地磁気というと、方位磁針の針を北に向けたり、太陽から飛んでくる粒子をそらしてオーロラを作ったり、渡り鳥やウミガメの道しるべになったり、といった話が思い浮かびます。どれも「体の外側」で起きていることです。では、その磁気が体の中、細胞の中まで届いて何かをしているのか。これは意外なほど分かっていません。
そこを確かめるには、地磁気を取り除いた場所で生き物を飼ってみるのが一番の近道です。イギリス・ノッティンガム大学のチームがショウジョウバエでそれをやったところ、健康なハエと病気のハエで、寿命と動きが正反対に振れました。2026年9月23日に老化研究の専門誌 Aging に載った論文と、404 Media によるインタビューをもとに紹介します。
地磁気を消す箱
地磁気の強さは場所によって違いますが、だいたい25〜60マイクロテスラです。冷蔵庫のマグネットが数ミリテスラなので、それより千分の一以下の弱い磁場が、地球上のどこにいても常にかかっています。生き物はすべて、この磁場の中で進化してきました。
これを取り除くのに使ったのは、ミューメタルという磁気を通しにくい合金で作った円筒形の卓上シールドです。周囲の磁力線がこの合金の壁に吸い寄せられて筒の外側を回り、内側にはほとんど届きません。実測で内部の磁場は約5ナノテスラ。地磁気の1万分の1ほどで、事実上ゼロと言っていい値です。

上の図のように、ハエの入ったガラス管ごとこの筒に入れて、あとは普通に飼うだけです。エサの交換や観察のときはフタを開けて取り出し、終わったらまた戻します。比較用のハエは同じ部屋の、シールドの外で、同じ温度・同じ明るさ・同じ騒音の条件で飼いました。違いは磁場があるかないか、それだけです。
健康なハエと、パーキンソン病モデルのハエ
使ったのはショウジョウバエの2系統です。ひとつは普通の健康な系統。もうひとつは Pink1(ピンクワン)という遺伝子が働かない系統です。
Pink1 は、細胞の中で壊れたミトコンドリアを見つけて片づける仕組みに関わる遺伝子で、人ではこの遺伝子の変異が若年性パーキンソン病の原因になります。この遺伝子が働かないハエは、ミトコンドリアの働きが落ち、筋肉や神経が傷み、動きが鈍くなって、寿命も短くなります。パーキンソン病の研究で長く使われてきたモデルです。
実験では、羽化して10日目または20日目のハエをシールドに入れ、そのまま一生を過ごさせました。Pink1 系統の症状が出始めるのが30日目あたりなので、その前に磁場を消しておくとどうなるかを見る狙いです。寿命は70日目まで記録し、あわせて5日ごとに「登る力」も測りました。ガラス管の底に集めたハエが、決まった時間内にどれだけ5センチの線を越えて上に登れるか、という単純なテストです。ミトコンドリアが弱ると、この登る力が真っ先に落ちます。
寿命と動きが、系統ごとに逆方向へ
結果は、研究チームも予想していなかったものでした。
Pink1 系統のハエは、磁場を消すと寿命が約20%延びました。特に20日目からシールドに入れた群では、死亡のリスクが磁場ありの群のおよそ半分になっています。ところが同じハエの登る力を見ると、こちらは逆に、磁場ありの群より落ちていました。もともと弱い足腰がさらに弱くなった形です。
健康なハエはこれとちょうど裏返しでした。磁場を消すと登る力が上がり、20日目・30日目・40日目の測定ではっきり差が出ています。一方で寿命は短くなる方向に動きました。ただしこちらは、論文本文でも統計的にはっきりした差とは言えないと断っていて、あくまで「縮む傾向」です。
まとめると、磁場を取り除いたときに起きたのはこうなります。
・病気のハエ:長生きになったが、動きは鈍った
・健康なハエ:動きはよくなったが、寿命は縮む傾向
系統によって逆というだけでなく、寿命と動きの向きまで食い違っています。「磁場がなくなると弱る」「磁場がなくなると元気になる」のどちらか一方の単純な話ではなく、もっと細かい何かが細胞の中で動いていると考えるほうが自然です。
筆頭著者の Jacob Reed さんは404 Mediaの取材に、予備実験でこの結果を初めて見たときは何かの間違いだと思い、データを全部見直したと話しています。なぜパーキンソン病のハエのほうが長生きしているのか、すぐには飲み込めなかったそうです。
ミトコンドリアで起きていたこと
その「細かい何か」を探るために、チームはミトコンドリアの働きを2つの方法で測りました。
ひとつは酸素の消費を精密に測る装置で、ミトコンドリアが酸素を使ってエネルギーを作る速さを調べる方法です。ミトコンドリアの中にはエネルギーを作る工程が複数あり、番号で呼ばれています。磁場を消した健康なハエでは、そのうちの「複合体II」と呼ばれる工程の働きがはっきり上がっていました。複合体IIは普段の主役ではなく、酸素不足などのストレスがかかったときに働きを強める予備の経路と考えられているものです。つまり細胞は、磁場が消えたことをひとつのストレスとして受け取り、それに対応するモードに入っていた可能性があります。
もうひとつが、ナノメートルサイズのダイヤモンドを使った量子センサーです。ダイヤモンドの結晶に「窒素空孔中心」という欠陥を入れると、周りの磁気の状態に応じて光り方が変わります。この性質を使うと、ミトコンドリアから出る活性酸素(フリーラジカル)の量を、細胞をすりつぶした液の中で直接読み取れます。測ってみると、磁場を消したハエでは活性酸素が増えていました。

ここで Pink1 系統だけに見えた特徴があります。安静時の活性酸素は磁場なしのほうが多いのですが、エネルギーを作り始めたときの増え方は、磁場なしのほうがむしろ小さくなっていました。健康なハエではこの増え方に磁場の有無で差がありません。研究チームは、Pink1 が働かないせいで詰まっている「壊れたミトコンドリアの処理」が、活性酸素の増加をきっかけに別の経路で動き出しているのではないか、と考えています。健康な細胞にとっては余計な負担になる同じ反応が、もともと処理が滞っている細胞にとっては助けになった、という解釈です。
これはまだ仮説の段階です。論文でもサンプル数が少ないことを認めていて、Pink1 系統の複合体IIの変化は統計的にはっきりした差になっていません。ただ、健康なハエと同じ方向に動いてはいます。
初期段階の研究として
共同で研究を率いた Lisa Chakrabarti 教授は、これはあくまで初期段階の研究だとしたうえで、地磁気を外した時点でミトコンドリアにも細胞の生理にも、そして寿命や運動といった大きなところにも、測れる変化が出ることは確かだと話しています。地磁気と生理機能のあいだに相互作用があること自体は、繰り返し再現できているそうです。
気をつけたい点もいくつかあります。今回の実験はオスのハエだけで行われています(Pink1 遺伝子がX染色体にあるため)。1群あたり40〜60匹で、寿命の統計としては小さめです。そして何より、ハエで起きたことが他の生き物でも起きるかはまだ分かりません。チームは次に別の生物で同じ実験をして、ミトコンドリアと行動に同じような変化が出るかを調べる予定です。
論文はパーキンソン病のような病気に対して、磁場の調整が薬を使わない新しい手段になるかもしれないと締めくくっていますが、これも「かもしれない」の範囲です。ハエの寿命が延びたからといって、人が磁気を遮った部屋で暮らせば何かが良くなる、という話ではありません。
地磁気の外に出る人たち
この研究がもうひとつ意識しているのが、宇宙です。
国際宇宙ステーションは地上400キロほどの高さを飛んでいて、まだ地磁気の中にいます。けれど月や火星へ向かう宇宙飛行士は、地磁気の外に出ます。そこで問題になるのはこれまでもっぱら宇宙放射線でした。磁場が放射線を防いでくれなくなる、という話です。地磁気が「ない」こと自体が体にどう働くかは、放射線の陰に隠れてほとんど調べられていません。
Chakrabarti 教授は、地球にいるあいだは気づかないような小さな違いが、地磁気の外では積み重なる可能性を指摘しています。何を測ればいいかが分かっていなければ、影響が出ていても見逃したまま飛行士を送り出すことになる、と。地磁気を消したハエのミトコンドリアで何が起きるかを細かく調べているのは、そのための物差しを作る作業でもあります。
方位磁針を動かすだけと思っていた地磁気が、細胞のエネルギー工場にまで手を伸ばしているかもしれない。ハエ2系統の小さな実験は、そういう話です。
出典
Hypomagnetic fields modulate lifespan, physical ability and mitochondrial metabolism in a Pink1 model of neurodegeneration(Aging, 2026年9月23日、オープンアクセス)
An Invisible Force Has a Mysterious Effect on Aging, Scientists Discover in ‘Startling’ Breakthrough(404 Media、2026年9月23日、Becky Ferreira)


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