冷凍機なしの量子もつれ:浮遊するガラス粒と飛んでいく光

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量子もつれの実験というと、思い浮かぶのはだいたい二つの光景です。ひとつは、光子を2個飛ばして離れた場所で測る、あの定番の構図。もうひとつは、金色の配管が何段も重なった冷凍機の中に、小さな装置が吊り下げられている写真です。どちらも「量子の世界は小さくて、冷たい」という印象を強めてきました。

イタリア・フィレンツェ大学などのチームが2026年に科学誌Scienceで報告した実験は、その両方から少しずつ外れています。相手にしたのは光子でも原子でもなく、直径100ナノメートルのガラス球です。ウイルスと同じくらいの大きさで、原子に換算すると数千万個分。これをレーザーで宙に浮かせ、その球の「動き」と、球をかすめて飛んでいく光とのあいだに量子もつれを作りました。しかも、実験室は室温のままです。

宙に浮いたガラス球

実験の主役は、光ピンセットと呼ばれる装置です。レーザーを一点に強く絞ると、光が物を押す力(放射圧)で小さな粒をその場に捕まえておけます。ガラス球はこの光に捕まって、何にも触れずに浮いています。周りはほぼ真空で、空気の分子がぶつかってくる心配もほとんどありません。

球は固定されているわけではなく、捕まった位置を中心に小さく揺れ続けています。この揺れ、つまり球全体の重心の運動が、今回の実験で量子的にふるまう対象です。原子ひとつひとつの話ではなく、数千万個の原子がかたまりとして動く、その運動を扱っています。

さらに球は、向かい合わせの鏡2枚でできた光共振器(こうしんき)の中に置かれています。鏡のあいだで光が往復する空間に球があると、球の揺れが光に刻み込まれ、逆に光が球の揺れを押したり引いたりします。この光と運動のやり取りが、実験の土台になっています。

冷やす光ともつれさせる光の役割分担

球の運動を量子的な領域まで持っていくには、まず揺れを静めなければなりません。粒の揺れが大きいうちは、量子力学の微妙な相関は熱の揺らぎにかき消されてしまうからです。チームは2025年に、光を使ってこの球の揺れを量子的な最低状態の近くまで冷やす実験をすでに報告していました。今回の実験はその続きにあたります。

ところが、ここに一つ問題がありました。揺れを冷やす光と、もつれを作る光は、やることが正反対なのです。冷やす光は球の揺れからエネルギーを奪いますが、もつれを生む光は逆に揺れを大きくし、放っておくと球が不安定になってしまいます。

チームの答えは、2本のレーザーに仕事を分けることでした。共振器が最もよく光を通す周波数(共鳴)に対して、少し低い周波数に合わせた「赤」のレーザーと、少し高い周波数に合わせた「青」のレーザーを用意し、別々の共鳴に対応させて、両方を一つの光ピンセットとして束ねます。赤い光が球の揺れを冷やして安定させ、青い光がその静まった運動と光とをもつれさせる。二つの光が同じ球に同時に働いて、冷却ともつれ生成を両立させています。

できあがったもつれは、球の「位置と運動量」と、光の「振幅と位相にあたる二つの量」を結びつけるものです。責任著者のFrancesco Marin(フィレンツェ大学)はScienceAlertの取材に、この状態では球の量子的な揺らぎと光の量子的な揺らぎをもう別々には記述できず、光の量を測ると球の状態まで変わってしまう、と説明しています。「球」と「光」という分け方そのものが成り立たなくなり、両方をまとめた一つの状態として書くしかなくなる。これが量子もつれの定義そのままです。

室温の実験室で冷えているもの

ここで、冒頭の「室温」の意味をはっきりさせておきます。光と物体の運動を結びつける実験の多くは、装置ごと極低温に冷やして熱の揺らぎを抑えます。今回の実験では、それをしていません。真空容器も、鏡も、レーザーも、研究室の空気も、ふつうの温度です。

冷えているのは、球の重心の揺れという一つの運動だけです。宙に浮いていて何にも触れていないので、周りの壁から熱が伝わってくる経路がなく、真空なので空気からの熱もほとんど入りません。残る経路はレーザーの光だけで、その光が揺れからエネルギーを奪い続けている。だから、部屋は室温でも、この一つの運動だけはずっと低い「実効的な温度」に保たれています。Marinの言い方を借りると、浮上と高真空と光冷却の組み合わせがあるからこそ、環境からの加熱がすべてを壊す前に量子的な相関が育つ時間ができる、ということです。

つまり冷凍機が要らないのは、冷やさなくてよくなったからではなく、冷やす範囲を「球の揺れ」ひとつに絞り込めたからです。装置の像がひっくり返るように感じるのは、この絞り込みが効いています。

証拠は外へ出ていく光に残る

もつれを作るだけでは、実験は半分です。残りの半分は、観測された相関が本当に量子的なもので、ふつうの物理で説明できる相関ではない、と示すことです。

その証拠が書き込まれていたのは、共振器から外へ漏れ出していく光でした。球が鏡のあいだで揺れると、その情報は光に乗ります。チームは共振器から出てくる光をヘテロダイン検出という方法で測り、球の位置・運動量と光の振幅・位相との相関を、組み合わせごとに全部再構成しました。

量子力学には、二つの系が「別々に書ける(分離可能)」か「もつれている」かを分ける境界があります。再構成した相関はこの境界を越えてもつれ側にあり、測定の不確かさを見込んでも、解析の前提を変えて試しても、もつれ側にとどまりました。Marinは、これが相関を本物の量子もつれと判断する根拠だと述べています。

派手な瞬間があったわけではないそうです。真空容器が十分な低圧に達するまで何時間も待ち、そのあいだ3系統のレーザーを安定に保ち続ける。データを取り始めてからも、解析の方法を詰めて、扱うデータ量を増やしていくうちに、もつれの存在が統計的に浮かび上がってくる。Marinはそれを「ほっとした瞬間」と表現しています。

共振器の中に閉じ込めない意味

この結果でチームがとくに強調しているのは、もつれが共振器の中の光にとどまらず、外へ飛んでいく光にも残っていた点です。鏡のあいだに閉じ込められた光は、その場でしか使えません。外に出た光は進んでいく量子系になり、原理的には光ファイバーの網を通して別の場所へ送ったり、離れた場所で測ったり、別の量子装置と相互作用させたりできます。Marinはこの外へ出る光を、球の運動を外の世界につなぐ「チャンネル」と呼んでいます。

論文自体も、動かない物体の運動と「飛んでいく光」とのあいだで持続するもつれを実現したのは今回が初めてだと位置づけています。これまでに、振動する機械系どうしのもつれや、極低温の環境で太鼓状の振動子とマイクロ波をもつれさせた例はありましたが、浮いた物体の運動と外へ出ていく光との持続的なもつれは、理論的な提案は古くからあったものの実験では実現していませんでした。

これからの課題

できたのは、もつれた状態を定常的に作って観測することまでです。チームが次の目標として挙げているのは、もつれをもっと強くすること、そして観測するだけでなく時間的に制御できるようにすることです。それができれば、量子情報をこの振動子に書き込んで、保持して、読み出すという使い方が見えてきます。Marinはさらに先の話として、別々の光ピンセットに浮かべた複数の球をつないで、大きな量子系にすることを挙げています。

いまの段階で言えるのは、ウイルス大の物体の運動と、外へ飛んでいく光とのあいだに、室温の実験室で量子もつれを作って確認できた、というところまでです。「光子2個」の話として知られていた量子もつれが、目に見える大きさへ一歩近づいた物体にまで広がり、しかもその一歩に冷凍機が要らなかった。すごい話ほど淡々と書くほうがよいと思うので、このまま置いておきます。

出典

論文:Q. Deplano, A. Pontin, F. Marino, F. Marin, “Stationary entanglement of a levitated oscillator with an optical field”, Science (2026). DOI: 10.1126/science.aeh1375(本文は有料の場合があります)

同じ内容の原稿は arXiv で無料で読めます:arXiv:2602.03456

解説記事:Physicists Quantum-Entangled a Levitating Speck of Glass With Light at Room Temperature(ScienceAlert, Michelle Starr)

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