エジプトのサッカラで、「王令の秘密を守る者」という称号を持つ高官の墓が見つかった。エジプト観光・考古省が8月末に発表し、9月に入って海外の科学メディアが相次いで取り上げている。墓の主はセケンティウ・プタハという人物で、ピラミッドが盛んに建てられた古王国時代(紀元前2600年ごろ〜前2150年ごろ)を生きた。
墓には礼拝堂の跡と「偽扉(ぎひ)」が元の位置のまま残り、その前にはアラバスター製の儀礼具がひとそろい並んでいた。周囲の竪坑からは、100体を超える小像や、封印されたままの石棺3基も出ている。ただ、この発見でいちばん目を引く「秘密を守る者」という肩書きは、聞こえほど謎めいた役職ではないらしい。順に見ていく。
ブバステイオン西側での初めての発掘
サッカラはカイロの南およそ30kmにある広大な墓地で、古代の都メンフィスの人々が何千年にもわたって使い続けた場所だ。最古の階段ピラミッドで知られるジェセル王の葬祭複合体もここにある。
今回の現場は、そのサッカラの中でもブバステイオンと呼ばれる一角の西側だ。ブバステイオンは猫の姿をした女神バステトにちなむ名前で、時代が下った末期王朝時代(紀元前664年〜前332年ごろ)には猫のミイラが大量に葬られたことで知られる。エジプト人だけで構成された調査隊が、この西側の区画(セクターA)に初めて鍬を入れた第1シーズンの成果が、今回の発表にあたる。
元の位置に残っていた偽扉と儀礼具一式
古王国時代の墓には、地下の埋葬室のほかに、地上に礼拝堂が設けられた。遺族や神官がそこで供物を捧げるためだ。その礼拝堂の壁に彫られるのが偽扉である。名前のとおり開かない扉で、石の壁に扉の形を浮き彫りにしたもの。死者の魂はこの扉を通って現世と来世を行き来し、目の前に置かれた供物を受け取ると信じられていた。
セケンティウ・プタハの墓では、この偽扉が動かされずに元の場所に立っていた。そして扉の正面に、供物台、供物を載せる板、清めのための水盤、そして鉢が、アラバスター(半透明の白い石)で作られた一式として置かれていた。省によれば、これだけの儀礼具がひとまとまりで元の配置のまま出てくるのは珍しく、古王国時代の葬送儀礼がどう行われたかを知る手がかりになるという。

偽扉と儀礼具には、墓の主の名前と称号がヒエログリフで刻まれていた。読み取れた称号は「王の侍従」「王のすべての工事の監督官」「王の文書の監督官」「王令の秘密を守る者」「マアト女神の神官」「書記たちの監督官」の6つ。マアトは真理と秩序をつかさどる女神で、その神官という肩書きは、公正な行政に携わる役人がよく帯びた。年代について省は「古王国時代」としているが、この発掘に関わっていないニューヨーク大学のエジプト学者アン・メイシー・ロス氏は、偽扉の様式から第5王朝末か第6王朝初め、いまから約4,350年前ごろと見ている。
「秘密を守る者」の実際の職務
6つの称号のうち、報道の見出しになったのは当然「王令の秘密を守る者」だ。王の秘密を預かる腹心、あるいは陰の実力者——そんな人物像を思い浮かべたくなる。
けれども、ロス氏の見立てはずっと地味だ。この称号は王のもとで働く書記たちのあいだでは珍しいものではなく、王の文書と、それを書く人々を管理する立場にあるから、おのずと機密に触れられる——おそらくその程度の意味だろうという。つまり、王の秘密を握る密偵ではなく、機密文書を扱う文書管理の責任者だった、というわけだ。
ほかの称号を並べ直すと、この読みはしっくりくる。「王の文書の監督官」と「書記たちの監督官」は、王の名で出される命令書や記録を作り、保管する部門の長そのものだ。そこに「王令の秘密を守る者」が加わるのは、いま風にいえば「機密文書の取り扱い権限を持つ」という但し書きに近い。「王のすべての工事の監督官」は建設事業の統括者を指し、古王国時代には宰相クラスの人物も帯びた重い称号だが、それも書類と人を動かす仕事の延長線上にある。セケンティウ・プタハは、王の秘密を握っていたというより、王の秘密が書かれた紙を管理していた。称号の響きと中身のあいだには、それくらいの差がある。
千年以上あとに持ち込まれた副葬品
この発見には、もう一つ整理しておきたい点がある。報道で一緒に紹介された「100体以上のシャブティ」「彩色されたカルトナージュ」「木製のハヤブサ像」「封印された石棺3基」は、セケンティウ・プタハの墓そのものからではなく、その周囲に掘られた竪坑の連結システムから出たものだ。省の発表は、墓と竪坑群を最初から別の発見として書き分けている。
シャブティは、来世で死者の代わりに働く従者として墓に納められる小像だ。ファイアンス(釉薬をかけた焼き物)製の小像を100体単位で納める習慣は、古王国時代よりはるかにあとの時代のもので、末期王朝時代の墓によく見られる。カルトナージュも、麻布や紙を漆喰で固めてミイラを覆う素材で、やはり後の時代の埋葬に特徴的だ。省の発掘責任者アムル・エル・ティビ氏も、竪坑群は「特に末期王朝時代の」埋葬習慣を知る材料であり、この墓地が何度も再利用された過程を追える、と述べている。ロス氏も公開された写真と情報から、墓が後世に再利用されたと見ており、この点で発掘チームと外部の専門家の見方は一致している。
言い換えれば、セケンティウ・プタハの墓は、彼が死んでからおよそ1,500年以上たったころ、別の人々の墓所として使い直された。古王国の高官の礼拝堂の周りに、後世の人々が竪坑を掘り、自分たちの死者を葬った。サッカラでは珍しいことではなく、ロス氏によれば、古代エジプトでは墓の再利用はごく普通に行われていた。竪坑の一部は古代のうちに盗掘され、埋葬室のあいだに盗掘者の開けた穴が残っていたという。それでも3基の石棺は封印されたまま残った。
セケンティウ・プタハ本人のミイラは、今回の発掘では確認されていない。省は現在、出土品の記録と分析を続けており、成果は査読つきの専門誌で発表する予定としている。今のところ分かっているのは、彼の名前と6つの肩書き、そして礼拝堂で行われていた儀礼の道具立てまでで、遺体も、生涯の詳しい事績も、まだ土の中か、あるいはとうに失われている。
出典
本記事は、エジプト観光・考古省の発表を報じたエジプトの英字メディアと、外部の専門家のコメントを含む海外報道をもとに書いた。発掘の詳細は今後の学術報告を待つ段階で、査読を経た論文はまだ出ていない。なお、偽扉の枚数について、省の発表を伝えるAhram Onlineは「1枚が元の位置に残存」、Live Scienceは「2枚」としており、本記事は省の発表に従った。
An Old Kingdom tomb and burial complex unearthed in Saqqara(Ahram Online)
Ancient Egyptian tomb holding the king’s ‘keeper of secrets’ unearthed at Saqqara(Live Science)


コメント