兵馬俑を作ったのは成人男性だけではなかった。粘土に残る79個の指紋が示す、女性と子どもの手

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中国・西安の郊外に眠る秦始皇帝の陵墓には、等身大の兵士の像が8,000体ほど埋められています。1974年に井戸を掘っていた農民が土の中から焼き物の破片を見つけ、そこから50年かけて掘り出されてきた兵馬俑(へいばよう)です。遠目には同じ顔が並んでいるように見えますが、近づくと髪の結い方も顔立ちも鎧も一体ずつ違います。これだけの数の像を、いったい誰が作ったのか。考古学の世界では長いあいだ、大人の男の工人(こうじん)が作ったものだと、はっきり検証されないまま考えられてきました。

その前提を、像の表面に残った指紋から見直した研究が、秦始皇帝陵博物院の Xiaoxi Li さんたち8人のチームから出ました。論文は Journal of Cultural Heritage の2026年11月号に載るもので、10月中旬にオンラインで公開されています。

粘土に押し込まれた2,200年前の指紋

兵士像は粘土を成形して焼いたものなので、まだ柔らかいうちに工人が指で押さえた跡が、そのまま焼き固められて残っています。チームは1つの坑から出た兵士像36体を調べ、91個の指紋を見つけました。同じ人の指紋がくり返し付いているとみられる12個を除き、79個を分析に使っています。

指紋の場所は頭、腕、鎧、手、襟、足までさまざまです。79個のうち73個は、粘土を成形したり部品をつなげたりするときに指で直接押さえた跡で、頭と腕に多く残っていました。部品を持って押し付け、表面をなめらかにする作業で付いたものです。残る6個は、鎧の留め具や腰帯のように、先に作っておいた飾りを像の表面に押し当てたときの跡で、鎧の部分だけで見つかりました。どれも作業の副産物で、わざと残したものではありません。

指紋の線の間隔で年齢と性別を読む

指紋から人を特定する話はよく知られていますが、この研究で使うのは個人の識別ではなく、隆線(りゅうせん)と呼ばれる指紋の線と線の間隔です。人は成長するにつれて指が大きくなり、隆線の間隔も広がっていきます。子どものうちは男女の差がほとんどありませんが、骨の成長が止まる年ごろを過ぎると、男性のほうが女性より少し間隔が広くなります。ですから隆線の平均の間隔を測れば、その指紋を付けた人の年齢と性別について、おおまかな手がかりが得られます。

ただし、この手がかりには大きな弱点があります。年齢層や性別のあいだで値がかなり重なるのです。たとえば思春期の男の子の指紋は、大人の女性の指紋とほとんど区別がつきません。1個の指紋を取り出して「これは何歳の女性」と判定するのは無理があります。

そこでチームは、指紋を1個ずつ判定するのをやめ、79個全体の中に大人の男性・大人の女性・子どもがそれぞれどれくらいの割合で含まれているかを、統計のモデルで推定する方法をとりました。論文の題名にある「ベイズ混合モデル」がそれで、古代の陶工の指紋を調べるために2023年に提案された手法を土台にしています。値の分布全体を見るので、1個ずつでは重なって見分けられない集団の構成が、まとめて見れば浮かび上がる、という考え方です。

測った値をそのまま使うわけにもいきません。隆線の間隔には地域の集団ごとの差があり、粘土は乾いて焼かれるときに縮みます。チームはこの2つを補正したうえで推定しています。ただし比較の基準にした現代の指紋のデータはヨーロッパの集団のもので、ここが結果の不確かさの一因になっていると論文自身が認めています。

成人男性は半分に届かなかった

推定の結果、79個の指紋のうち大人の男性のものとみられるのは45%でした。32.7%は大人の女性、22.3%は15歳未満の子どものものと推定されています。「大人の男の工人が作った」という前提は、半分より少し下にとどまったことになります。論文はこれを、兵馬俑の制作に女性と子どもが加わっていたことを示す、初めての定量的な生物学的証拠だと位置づけています。

この結果は、文字の記録とも食い違いません。秦の時代、国が管理する工房で女性や子どもが働いていたことは歴史の記録に残っていて、とくに漆器の生産では多様な働き手がいたことが知られています。兵馬俑の工房がどうだったかは分からないままでしたが、指紋はそこに答えの一部を与えました。

子どもがいたこと自体は、当時の仕組みを考えると不自然ではありません。竹の札に書かれた秦の法律文書(岳麓書院秦簡)には、師匠がよく教えれば見習いは1年で、新しい工人は2年で修業を終える、という決まりが記されています。正式な見習い制度があったわけです。チームは、経験の浅い若い働き手が鎧の留め具を付けるような単純な作業を受け持ち、技術のいる仕事は熟練の工人がこなしていたのではないかと考えています。6個の飾りの指紋が鎧の部分に集中していたことと、合わせて読むと筋が通ります。

36体・1坑の指紋で言えること、言えないこと

結果の読み方には、論文が自分で挙げている限界があります。まず、79個の指紋は広大な陵墓のうち1つの坑の、36体からとったものです。兵馬俑全体の工房の姿をそのまま表しているとは言えません。

次に、指紋の割合は人数の割合とは違います。粘土の扱いに慣れていない人は表面を何度も押さえるので指紋を多く残し、熟練の工人はきれいに仕上げるので跡を残しにくい、ということが考えられます。子どもや新人の指紋が多めに数えられている可能性は否定できません。そして先に書いたとおり、比較の基準が現代ヨーロッパ人の指紋であることも、割合の数字をそのまま受け取れない理由です。

それでも、工人の顔ぶれが「大人の男だけ」ではなかったことまでは、この結果から言えそうです。チームは今後、指紋のデータベースをもっと多くの像に広げ、兵馬俑を作った人々の姿をさらに細かく描き出したいとしています。像の顔が一体ずつ違うように、作り手の顔ぶれもまた一様ではなかった、というのがこの研究の到達点です。

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