2,600億年動かして、ずれるのは1秒。そんな時計が、シンガポール国立大学の研究チームによって作られました。ルテチウムという金属のイオンを使った光時計で、2026年9月23日に科学誌『Nature』に論文が載っています。
ただ、この記事で書きたいのは「何桁の精度か」という話だけではありません。この時計は、これまでの記録を持っていた時計が必要としていた冷却装置も、特殊なレーザーも使っていません。室温の部屋で、市販のレーザーを使って動いています。精度の記録を塗り替えたことより、そちらのほうが長い目で見て大きな意味を持ちそうです。
時計の精度を上げる方法
時計というものは、何であれ「一定のリズムで刻む何か」を数えて時間を測ります。振り子時計なら振り子の往復、クオーツ時計なら水晶の振動です。いまの「1秒」の定義は、セシウム原子が吸収するマイクロ波の振動回数で決められています。
光時計は、その基準をマイクロ波から光に置き換えたものです。原子やイオンには「この振動数の光だけを吸収する」という決まった性質があり、その振動数は誰がどこで測っても同じです。光はマイクロ波より振動数が数万倍高いので、同じ時間のあいだに刻む回数がそれだけ増え、時間を細かく区切れます。目盛りの細かい定規で測るほうが正確に長さを読めるのと同じ理屈で、光時計はセシウム時計より2〜3桁高い精度を出せます。
今回の時計は、電気を帯びたルテチウムのイオンを1個だけ電場でつかまえ、そのイオンが吸収する波長848nmの光にレーザーの振動数をぴったり合わせて、レーザーの振動を「チクタク」として数える仕組みです。
2台作って比べるという手間
ここで研究チームが強調しているのは、時計を1台作っただけでは精度を証明したことにならない、という点です。チームを率いるMurray Barrett(マレー・バレット)氏は、Natureの取材に「時計が1台しかなければ、それが正確かどうかをどうやって知るのか」と話しています。
時計の精度を落とす要因は、周囲の温度、磁場、イオンのわずかな動きなど、いくつもあります。チームはそうした要因をひとつずつ測って、時計のずれがどのくらいの範囲に収まるかを計算しました。その結果が「不確かさ1×10のマイナス19乗程度」、つまり19桁目までは信用できる、という見積もりです。計算上、1秒ずれるのに2,600億年以上かかります。
ただ、これはあくまで計算です。見落としている要因があれば、計算は正しくても時計はずれます。そこでチームは、まったく同じ設計の時計を独立に2台作り、両方を同時に動かして刻みを突き合わせました。合計200時間ぶんの比較の結果、2台の刻みは19桁目まで一致しました。同じ種類の時計どうしを比べた例としては、これまでで最も細かい一致です。
この比較には、おまけのような発見もありました。2台のイオンは、置かれている高さが約4mm違っていました。一般相対性理論によると、重力の強い低い場所ほど時間はゆっくり進むので、この4mmの差はそのまま刻みのずれとして現れます。その大きさは10のマイナス19乗のけたで、今回の時計はそれを読み取れる精度に達しています。4mmの高低差が、時計の刻みとして見える。それが今の光時計の水準です。

冷やさずに記録を破った
今回の時計の不確かさは、これまで最も小さかった時計の4分の1です。ここまでなら「記録更新」の話で終わるのですが、面白いのは比較対象のほうです。
直前の記録を持っていたのは、カルシウムイオンを使った時計でした。その時計は、精度を出すために装置を液体窒素で冷やしていました。原子時計の精度を下げる大きな要因のひとつに、周囲の物体が出す熱の放射(黒体放射)があります。部屋の壁や装置そのものが放つ赤外線がイオンに当たると、吸収する光の振動数がわずかにずれる。これを抑えるには、周りを冷やして放射を減らすのが定石です。
ルテチウムの時計は、これを冷やさずに乗り越えました。論文によると、ルテチウムイオンが持つこの遷移(光を吸収する反応)は、確立された時計の候補の中で、熱の放射と磁場に対する感度が最も低いのだそうです。周囲の影響をそもそも受けにくいので、部屋を冷やさなくても、磁場を遮る覆いを付けなくても、精度が出せます。実際、今回の2台は室温で、比較的シンプルなイオントラップ(イオンを閉じ込める装置)に入れられ、磁気シールドなしで動いていました。
レーザーについても同じです。イオンを冷やす、状態を戻す、時計として読む、という各工程に使う光の波長は、いずれも市販の半導体レーザーや固体レーザーでまかなえる範囲にあります。イッテルビウムやストロンチウムを使う時計に比べて、装置として楽なわけです。
チームは10年以上かけてこの時計を作ってきました。共著者のKyle Arnold(カイル・アーノルド)氏はNatureに対し、ルテチウムがこれからの精密時計で主役を担うだろうと話しています。Natureの記事によると、ルテチウムで時計を作っているのは世界でもこのグループだけとみられています。
持ち運べる時計が意味すること
装置が冷却なし、遮蔽なし、市販レーザーで済むということは、小型化して研究室の外へ持ち出す道が開けるということでもあります。チーム自身も、論文の中で「性能を落とさずに持ち運び型の光時計に発展させられる」と書いています。
持ち運べると何ができるか。ひとつは、上で触れた「高さの差が時間の差として見える」性質を逆に使うことです。2か所に時計を置いて刻みを比べれば、標高の差を測れます。今回の精度なら、原理上はミリメートル単位の高低差まで読めます。従来の測量では届かない細かさで、地球の重力の分布を調べられるようになります。
もうひとつは、「1秒」の定義そのものです。国際的には、秒の定義をセシウム時計から光時計に切り替える計画が進んでいて、そのために「不確かさが2×10のマイナス18乗以下」「別の研究機関の時計と比べて5×10のマイナス18乗以下で一致」という2つの目安が設けられています。ルテチウム時計は前者を10倍以上の余裕で満たしています。後者は別の場所にある時計と比べる必要があり、まさに持ち運びが効く場面です。論文は、ルテチウムが秒の再定義の有力候補になると位置づけています。
ただし、まだ研究室の中の話です。今回の2台は同じ建物の同じ実験室にあり、外部の機関との比較はこれからです。また、精度の比較は測定のばらつきで頭打ちになっていて、時計そのものはもう少し良い可能性があるものの、それを確かめる手段がまだ追いついていません。世界で唯一のグループが作っている時計なので、ほかの研究機関が同じものを作って追試するにも時間がかかるはずです。
それでも、「冷やさなくてよく、特別なレーザーもいらない時計が、世界で一番正確だった」という事実は、精密時計の作り方に対する考え方をいくらか変えそうです。精度と実用性はトレードオフになりがちですが、材料の選び方ひとつで両方を取れることがある。ルテチウムの時計はその実例になりました。
出典
論文(オープンアクセスで全文を読めます):Arnold, K. J. et al. “Lu+ optical frequency references with accuracy verified at the 19th digit”, Nature (2026)
Natureニュース記事:Best clock ever: timekeeper based on lutetium atoms wows researchers


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