大人の男性の精巣では、1日に1億5,000万から2億7,500万ほどの精子が作られます。もとになるのは精巣の細い管(精細管)の壁に並ぶ精原幹細胞で、この細胞が分裂を繰り返して、自分の数を保ちながら精子になる細胞を送り出しています。分裂のたびにDNAを丸ごと写し取るので、ごくまれに写し間違いが起きます。それが変異です。
父親の年齢が上がるほど、子どもに新しい変異が受け継がれやすくなることは前から知られていました。分裂の回数が積み上がるぶん、写し間違いも積み上がるからです。ここまでは「時間とともに偶然の失敗が増える」という話で、直感に合います。
ところが精巣の中には、もうひとつ別のことが起きていました。2025年10月に Nature に載ったウェルカム・サンガー研究所の研究は、精子を作る幹細胞のあいだで、特定の変異を持った細胞が勝ち続けている様子を、ゲノム全体の規模で初めて数え上げたものです。
精巣の中で起きる細胞どうしの競争
分裂する細胞の集団では、たまたま起きた変異が細胞に「増えやすさ」を与えることがあります。そういう変異を持った幹細胞は、周りの正常な細胞よりも速く数を増やし、精細管に沿って広がっていく。その結果、その幹細胞から作られた精子は、変異ごとほかの精子より多く送り出されます。
がんの成り立ちを調べる分野では、これは「正の選択」と呼ばれるおなじみの現象です。皮膚や食道のような分裂の盛んな組織では、年をとった人の細胞の3〜5割がこの手の変異を抱えていることも分かっています。精巣でも同じことが起きているという証拠はあり、これまでに13個の遺伝子が見つかっていました。13個とも、子どもに受け継がれると重い発達の病気を起こす遺伝子です。
ただ、この13個はどれも、遺伝子の特定の場所が書き換わって働きが強まる、いわば「アクセルが踏まれる」型の変異でした。しかも精子は変異率がとても低く、しかも無数の幹細胞の子孫が混ざった集まりです。1個1個の変異は精子全体のごくわずかにしか存在せず、従来のDNA解読技術では読み取りエラーに埋もれてしまう。だから正の選択がどこまで広がっているのか、実のところ誰も全体像を知りませんでした。
読み取りエラーを消す NanoSeq という手法
研究チームが使ったのは、NanoSeq(ナノシーク)という自分たちで開発した解読法です。DNAは2本の鎖が向かい合った構造なので、両方の鎖を別々に読んで、両方に同じ変化があるときだけ本物の変異と認めます。片方だけの変化は読み取りや保存中の傷とみなして捨てる。これで誤検出は10億塩基に5個以下まで下がり、1個の精子にしかない変異でも拾えるようになりました。
対象は英国の双子研究コホート(TwinsUK)に参加した24〜75歳の健康な男性です。精液81サンプルのゲノム全体を読み、さらにそのうち38サンプルではタンパク質の設計図にあたる領域(エクソーム)を、81サンプルでは がんに関わる263遺伝子を、それぞれ深く読み込みました。血液も同じ人から採って、生まれつき持っている変異を取り除く比較材料にしています。
ゲノム全体の解析では、精子の変異は1年に1.67個ずつ直線的に増えていました。家系の親子解析から推定されていた数字とほぼ一致しますし、変異の「くせ」(どの塩基がどう変わりやすいか)も老化に伴うおなじみのパターンでした。同じ人の血液と比べると、精子の変異の増え方はおよそ8分の1。生殖細胞が体の細胞よりずっと大切に守られていることが、ここでも確認されました。
そして設計図領域の深読みからは、3万5,000件を超える変異が見つかりました。ここからが本題です。

勝ち残る変異ほど、子どもには危ない
ある遺伝子に正の選択がかかっているかどうかは、タンパク質を変える変異と変えない変異の比率から判定できます。偶然だけなら両者は一定の比率で出るはずで、タンパク質を変える変異がそれより多ければ、その遺伝子の変化が細胞の増えやすさに効いている。この検定を全遺伝子にかけたところ、40個の遺伝子が有意に選択を受けていました。うち9個は既知の13個と重なり、31個は新顔です。
31個の中身を見ると、27個は子どもの遺伝性疾患(発達障害や先天性の病気)の原因遺伝子として登録されており、16個はがん遺伝子でもあります。つまり精巣の中で「勝ちやすい」変異は、生まれてくる子どもにとっては「病気を起こしやすい」変異とほぼ重なっている。実際、発達障害の子どもで繰り返し見つかっている変異は、偶然の期待値の66倍の頻度で精子の中に現れていました。
もうひとつ、予想を裏切る結果がありました。既知の13個はすべて「働きが強まる」型でしたが、新顔31個のうち30個は「働きが壊れる」型の変異で選ばれています。遺伝子が途中で切れたり、読めなくなったりする変異です。精子を作る幹細胞にとっては、ブレーキが壊れることも、増える上での有利に働くわけです。関わる経路もRAS–MAPKだけでなく、WNT、TGFβ–BMP、エピゲノムを調節する遺伝子群、RNAの処理に関わる遺伝子群と幅広く、精巣の中の競争が想像よりずっと多面的だと分かりました。
30歳で2%、70歳で4.5%
では、病気を起こしうる変異を持った精子は、実際どのくらいの割合なのか。チームは臨床データベースで病原性と判定されている変異と、発達障害の原因遺伝子を強く壊す変異を「病気を起こしうる変異」と定めて、年齢ごとにその割合を推定しました。
偶然の蓄積だけで説明できる割合は、30歳で0.73%、70歳で1.6%。ところが実際に観測された割合は、30歳で約2%、70歳で約4.5%でした。どの年齢でも、期待値のおよそ2.8〜2.9倍です。この差が、精巣の中の競争が上乗せしたぶんということになります。
念のため書いておくと、この数字は「特定の1個の変異が大きく広がった」結果ではありません。1人あたり平均18種類ほどの変異が、それぞれ精子のごく一部にだけ存在していて、それを足し合わせた合計です。見つかった変異の99%以上は、1個の精子にしか見つかりませんでした。無数の小さなクローンが少しずつ膨らんで、全体として2〜3倍に押し上げている、というのが実態です。
コホート全体でならすと、精子の3.3%が病気を起こしうる変異を持ち、その内訳は、偶然で説明できるぶんが約3分の1、既知の選択遺伝子で説明できるぶんが約3分の1、残りの3分の1はどちらでも説明がつかない、でした。最後の3分の1は、まだ見つかっていない選択遺伝子があることを示しています。
なお、体格指数(BMI)、喫煙、飲酒との関係も調べていますが、精子の変異には有意な影響が見られませんでした。血液のほうでは喫煙と飲酒が変異を増やしていたので、生殖細胞はこの点でも守られているようです。ただしコホートの規模が限られるので、著者らはより大きな集団での検証が必要だとしています。
精巣が作った問題を、世代の進化が片づける
4.5%という数字を、そのまま「70歳の父親の子どもの4.5%が病気になる」と読むのは間違いです。精子の変異が子どもに届くまでには、いくつも関門があります。変異のせいで受精しにくい精子もあれば、受精しても胚が育たなかったり、妊娠が続かなかったりすることもある。著者ら自身、精子の変異の割合と出生時の疾患頻度との関係はまだ確定していない、と論文の中で留保しています。実際に子どもをもうける年齢はこのコホートの年齢分布より若いことも、影響を小さくする方向に働くはずです。
さらに、集団レベルのデータからは別の力も見えてきました。10万人規模のゲノムデータベースで、精巣の中で選ばれていた変異がどのくらい残っているかを見ると、31個の新顔遺伝子のうち27個では、期待されるより少なくなっていました。精巣の中では有利だった変異が、世代を重ねるうちに取り除かれている。つまり精子を作る過程では「正の選択」が、生まれた後の世代では「負の選択」が、それぞれ優勢に働いている構図です。
例外は SMAD6、MIB1、LZTR1、SSX1 の4遺伝子で、これらは一般集団でも壊れた型の変異が期待より多く残っていました。精巣の中で押し上げられた供給に、集団側の除去が追いついていないと解釈されています。MIB1 については、これまで発達障害の原因候補とされてきた根拠の一部が、実は精巣の中の選択で説明できてしまう可能性も指摘されています。変異の「多さ」を病気との関連の証拠にしてきた研究にとっては、見直しが要る話です。
研究チームは、今回の結果をすぐに臨床の検査に落とし込むのは難しい、とも書いています。精子の病原性変異は種類が多く、それぞれがごく少数の精子にしかないので、決まった項目を調べる検査にはなじまない。化学療法の経験やDNA修復の異常など、精子の変異がとくに増えやすい人に絞ったリスク評価なら意味がありうる、というのが現時点での見立てです。
母親の年齢が卵子の質に影響することは広く知られてきましたが、父親の側の年齢も、これまで考えられていたより幅広いかたちで子どもの病気のリスクに関わっている。精巣の中で毎日繰り返されている小さな競争が、そのリスクを偶然の蓄積の2〜3倍に押し上げているというのが、この研究の示したことです。
出典
Neville, M. D. C. et al. “Sperm sequencing reveals extensive positive selection in the male germline.” Nature 647, 421–428 (2025). https://doi.org/10.1038/s41586-025-09448-3(オープンアクセスで全文を無料で読めます)
TwinsUK(キングス・カレッジ・ロンドン)による研究紹介:Hidden evolution in sperm raises disease risk for children as men age
ScienceAlert(2026年9月25日、Michelle Starr):Mutant Sperm Are Waging a Fierce Survival-of-the-Fittest Battle Inside Men’s Testicles


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