2026年9月9日、米国のラスカー財団は、2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を、筑波大学の柳沢正史(やなぎさわ まさし)教授と、スタンフォード大学のエマニュエル・ミニョー教授に贈ると発表しました。受賞理由は、脳の中で目覚めを保っている物質「オレキシン」を突き止め、それが足りなくなるとナルコレプシーという病気が起きることを明らかにした業績です。
ラスカー賞は「米国版ノーベル賞」とも呼ばれる医学の賞で、受賞後にノーベル賞をとる人が多いことでも知られています。今回はその舞台裏の話です。この発見の出発点は、立派な仮説でも最新の装置でもなく、講演会場の客席から出た「うちの犬、興奮すると倒れるんです」というひと言でした。
客席の一言から始まった犬のコロニー
話は1970年のスタンフォード大学にさかのぼります。この年、睡眠研究の草分けだったウィリアム・ディメント氏が、ナルコレプシーの患者を診る専門外来を立ち上げました。ディメント氏は1950年代、シカゴ大学の大学院生だったころにレム睡眠の発見に立ち会った人物で、ナルコレプシーがレム睡眠の異常と深く関係していることを見抜いていました。
ちょうどそのころ、ディメント氏はサンフランシスコで開かれた米国医師会の会議で、ナルコレプシーを含む睡眠障害について講演しています。すると客席にいた人が声を上げました。「うちの犬が、まさに先生の言っている病気です。興奮するたびに、ばたんと崩れ落ちる。しかもいつも眠っている」。ミニョー氏は Live Science の取材で、この場面をこう語っています。
その犬はすでに安楽死させられたあとでしたが、ディメント氏は「犬にもナルコレプシーがあるなら、集めて研究できるのではないか」と考えました。獣医たちに声をかけて回り、最初のプードル「モニーク」をはじめ、症状のある犬が次々に見つかります。こうしてスタンフォードに、ナルコレプシーの犬だけを集めた小さなコロニーができました。
最初のうちは繁殖させてもうまくいきませんでした。犬でも人でも、ナルコレプシーの大半は遺伝で決まる病気ではないからです。ところが1977年、ひと腹まるごと発症するドーベルマンの子犬たちが見つかり、続いてラブラドールにも同じ家系が見つかりました。この2つの犬種だけは、親から子へ確実に受け継がれる遺伝性のナルコレプシーでした。1979年にはディメント氏が、この2犬種では「ある遺伝子を父母の両方から受け継ぐと発症する」ことまで突き止めています。ただし、それがどの遺伝子なのかは分からないままでした。
3,000人に1人、それでも「見たことがない」と言われた病気
ここで、ナルコレプシーがどんな病気かを押さえておきます。日中、本人の意思とは関係なく、耐えがたい眠気が突然襲ってくる病気です。眠りに落ちる瞬間に幻覚を見たり、金縛りにあったりもします。そして1型と呼ばれる型では、笑ったり驚いたりして感情が大きく動いた瞬間に、意識はあるのに全身の力が抜けて崩れ落ちる「カタプレキシー(情動脱力発作)」が起きます。冒頭の犬が「興奮すると倒れる」のは、まさにこれです。
患者数は、1型で3,000人に1人ほどとされています。ミニョー氏によれば、これは「ものすごく珍しいわけではない」数字です。それなのに当時、神経内科の医師に話を振ると「そんな患者は一度も診たことがない」と返ってきたといいます。ミニョー氏はそのたびに「もちろんです、全員見逃しているんですから」と答えていたそうです。
この病気には、もうひとつ奇妙な特徴がありました。1980年代の前半、東京大学の本多裕(ほんだ ゆたか)氏らが、日本人のナルコレプシー患者を調べたところ、ほぼ全員が HLA-DR2 という免疫の型を持っていたのです。HLA は、免疫の細胞が「自分」と「異物」を見分けるための目印で、臓器移植の適合性を決める指標として当時ちょうど注目されていました。眠りの病気と免疫の型がつながる理由は誰にも分からず、大きな謎として残ります。
地図のない犬のゲノムで10年
ミニョー氏がスタンフォードに来たのは1987年です。フランスで薬理学と精神医学を学んだ彼は、当初はナルコレプシーの薬がどう効いているかを調べに来ました。実際、覚醒を促す薬モダフィニルの作用の仕組みを解明したのは彼です。けれどすぐに、薬を調べていても病気の原因にはたどり着けないと気づきます。分かっているものを深掘りするだけだからです。
そこで彼は、遺伝学の訓練を受けていないにもかかわらず、犬のコロニーに残されていた宿題に手を出しました。「ドーベルマンとラブラドールの、あの遺伝子を見つける」というものです。
これがどれほど無謀だったかは、時代を考える必要があります。1980年代の終わり、人間の遺伝子でさえ単離されたものはひと握りで、ヒトゲノムの全体地図すらありませんでした。犬にいたっては、ミニョー氏の言葉を借りれば「無人の荒野」です。ドーベルマンとラブラドールの発症犬はそれぞれ1頭の先祖から広がった家系だったので、病気と一緒に受け継がれるDNAの目印を手がかりに、少しずつ範囲を絞っていくしかありませんでした。
この作業に10年かかりました。途中には「あの犬たちは本当にナルコレプシーなのか」と疑われる時期もあったそうです。それでもミニョー氏は、これが正しい道だと信じて続けました。最後にたどり着いたのは、遺伝子がたった2つしか乗っていないDNAの区間で、そのうちの1つが、発症犬では壊れていました。しかもドーベルマンとラブラドールでは壊れ方が違い、それぞれ別の大きな欠損が起きていました。壊れていたのは「オレキシン受容体2」という遺伝子。ミニョー氏はこの結果を1999年に Cell 誌で発表します。
本人は「幸運だった」と繰り返します。遺伝学の良いところは、仮説なしで探せることだと。何が見つかるか分からないまま探し、見つかったものが答えを教えてくれる。もっとつまらない遺伝子が出てきてもおかしくなかったのに、出てきたのは細胞の表面で信号を受け取る受容体、つまり薬の標的になりうる分子でした。
ダラスでは「食欲の物質」を探していた
ところがこの受容体には、すでに名前がついていました。名付けたのは、テキサス大学サウスウェスタン医療センター(ダラス)にいた柳沢正史氏です。しかも柳沢氏は、睡眠のことなどまったく考えていませんでした。
柳沢氏が追いかけていたのは、「オーファン受容体」と呼ばれる分子群です。細胞の表面には、外からの信号を受け取る受容体がたくさんありますが、ゲノムを読むと、何を受け取るのか分かっていない受容体が大量に見つかります。相手が分からない「孤児」というわけです。柳沢氏はポスドクの櫻井武氏とともに、ラットの脳をすりつぶし、その成分を細かく分け、オーファン受容体を作らせた細胞に片っ端からかけて、どれが反応するかを調べました。
試した5つ目か6つ目の受容体が反応しました。そこから何度も分離を繰り返し、この受容体を刺激する2つの小さなタンパク質(ペプチド)を取り出します。これらは脳の視床下部(ししょうかぶ)の、それも食欲に関わるとされていた場所で作られていました。実際にラットの脳に注射すると、餌を食べる量が増えます。柳沢氏はギリシャ語で食欲を意味する「オレキシス」から、この物質を「オレキシン」と名付け、1998年に Cell 誌で発表しました。
翌年、柳沢氏はオレキシンの遺伝子を壊したマウスを作ります。食欲の物質がなくなれば、食べる量が減って痩せるはずだと考えたからです。ところが体重も食事量もほとんど変わりませんでした。当てが外れたわけです。
柳沢氏はここで諦めず、見方を変えました。マウスは夜行性で、食事のほとんどを夜にとります。餌の量や体重では見えないだけで、食べ方そのものが変わっているのではないか。そこで暗視カメラを仕掛けて夜のマウスを撮影し、録画を2倍速で見続けました。単調な作業なので、研究室のメンバーが交代で担当し、寝落ちしないように気をつけながらだったそうです。
ある日、ポスドクのリチャード・ケメリ氏が変なものを見つけます。毛づくろいをして元気に動き回っていたマウスが、突然、横向きにばたんと倒れたのです。1分ほど動かずにいて、そのあと何事もなかったように起き上がって動き出しました。これはオレキシンを持たないマウスの全頭で起き、遺伝子が1本でも残っているマウスでは一度も起きませんでした。
最初に疑ったのは、てんかんです。そこでマウスに脳波の電極をつけて調べると、倒れている間、筋肉の力は抜け、脳波はレム睡眠を示していました。普通、マウスも人も、ノンレム睡眠をひとしきり経てからレム睡眠に入ります。起きた状態からいきなりレム睡眠に飛び込むのは、人のナルコレプシーにそっくりでした。
この結果が Cell 誌に出たのは1999年8月。ミニョー氏の犬の論文の、わずか2週間後です。

上の図のとおり、片方は「原因不明の病気の遺伝子」から入り、もう片方は「相手の分からない受容体」から入って、まったく別の場所で、まったく別の目的で進めていた研究が、同じひと月のうちに同じ分子に行き着いたわけです。ラスカー財団はこれを「驚くべき実験の交差」と表現しています。柳沢氏は取材に対し、研究者になったころは睡眠を研究するつもりなどなかったと語っています。オレキシンは、食欲の物質として名付けられたのに、正体は目覚めを保つ物質だったのです。
人の脳ではオレキシンを作る細胞が消えていた
犬の病気は1つの遺伝子で説明できましたが、人はそうはいきません。人のナルコレプシーは家系でまとまって出ることがほとんどなく、遺伝子の変異だけでは説明できないからです。
そこでミニョー氏は、患者の脳脊髄液(脳と脊髄を浸している液体)でオレキシンの量を測りました。健康な8人全員から検出されたのに対し、患者9人のうち7人では検出できませんでした。亡くなった患者の脳を調べると、視床下部からオレキシンとその設計図がまるごと失われていて、すぐ隣で別の物質を作っている神経細胞は無事でした。同じ時期に、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のジェローム・シーゲル氏も、患者の脳ではオレキシンを作る神経細胞の85〜95%が失われていると報告しています。
患者74人のオレキシン関連の遺伝子を調べると、73人は正常でした。たった1人、オレキシンの遺伝子そのものに変異があった人は、幼くして発症し、症状もとりわけ重かったといいます。つまり人のナルコレプシーは、遺伝子ではなく、オレキシンを作る細胞が失われる病気だということになります。
ここで、本多氏の HLA の謎が戻ってきます。HLA の特定の型が病気のなりやすさに関わるのは、自己免疫の病気によく見られるパターンです。免疫が自分の体を攻撃してしまう病気、たとえば1型糖尿病では、免疫が膵臓のインスリンを作る細胞を壊します。ナルコレプシーも同じように、何かのきっかけで免疫がオレキシンを作る神経細胞を攻撃しているのではないか。ミニョー氏はそう考えました。
ちなみにミニョー氏自身も HLA の研究で成果を出しています。1992年、アフリカ系アメリカ人の患者を調べたところ、DR2 よりも、そのすぐ隣にある DQB1*06:02 という型のほうが病気とよく対応することを見つけました。人種によって遺伝的な多様性の出方が違うことを利用して、原因の場所をより細かく絞り込む方法で、本人が「今では一般的になった手法の、最初の例だと思う」と誇りにしている仕事です。
自己免疫説を後押ししたのは、2009年の新型インフルエンザの流行でした。感染したり、ある種類の強力なワクチンを打ったりした人で、ナルコレプシーの発症が増えたのです。中国での調査では発症に季節の波があり、冬の呼吸器感染症のあとに増える傾向も見つかりました。何らかの感染をきっかけに免疫が動き出し、HLA の型によっては、その攻撃がオレキシンの細胞にまで及んでしまう。今のところ、こう考えられています。
眠らせる薬と、起こす薬
オレキシンの発見は、思いのほか早く薬につながりました。まず動いたのは製薬会社で、「オレキシンを邪魔すれば眠れるはずだ」という逆向きの発想から、不眠症の薬が作られました。オレキシン受容体拮抗薬と呼ばれるもので、日本でもすでに複数が処方されています。脳を無理やり鎮めるのではなく、目覚めを保つ信号を弱めるだけなので、従来の睡眠薬に比べて依存や耐性が起きにくいとされています。
そして逆方向、つまり「足りないオレキシンの代わりに受容体を刺激して起こす」薬が、2026年8月に初めて米国で承認されました。武田薬品工業が開発した1型ナルコレプシーの治療薬、オーゼイフル(一般名オベポレキストン)です。ミニョー氏は薬理学者として臨床試験にも関わっていて、「患者がまったく別人のように変わるのを見ている」と語っています。
ナルコレプシー以外への応用にも、本人は期待をかけています。ADHD や、強い眠気を伴ううつ病に使えるのではないかという声があること、そして統合失調症を併せ持つ患者では、従来の覚醒薬だと幻覚が悪化するために使えなかったのが、この系統の薬なら選択肢になりうること。ただし、これらはまだ「試してみないと分からない」段階だと本人も念を押しています。
犬の遺伝子が見つかったあと、もうひとつ実際的な変化があったそうです。それまでナルコレプシーの外来に来るのは、長年病気と付き合ってきた大人ばかりで、子どもの患者を見ることはほとんどありませんでした。病気が有名になると、子どもが診断されるようになり、急激に体重が増えるなど、大人とは違う症状の出方が分かってきました。ミニョー氏はこれを、発見がもたらした「実務上の結果」だと表現しています。
ミニョー氏は今も、ナルコレプシーのチワワ「ワトソン」と暮らしています。その前には「ベア」という犬もいました。1970年の客席から始まった犬の話は、半世紀を経て、2人の研究者へのラスカー賞という形でひと区切りを迎えました。ちなみに柳沢氏は受賞の記者会見で、「やっと睡眠の基礎研究が日の目を見る時代になった」と話しています。
出典
Live Science の記事(ミニョー氏へのインタビュー):‘Every time it gets excited — boom — it collapses’: How dogs with narcolepsy helped scientists understand the disorder(2026年9月11日、Nicoletta Lanese)
ラスカー財団の受賞解説(英語):Orexin—a brain peptide that maintains wakefulness
筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構の発表(日本語):柳沢正史WPI-IIIS機構長/教授が2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞
スタンフォード大学の発表(英語):Emmanuel Mignot receives Lasker Award for discovering cause of narcolepsy


コメント