を削ったのではないか、というわけです。
争点だった初期ペストの致死性
ただ、ペスト説には長らく大きな弱点がありました。5,000年前ごろの古いペスト菌は、後の時代の菌が持っている「毒性の道具」をまだ持っていなかったのです。
中でも欠けていたのが、ノミの体内で菌を生き延びさせる遺伝子(ymt)。この遺伝子があるからこそ、ノミが菌を運び、噛まれた人が腺ペストになります。中世ヨーロッパを襲った黒死病は、まさにこのタイプでした。ところが石器時代の初期の菌にはそれがない。だから「ノミ経由で腺ペストとして広がる、あの恐ろしいペスト」とは別物で、そもそも人をたくさん殺すほどの力があったのか、はっきりしなかったのです。中には、ひどい食あたり程度のおとなしい感染症だったのでは、という見方さえありました。
つまり「ペストが人口崩壊を招いた」と言うには、その前に「初期ペストは本当に致死的だったのか」を確かめる必要があった。ここが長く空白のままでした。

バイカル湖畔の狩猟採集民に残る大量死
今回の研究チームは、その空白を埋める手がかりを思わぬ場所で見つけました。ヨーロッパではなく、シベリア南東部・バイカル湖の西側を流れるアンガラ川沿いにある、狩猟採集民の墓地です。
4か所の墓地から出た46人分の古代DNAを調べたところ、ペスト菌が検出された割合は全体で39%にのぼりました。これは飛び抜けて高い数字です。時期をたどると、感染の波は一度きりではなく、数百年の間隔をあけて二度あったこともわかりました。最初の波は、およそ5,500年前。ヨーロッパの人口減少が始まるより前の時代です。
注目すべきは、亡くなり方でした。放射性炭素年代を細かく見ると、同じ墓地の犠牲者たちが数十年という短い幅の中に集中している。しかも複数の遺体を一緒に納めた墓が多く、あとから追加で埋め直した形跡がない。まとめて、ほぼ同時に亡くなった人たちを埋葬した——そう考えると、つじつまが合います。
人から人への感染と、子どもへの偏り
チームは、残されたDNAから家系図(誰と誰が親子・きょうだい・いとこか)を復元しました。すると、亡くなった家族どうしの年齢の組み合わせが、「全員が同じころに一度に亡くなった」と考えたときにきれいに収まることがわかりました。ある墓地では、最初の流行は一世代もかからないうちに集団を襲ったと見られます。血縁のある者どうしが感染していた形跡は、菌が動物からではなく人から人へ広がったことを示しています。
もう一つ、痛ましい特徴がありました。犠牲者は子どもに大きく偏っていたのです。二つの墓地では、亡くなった年齢が8〜11歳あたりに山をつくっていました。ほかのバイカル湖畔の墓地にはない、この墓地だけの偏りです。ある墓では、4〜9歳の女の子3人が一緒に葬られ、3人ともペスト菌が検出されました。近い血縁の子どもたちが、そろって同じ病で亡くなったことになります。
研究チームは、初期の菌が持っていた別の毒素遺伝子(ypm)が、免疫のしくみの違いから特に子どもに強く作用した可能性を挙げています。ただしこれは、実際にどれだけ効いたかを確かめる追加の実験が要る、慎重な推測です。
感染ルートとマーモットの関与
菌にノミ媒介の遺伝子がない以上、噛まれてうつる腺ペストではありません。ではどう広がったのか。研究チームが有力とみるのは、咳などの飛沫でうつる肺ペストの形です。家族単位でまとまって亡くなっているパターンは、この人から人への飛沫感染とよく合います。
そもそも菌はどこから来たのか。バイカル湖周辺で今もペストをためこんでいる動物は、マーモット(大型のリス科の齧歯類)です。この地域では毛皮や肉のためにマーモットを狩る習慣が古くからあり、解体のときに感染する例が近代まで記録されています。狩猟採集民がマーモットを捕らえる際に菌をもらい、そこから人の間に広がった——という筋書きが、いちばん無理がありません。
ヨーロッパ人口崩壊説への影響
ここで話が皮肉なねじれ方をします。この研究は「初期ペストは致死的だった」という争点には決着をつけました。けれど同時に、「ヨーロッパの人口崩壊はペストのせい」という説を、単純には後押ししないのです。
理由は、大流行が起きた場所にあります。バイカル湖畔の狩猟採集民は、人口密度の低い、少人数で移動しながら暮らす集団でした。農耕もしていません。それでも致死的な流行が起きた。つまり「人口が密集し、農耕で暮らしぶりが変わったことが、大流行の前提条件だった」という、これまでの前提が崩れます。
この前提は、ヨーロッパの物語を組み立てる土台でもありました。「農耕で人が密集した→だからペストが大流行した→だから人口が崩壊した」という筋道です。その入り口の「密集が必要」という部分が要らないとなると、ヨーロッパの人口減少をペスト一つで説明する図式も、あらためて問い直すことになります。実際、研究チーム自身が、ペストを後期新石器時代ヨーロッパの人口減少の「決定的な単独要因」とみる従来の解釈を見直すものだ、と述べています。
つまり、こういうことです。初期ペストが人を、とりわけ子どもを殺せたことは、はっきりした。けれど、それがヨーロッパの人口崩壊の主因だったかどうかは、むしろ前より複雑になった——答えが一つ出たぶん、別の問いが一つ増えた、というのが正直なところです。
解釈上の留意点
いくつか押さえておきたい点があります。まず、この研究が直接調べたのはシベリアのバイカル湖畔であって、ヨーロッパそのものではありません。ヨーロッパの崩壊を説明した研究として読むと、行き過ぎになります。
また、古代DNAからのペスト検出は取りこぼしが多く、「検出されなかった=感染していなかった」とは言い切れません。子どもへの偏りの理由も、免疫の違い・生活上の役割の違いなど複数の可能性が残っており、どれか一つに断定できる段階ではありません。査読を通った研究ではありますが、「ヨーロッパ崩壊の犯人が判明した」といった読み方は、研究が言っている範囲を超えます。
出典
元になった研究は、オープンアクセスで全文が読めます。
・Macleod, R., Seersholm, F. V. et al. “Lethal plague outbreaks in Lake Baikal hunter-gatherers 5,500 years ago.” Nature 654, 697–705 (2026).
https://www.nature.com/articles/s41586-026-10540-5
・一般向けの解説(The Conversation/Phys.org 転載):
https://phys.org/news/2026-06-prehistoric-plague-population-collapse-stone.html

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