「人新世」否決から2年、投票の手続きそのものに疑いの声

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地球はいま、地質年代でいうと「完新世(かんしんせい)」にいます。約1万1700年前、最後の氷期が終わったところから始まる時代で、農耕も都市も文明も、ぜんぶこの中に収まっています。

この完新世を終わらせて、「人新世(じんしんせい、Anthropocene)」という新しい時代を正式に立てよう、という提案が長いあいだ検討されてきました。人間の活動が、岩石に痕跡が残るほど地球を変えてしまった、だから地層の区分にも反映すべきだ、という考えです。

結果は2024年に出ています。否決でした。地球は公式にはいまも完新世のまま、という状態が続いています。

ところが2026年10月、この否決をめぐって「投票の手続きそのものが規約に沿っていなかったのではないか」「否決の科学的な理由が、いまだに文書として公表されていない」と指摘する論文が出ました。2年前に決着したはずの話が、もう一度動き出しています。

地質年代は投票で決まる

まず前提として、地質年代の境界は「岩石を見れば自動的に分かるもの」ではありません。最後は人が決めます。

仕組みはこうです。地質学の国際組織として、国際地質科学連合(IUGS)があり、その下に国際層序委員会(ICS)、さらにその下に時代ごとの小委員会があります。第四紀(現在を含む、約258万年前からの時代)を担当するのが第四紀層序小委員会(SQS)です。新しい時代区分を提案したい側は、まず「ここが境界です」と言える地層の一点(通称ゴールデンスパイク)を世界のどこかに定め、根拠をそろえてSQSに提出します。SQSの投票で6割以上の賛成を得て、次にICS、最後にIUGSで承認されると、はじめて正式な地質年代になります。

人新世の場合、提案をまとめたのは2009年にSQSの下に作られた「人新世作業部会」でした。十数年かけて証拠を集め、人新世の始まりを1952年に置くという案に落ち着きます。核実験で大気中にまき散らされたプルトニウムが世界中の地層に同時に現れる年で、大気中の二酸化炭素やメタンが急増するなど、人間由来の変化が一斉に立ち上がる時期とも重なっていました。境界の基準地には、カナダのクロフォード湖の湖底堆積物が選ばれました。

この案が2024年にSQSの投票にかけられ、結果は賛成4、反対12。残りは棄権でした。否決です。

2024年の時点ですでに荒れていた

じつはこの投票は、結果が出た直後から揉めていました。

異議を申し立てたのは、ほかでもないSQSの委員長ヤン・ザラシェヴィッチ氏と副委員長マーティン・ヘッド氏です。二人は人新世作業部会の中心人物でもあったので、投票の運営からは外れていました。彼らの主張は、投票した委員の多くがICSの規約で定められた任期をすでに超えていて、投票資格がなかったはずだ、というものでした。さらに、作業部会に提案を修正する機会が与えられなかった点や、IUGSの地質倫理委員会からの勧告が実施される前に投票が行われた点も問題にしました。

これに対してIUGSとICSは2024年3月、投票は有効だとする声明を出しています。投票の運営にあたったのは副委員長の周力平氏(北京大学)とアデーレ・ベルティーニ氏(フィレンツェ大学)で、ICSの規則に厳密に従って進めた、委員たちの誠実さを疑う余地はない、という内容でした。異議は却下され、人新世の正式認定はここで終わった、というのが2024年の着地点です。

通常、この段階で否決された提案は10年たたないと再提出できません。だから話はしばらく眠るはずでした。

「否決が問題なのではない」

2026年10月1日、学術誌 Earth’s Future に「科学か戦略か(Science or Strategy?)」という論文が掲載されました。著者はドイツのマックス・プランク地球人類学研究所(イェーナ)のゲオルク・シェーファー氏、ユルゲン・レン氏ら4人です。レン氏は科学史の研究者で、この研究所の創設所長でもあります。

論文の要点は、これまで出ていた異議を一段ずらしたところにあります。

筆頭著者のシェーファー氏は、否決そのものを問題にしているのではない、と言っています。提案が却下されること自体は正当にありうる。問題は、却下するにあたっての科学的な根拠が、いまに至るまでまともに公表されていないこと、そして手続き上の不整合についての重大な指摘が、放置されたままになっていることだ、と。

論文が挙げている点を整理すると、こうなります。

ひとつは、投票資格と定足数の問題です。IUGSの声明は「投票は有効」と言ったものの、どの委員に投票資格があったのか、定足数をどう数えたのかは説明していない、と指摘しています。2024年のNatureの報道では、IUGSとICSの幹部が「この件を機に、今後は任期の上限を厳格に運用する」と述べたとされていますが、それは裏を返せば過去の運用はゆるかったということで、しかし人新世の投票そのものは見直されなかった、と論文は書いています。

もうひとつは、内部の倫理報告書です。手続きの問題を調べた報告書がIUGS内部に存在するものの、執行委員会はそれに基づいて行動せず、報告書自体も公開されていない、としています。

そのうえで著者らは、関連文書をすべて開示すること、そして第三者による独立した手続きの検証を求めています。レン氏の言い方を借りれば、これは歴史に残る決定であり、世界に対して透明であるべきだ、ということです。

IUGS側の反論

一方で、投票にかかわった側は手続きの正当性を崩していません。

投票を運営したベルティーニ氏は、Natureの取材に対して、プロセスは公正だったと述べています。ただし文書の精査には閉じていない姿勢で、人新世の提案に注ぎ込まれた優れた科学の成果を残すためになるなら、文書の検証には前向きだとも語っています。

また、「否決の理由が公表されていない」という批判に対しては、ベルティーニ氏は周氏との連名で、2026年9月に Nature Reviews Earth & Environment 誌に否決の技術的な説明を寄稿した、と指摘しています。つまり、理由はすでに書いた、という立場です。

否決に票を投じた委員の一人、ケンブリッジ大学のフィル・ギバード氏の言葉も載っています。自分は1949年生まれだが、その後の時期に地質学的な境界を見た覚えはない、と。ギバード氏らは以前から、人新世を「時代(epoch)」として区切るのではなく、「出来事(event)」として扱うほうが実態に合う、と主張してきました。地球の歴史には、大気に酸素が満ちた大酸化事変のように、長い時間をかけて進んだ変化を「出来事」として記録している例があります。人新世もそれと同じ扱いでいい、という考え方です。

推進側がこれで引き下がったわけでもありません。同じ9月、作業部会の中心メンバーだったコリン・ウォーターズ氏らは、人新世を裏づける証拠を改めてまとめた総説を同じ誌に出していて、ザラシェヴィッチ氏は人新世を立てる根拠はいまも強いと述べています。

岩石ではなく、人が決めている

この論争は、どちらが正しいかを外から判定できる種類のものではありません。否決側は「規則どおりに投票し、理由も書いた」と言い、批判側は「資格と定足数の説明がなく、倫理報告書も出ていない」と言う。かみ合っていないのは、同じ文書を見ているかどうかが分からないからで、だからこそ批判側は文書の開示を求めています。IUGSがこれに応じるかどうかで、話の行き先はだいぶ変わります。

ただ、どちらに転ぶにしても、今回の件ではっきり見えたことがあります。地質年代の表は、教科書ではきれいに確定した事実として並んでいますが、その一行一行は、小委員会の投票と、上位組織の承認という、ごく人間的な手続きを通って決まっている、ということです。委員が誰で、任期はどうで、賛成が何票でという話が、「地球はいま何世か」を左右しています。

人新世が否決されたことで、人間が地球を変えたという事実が否定されたわけではありません。IUGS自身も、人新世という言葉は地球科学だけでなく社会科学や政治の場でも使われ続けるだろう、と声明に書いています。争われているのは、その事実を年表のどこに、どういう形で刻むかという一点と、それを決めた手続きが正しかったかという一点です。

文書が出るのか、出ないのか。出たとして何が書かれているのか。学界の中の係争ではありますが、この先しばらく目を離さずにいたい話です。

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参考

Nature のニュース記事:Battle of the Anthropocene: allegations re-ignite row over proposed geologic epoch(2026年10月1日)

批判側の論文(Earth’s Future、オープンアクセス):Science or Strategy? The Rejection of the Anthropocene Epoch Demands Transparency

論文の解説記事(Phys.org):Science or strategy? Researchers call for transparency over the Anthropocene rejection

2024年の否決時のIUGS声明(PDF):The Anthropocene – IUGS Statement

IUGS側の技術的説明(Zhou & Bertini, Nature Reviews Earth & Environment 7, 565–566, 2026)と、推進側の証拠総説(Waters ほか、同誌 7, 612–632, 2026)は、Nature記事の参考文献から辿れます。

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