2026年7月、コロンビア大学の計算機科学者 Julia Hirschberg のもとに、European Academy of Engineering(EAE)の会員に選出されたという知らせが届いた。サイトによれば、EAEは工学分野で最高の栄誉を代表する機関で、400人以上の会員のうち35人がノーベル賞受賞者だという。その数日前には Austrian Academy of Engineering からも同じ知らせがあり、前年の2025年には National Academy of Artificial Intelligence(NAAI)の会員にもなっていた。
国際的な栄誉が立て続けに3つ。コロンビア大学は公式サイトで発表を出し、同僚からは祝いの言葉が次々に届いた。本人も「こんなに早く決まることは今までなかった」と喜んでいたという。
ところが2週間ほどして、EAEの事務局を名乗る Michael Chu という人物から連絡が入る。持ち回りの議長を選んでいて、あなたを推薦したい、報酬は年2,000ドル。そう言われてサイトを見に行くと、Hirschberg の名前はすでに役員名簿のいちばん上に載っていた。引き受けた覚えはない。推薦人を聞かれたことも、会合に出たこともない。そもそも、こうした団体の名前を聞くのはこれが初めてだった。
Nature が2026年9月25日に公開した調査報道は、この話から始まる。取材したのはワシントン支局の記者 Max Kozlov。査読を受けた論文ではなく編集部の独自調査なので、その前提で読んでほしい。以下、団体名と人名は記事の表記のまま扱う。
ミシガン大学の担当者が見つけた違和感
不審に思ったのは Hirschberg だけではなかった。ミシガン大学には、教員の受賞や栄誉を扱う専門の役職があり、Henry Dyson がその責任者を務めている。研究者が受けられる賞や学会の名前は、ほぼ全部把握しているつもりだったという。その Dyson のところに7月、EAEからの招待メールが転送されてきた。教員からの質問は一つ、「これは本物か」。
サイトは立派だった。活動を伝えるニュースが数百本あり、会員にはメキシコ大統領のクラウディア・シェインバウムや、ノーベル賞受賞者のフランシス・アーノルド、キャロル・グライダーといった名前が並ぶ。過去のページには、1992年に7人のノーベル賞受賞者が設立に関わったとも書かれていた(全員故人で、この記述は後に削除されている)。
それでも引っかかる点があった。これだけの団体なのにWikipediaのページがない。設立者とされる著名人の経歴にも、この団体の名前は出てこない。ヨーロッパの団体のはずなのに、名簿の会員は北米のほうが多い。そして、同じミシガン大学の研究者2人がEAEの部門議長として掲載されていたので本人に確認したところ、どちらも団体の存在すら知らなかった。
Dyson は同僚に近づかないよう注意を出したうえで、ここまでの調べを Nature の取材班に送った。添えた言葉は「自分が深みにはまっているだけなのか知りたい」。ここから Nature の本格的な調査が始まる。
住所は私書箱、建物の写真は加工
調べるほど、実体のなさが出てきた。
EAEの所在地はスウェーデンとされているが、スウェーデンの法人データベースにその名前の団体は見つからなかった。サイトに書かれた住所は、実際の事務所を借りずに登録用の住所だけを提供する、いわゆるバーチャル私書箱だった。
サイトにはGoogleマップのピンも置かれていて、そこにはスウェーデン語で団体名を掲げた堂々とした建物の写真が表示される。ところが既存の写真と照らし合わせると、これは近くにあるヨーテボリ大学の本館の写真に、文字を書き足した加工画像だった。過去のサイトからは、ほかにも加工された画像が見つかっている。
文章の使い回しもあった。2022年のロシアによる侵攻から1年にあたって、団体としてウクライナを支援するという投稿があったが、これは米国科学・工学・医学アカデミーのサイトから、そのまま写したものだった。EAEとNAAIはどちらも、米国科学アカデミー、英国王立工学アカデミー、アメリカ気象学会などと協力関係にあると書いていたが、Nature が問い合わせた7団体のうち回答のあった5団体すべてが、そんな関係は知らないと答えた。
同じような特徴をもつ団体は、Nature の調べで数十に上る。著名な研究者を本人の知らないうちに会員や役員として掲載する。既存の有名な団体と紛らわしい名前や略称を使う。所在地はぼかし、実際の運営場所が分からない住所で登録する。互いのニュースを転載し合い、一つの団体の招待を受けた研究者が数週間後に姉妹団体にも選出される、という流れも確認された。

複数の団体に共通して現れる名前
これらの団体の中心にいると見られるのが Michael Chu で、中国名は Chaoyang Zhu とされる。運営には複数の人物が関わっているようだが、いちばん頻繁に出てくるのがこの名前だ。
NAAIのサイトに載った Chu のプロフィールには、所属や受賞歴、著書が中国語で長々と列挙されている。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の教授、ロンドンの王立芸術協会(RSA)のフェロー、欧州とアジアにまたがる学術団体の会員など。Nature がイリノイ大学とRSAに確認したところ、どちらの記録にもこの名前に一致する人物はいなかった(Chu 自身はRSAのフェローシップを持っていると主張している)。
Chu が論文で所属先として書いてきたのは、コロラド州デンバーの International Institute of Engineering Psychology(IIEP)という機関だ。公的な記録をたどると、IIEPとNAAIは同じコロラド州のバーチャル私書箱を住所にしている。さらに Chu は同じ住所で、US National Academy of Sciences, Arts, and Humanities という団体も登録していた。IIEPとこの団体は、州への年次報告を怠ったとして「不履行」の扱いになっている。
Chu を実際に見た研究者もいる。ライス大学の計算機科学者 Moshe Vardi は、NAAIの2026年年次総会にオンラインで参加した。開催地はシンガポールで、国際的な会議を想像していたという。実際には、Chu と助手が仕切る20人余りの小さな集まりで、進行はほぼ中国語だった。
Chu の顔写真を画像検索すると、映画分野の学術団体を名乗る International Institute of Film Science & Arts にもつながった。48か国に800人以上の会員を持つと称する団体で、Chu はこの設立に関わったことを Nature に認めている。工学、人工知能、映画。分野の離れた団体に同じ名前が出てくる状況について、米国工学アカデミー会長の Tsu-Jae Liu は、団体の指導部がその分野で本当に尊敬されている人物なのかを確かめたい、と話している。
無料の名誉と、有料の肩書き
ここまでの話は「大物研究者が勝手に名前を使われた」で終わりそうに見える。だが Nature の調査が示したのは、その先だ。
Hirschberg のような著名研究者には、本人が頼んでもいない名誉が無料で与えられる。その名前がサイトに並ぶことで団体は本物らしく見える。そして、その見かけを使って、別の研究者には会員資格や肩書きを有料で売る。この二段構えが仕組みの本体だった。
NAAIのサイトには料金が明記されている。「学生準会員」は年30ドル。正会員になる入会金は600ドル。さらに、オンラインの博士課程が1万ドル、オンラインのポスドク課程が2,000ドルで案内されている。支払った側が受け取るのは、「検証可能なデジタル会員証」と、LinkedInなどで共有できる設計の認定証だという。
この料金体系が、カリフォルニア大学バークレー校の計算機科学者 Michael Jordan の行動につながる。Jordan は当初NAAIへの参加を承諾し、2025年には会議向けの声明を録画していた。しかし料金の実態を知り、2026年7月に会員から外すよう求めた。肩書きに金を払うのは自分の信条に反する、専門家の学会がやることではない、という理由だ。
NAAIは Jordan を外さなかった。それどころか、本人に知らせないまま、10月に開く会議の目玉登壇者として掲載した。この会議の参加費は最大600ドル。Jordan がそれを知ったのは、Nature が参加の予定を問い合わせてきたときだった。その後、名前の削除を求めて、ようやく掲載は取り下げられている。
Nature は、実際に料金を払ったと認めた人物は見つけていない。ただ、中国とパキスタンの研究者数十人が、EAEやNAAI、その関連団体からのフェローシップや賞を履歴書やSNSのプロフィールに載せているのは確認している。中国のSNSには、これらのアカデミーへの申請を代行するというコンサルタントの投稿もあった。この代行業者が団体と直接つながっているかどうかは分かっていない。
肩書きが商品になる理由
なぜこの仕組みが成り立つのか。上海の同済大学で教育政策を研究する Fan Xiudi は、中国の研究評価が各種の名誉称号に大きく依存している点を挙げる。肩書きが評価に直結する環境では、肩書きそのものに市場価値が生まれる。Fan はこれらの団体の狙いを、まず本物らしい外観を作り、それを元手に若手研究者へ会員資格や賞を売ることだと見ている。
そして、その外観づくりに一役買ってしまっていたのが、大学自身だった。Nature は、有力大学が自校の教員のEAEやNAAIへの選出を祝って出したプレスリリースを30本以上見つけている。コロンビア大学の発表もその一つだ。大学の公式サイトに載れば、それは団体にとって何よりの信用の裏付けになる。同僚からの祝辞も、本人の喜びも、すべてが本物らしさの材料に変わっていく。
Chu は Nature に対し、団体の正当性を主張している。議長の件は Hirschberg とのやり取りから「暫定的な同意があったと推測した」と説明したが、Nature が確認したやり取りでは、Hirschberg は職務の内容を尋ねただけで、引き受けるとは書いていない。ミシガン大学の2人が役員として載っていた件は、サイト保守中に管理担当者が「無認可か未確認のアップロード」をしたためだとし、加工画像については「まったく知らなかった」「過去の遺物」だと述べた。自分が直接運営しているのはIIEPだけで、NAAIの管理職は2026年5月に辞任し、EAEには6月から一時的な事務・助言の支援をしているだけだという。ただし Nature は、辞任したはずの5月以降も Chu がNAAIの公式連絡を送り続けていたこと、EAEでは事務総長の肩書きを持っていることを確認している。肩書きを売る代行業者については、団体として関与を否定した。
一次情報の範囲と、分かっていないこと
この記事は Nature 編集部の独自調査であり、査読を経た研究ではない。団体側の説明と Nature の確認結果は食い違っており、どちらが正しいかは今後の展開を待つ部分がある。実際に何人が料金を払ったのか、肩書きを持つ研究者が団体の実態をどこまで知っていたのかも、記事の時点では分かっていない。
Hirschberg や Jordan のような研究者は、自分の名前が使われたことを知り、掲載の取り下げを求めた。だが名前を貸した覚えのない研究者が、世界にあとどれだけいるのかは誰にも分からない。Nature は、同じような団体に関わった経験のある研究者からの情報提供を呼びかけている。
肩書きは、それを出す側に実体があって初めて意味を持つ。今回の件で分かりやすいのは、その「実体」の確認が、名の通った大学でさえ抜け落ちていたことだ。Wikipediaのページがあるか、法人登記があるか、住所が本当の事務所か。地味な確認が、いちばん効く。
出典
Max Kozlov (2026) Exclusive: Sham scientific societies are misleading star researchers. Nature News Feature(2026年9月25日)
https://www.nature.com/articles/d41586-026-02980-w
コロンビア大学工学部の発表(Internet Archive に保存された版)
https://web.archive.org/web/20260904174555/https://www.engineering.columbia.edu/about/news/julia-hirschberg-elected-european-academy-engineering-and-austrian-academy-engineering


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