2026年9月、メキシコ市の国立人類学博物館に、1冊の古い絵文書が並びました。「アスカティトラン絵文書(Códice Azcatitlan)」。アステカの都テノチティトランの始まりから滅びまでを描いた、絵入りの歴史書です。この本がメキシコの土を踏むのは1840年以来、186年ぶりになります。
ただし見出しに「返還」の文字はありません。フランス国立図書館からの、期限つきの貸し出しです。この1冊がどうやって国を出て、どういう形で戻ってきたのかを追うと、いま世界の博物館や図書館で起きている「文化財の行き来」の現在地がそのまま見えてきます。
アステカの歴史を絵で語る一冊
絵文書(コデックス)は、メソアメリカの人たちが絵と記号で記録を残した書物のことです。アスカティトラン絵文書は16世紀の終わりから17世紀の初めごろ、いまのメキシコ市周辺にあたるメキシコ盆地で作られました。スペインによる征服のあとの時代です。そのため、紙はヨーロッパ製、綴じ方も本の形式で、ページにはスペイン語の注記も入っています。一方、絵そのものはメソアメリカの伝統的な描き方で、先住民の絵師の手によるものと見られています。二つの文化が一枚の紙の上で同居している、そんな作りです。
中身は大きく三つに分かれます。まず、メシカ人(アステカ帝国を築いた人たち。「アステカ」は帝国の呼び名、「メシカ」はその中心となった民族の呼び名です)が、伝説の故郷アストランを出て長い旅をし、テノチティトランを築くまで。次に、歴代の王(トラトアニ)の治世で起きた出来事。最後に、1519年のスペイン人の到来と征服、そしてキリスト教の布教です。都が生まれ、栄え、滅び、別の姿に変わっていく流れが、1冊に収まっています。
コルテスと配下のスペイン兵が、荷を運ぶ先住民を連れて進む場面。メシカの戦士たちがテノチティトランの大ピラミッドを守る場面。こうした絵は、征服を記録した史料のなかでもとくに知られたものです。

上の画像は展示の様子を想像して描いたものです。実物の絵文書は、記事末尾の出典リンク先で見られます。
1840年、船でフランスへ
この本がメキシコを離れた経緯は、18世紀までさかのぼります。当時、イタリア出身の歴史家ロレンソ・ボトゥリーニがメキシコで先住民の文書を大量に集めていました。アスカティトラン絵文書もそのコレクションの一部だったとされています。最初の持ち主は、テスココの名君ネサワルコヨトルの子孫にあたる歴史家フェルナンド・デ・アルバ・イシュトリルショチトルだった可能性がある、と研究者は見ています。
1830年、フランス人のジョゼフ・マリウス・アレクシス・オーバンが、物理学と天文学を学ぶためにメキシコへやってきます。オーバンは先住民の文化に強く引かれ、ボトゥリーニが集めた文書の多くを手に入れました。そして1840年、フランスへ帰国する際にそれらをまとめて持ち帰ります。アスカティトラン絵文書がメキシコを出たのは、このときでした。
その後、文書はパリで、フランスとメキシコにゆかりのある収集家ウジェーヌ・グピルの手に渡ります。グピルが亡くなると、1898年ごろに未亡人がコレクションをフランス国立図書館へ寄贈しました。以来120年以上、この本はパリの書庫にあり、フランス政府の所有物として扱われてきました。
途中で盗まれたわけでも、戦争で奪われたわけでもありません。研究者が買い、収集家が買い、遺族が寄贈した。当時としては合法的な手続きを積み重ねた結果、メキシコの歴史を記した本がフランスの国有財産になった、という経緯です。
返還ではなく、3か月の交換
メキシコは長いあいだ、この本を取り戻したいと言い続けてきました。2025年にフランスのマクロン大統領がメキシコを訪れる前には、シェインバウム大統領がフランスにある絵文書の回収を最優先課題の一つに挙げていたと報じられています。
けれど、今回の里帰りは返還ではありません。2025年11月の両首脳の会談で決まったのは、「期限つきで、お互いに貸し合う」という形でした。フランスはアスカティトラン絵文書をメキシコへ貸す。その代わりメキシコは、同じくメシカ人の旅を描いた「ボトゥリーニ絵文書」をパリへ貸す。どちらも3か月ほどの期間で、両国の外交関係200年を記念する文化行事の一つとして位置づけられています。
展覧会「アスカティトラン絵文書——メキシコとフランス、200年の友好」は9月17日に開幕し、国立人類学博物館の特別展示室で12月6日まで無料で公開されています。会場では実物の絵文書が、傷まないよう照明を落としたガラスケースの中に置かれ、4〜5ページ目が開かれています。8つの民族が、神ウィツィロポチトリの導きでテノチティトランを築く土地を探しに旅立つ場面です。ほかのページは写真で壁に並び、周りにはボトゥリーニやメンドーサなど9点の絵文書の複製と、紙を叩いてのばす石器や天然の染料を入れた器など、25点の考古・民族資料が展示されています。
一方、パリのフランス国立図書館では、ボトゥリーニ絵文書が12月13日まで展示中です。両国の国宝級の史料が、同じ時期に海を挟んで入れ替わっている状態です。
展覧会が終われば、アスカティトラン絵文書はパリへ帰り、ボトゥリーニ絵文書はメキシコ市へ帰ります。メキシコ政府は、貸し出し期間中にこの本をフランスから取り戻そうとする動きはしない、と明言しています。ここが今回の話のいちばん重要なところです。所有をめぐる主張は両国とも引っ込めていない。それでも、まず「動かす」ことを優先した。返還の議論を止めるのではなく、議論を続けたまま実物を行き来させる。文化財をめぐる国どうしのやりとりは、いま多くの場所でこの形をとりはじめています。
盗んで持ち帰った過去
交換という穏やかな形が選ばれた背景には、両国の間に苦い前例があることも見ておく必要があります。
1982年、メキシコの弁護士がフランス国立図書館から別の絵文書「トナラマトル絵文書」を持ち出し、メキシコへ運びました。要するに盗んだのです。この文書はいまもメキシコにあり、フランスは返還を求めているとされます。フランス側から見れば、メキシコへ絵文書を貸すことには、そのまま戻ってこないかもしれないという不安がつきまとう。今回の展示に合わせて、メキシコ政府が「取り戻す動きはしない」とわざわざ言葉にしたのは、この記憶があるからでしょう。
ボトゥリーニ絵文書を同時にパリへ送ったことも、同じ文脈で読めます。相手に貸すなら、自分も同じ重さのものを預ける。信頼を先に差し出すことで、はじめて実物が動く。文化財の交換は、外交の言葉で言えば「担保つきの信用取引」に近いものです。
里帰りの先にあるもの
今回の展示を担当した国立人類学博物館図書館のバルタサル・ブリト・グアダラマ館長は、地元メディアに対して、あくまで「最初の一歩」であり、恒久的な返還を引き続き目指すと話しています。フランスの議員たちがメキシコを訪れ、国立人類学歴史図書館の絵文書保管庫を見学したことにも触れ、メキシコには絵文書を守る条件が整っていると強調しました。ただし返還について具体的に決まったことは何もない、とも認めています。
この本をメキシコで見たいという声は、政府だけのものではありませんでした。文化省によると、里帰りを求める要望はイダルゴ州イシュミキルパンの先住民ニャニュ(オトミ)の共同体から出てきたものだったそうです。展示の開幕式では、メシカの人々の代表者が、絵文書は自分たちのアイデンティティを支えるものだと語っています。展示で4〜5ページ目を開いた理由についてブリト館長は、そこに描かれた8つの民族の旅立ちの場面なら、メシカ人だけでなく多くの民族が自分たちの歴史として見られるから、と説明しました。
186年ぶりの里帰りは、12月6日で終わります。本はパリへ帰り、所有をめぐる話も続きます。それでも、パリの書庫で研究者だけが手に取れた本を、メキシコの人たちが自分の目で見られる3か月が生まれたことは、そのまま返還を待ち続けた186年とはちがう時間の使い方です。取り戻すか、あきらめるか、の二択ではなく、その間にある選択肢が現実に動いた。この絵文書の旅は、まだ途中です。
出典
El Códice Azcatitlan: historia de un largo retorno(メキシコ国立人類学歴史研究所 INAH)
Tras 200 años vuelve a México, pero prestado, el Códice Azcatitlan(El Universal、2026年9月18日)


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