先に断っておくと、この記事で扱う分析結果は2026年8月に学会で発表されたばかりのもので、査読を通った論文にはまだなっていません。骨の調査も続いている途中です。数字や解釈は今後変わる可能性がある、速報段階の話として読んでください。
舞台はオーストリアのウィーン。市の南東、ジンメリング区のハーゼンライテンガッセという通りにあるサッカー場です。2024年10月、この競技場の改修工事で重機が地面を掘り返したところ、人の骨が大量に出てきました。作業員は警察を呼び、警察は一目でこれが最近の事件ではないと判断して、連邦文化財局とウィーン市の考古部局に連絡しました。そこから本格的な発掘が始まります。
この場所は昔から墓地が近く、中世のペスト流行や1683年のオスマン帝国によるウィーン包囲など、大勢が一度に死んだ出来事が周辺で起きています。だから最初、考古学者たちもそれほど驚かなかったそうです。ところが掘り進めるうちに様子が変わってきました。およそ5m×4.5mの狭い穴に、少なくとも129体分の人骨が折り重なっていたのです。向きはばらばら、腕や脚が互いに絡み合い、丁寧に埋葬した形跡がありません。重機で掘り返されて散らばった骨も合わせると、埋められた人数は150人を超えるとみられています。

火葬の時代に土葬された男たち
放射性炭素年代測定と、一緒に出てきたわずかな遺物から、この穴が埋められたのは1世紀末から2世紀初めごろと判定されました。ローマ帝国の時代です。ウィーンにはこのころ、ドナウ川の防衛線を担うローマ軍の駐屯地ヴィンドボナがありました。今のウィーン市街の中心部にあたる場所で、のちに軍団の要塞へと拡張され、ウィーンという都市の出発点になります。
ここで大事なのが、当時のローマでは火葬が普通だったという点です。ヨーロッパ側のローマ帝国領では、紀元100年前後の死者は焼いて葬るのが一般的で、土葬は例外でした。だからこの時代の集団土葬墓はきわめて珍しい。ドイツなどではローマ軍の戦場跡が武器や装備の散らばりから特定されていますが、そこで死んだ兵士の遺体そのものは、火葬されてしまって残っていません。発掘を率いた考古学会社ノヴェトゥスのミヒャエラ・ビンダー氏は2025年の発表時、ローマの戦争の文脈でこれに匹敵する戦闘員の発見はない、と話しています。
2025年4月にウィーン博物館が最初の調査結果を公表した時点で、埋められていたのが全員男性で、多くが20〜30歳代だったこと、槍・剣・短剣・矢による致命傷とみられる痕があることは分かっていました。鉄の短剣、小さな金属板を並べた鱗状の鎧の破片、兜の一部も一緒に出ています。処刑ではなく、軍事行動が破局的な結末を迎えたあとに急いで埋めたものだ、というのがこの時点での見立てでした。
骨盤に集中していた傷
そこから1年あまり。2026年8月6日、ベルリンで開かれた第25回ヨーロッパ古病理学会でノヴェトゥスの生物考古学者シェリダン・ストラング氏が、骨の傷を一体ずつ調べた最初の結果を報告しました。
性別を判定できた個体はすべて男性、死亡時の推定年齢は20〜35歳。少なくとも128体のうち48体に何らかの外傷があり、外傷のある個体の85%に、死亡の前後についた傷が含まれていました。傷の種類は3つに分けられます。剣や短剣のような刃物による傷、棍棒などで殴られた傷、そして槍や矢が刺さった傷です。
分布を見ると、刃物の傷は頭蓋骨、とくに顔と額のあたりに多く、殴られた傷も主に頭でした。ところが刺さった傷は違います。記録された傷のうち40%が骨盤とその周辺に集中していたのです。腰椎や仙骨に穴が開いたものもあり、ある個体では発掘の時点で槍の穂先が骨盤の中に残ったままでした。
なぜ腰ばかり狙われたのか。ストラング氏が最も可能性が高いとする筋書きは、馬に乗った相手を地上から投げ槍で攻撃した、というものです。馬上の兵士は鎧のすき間になる腰まわりが下から見えます。この研究に関わっていないウプサラ大学の生物人類学者パトリック・ランドルフ=クイニー氏も、投射武器の傷が腰と脚に集中していることから、その部分の防具が薄かった可能性と、攻撃側が人体のどこを突けば動けなくなるかを知っていたことが読み取れる、とコメントしています。

帝国じゅうから来た男たちの正体
ここまでなら「ローマ兵の戦死者の墓」で話が収まりそうですが、DNAの予備的な結果が出てきて、話は少しややこしくなりました。
25体分のDNAを調べたところ、全員が染色体の上でも男性だったことに加え、出身地がひどくばらばらだったのです。イタリア半島から来た者、ヨーロッパ大陸の各地から来た者、そして3人は東地中海やレヴァント、つまり今のシリアやレバノンのあたりに祖先を持っていました。ローマ軍が帝国各地から兵士を集めていたことを考えれば、これ自体は軍隊らしい顔ぶれと言えます。
ところがストラング氏は、この男たちが全員ローマ兵だったとは言い切っていません。ローマ兵と、敵対していたゲルマン系の部族の戦死者が一緒に放り込まれた「混ざった墓」である可能性も残している、というのです。誰がローマ側で誰が相手側なのか、骨からは判別できません。埋めた側からすれば、敵も味方も、とにかく片づけなければならない死体だったのかもしれません。
もうひとつ、根本的な問題があります。この場所で、この時期に戦闘があったという記録が、文献にも考古学的な証拠にも一切ないのです。ローマとゲルマン諸族の間には、166年ごろから180年ごろまで続いたマルコマンニ戦争があり、ヴィンドボナの近くでも戦いがあったことは知られています。しかし骨の年代はそれより早く、2025年の発表で挙げられた候補は、紀元92年にゲルマン系の集団がドナウ川を渡って帝国領に侵入し、ローマの1個軍団を壊滅させたという記述でした。ただ、それがハーゼンライテンガッセの出来事だと結びつける材料はありません。分かっているのは、およそ1900年前にここで大勢の男が武器で殺され、まとめて埋められたということだけです。
骨が語りはじめたばかり
研究はまだ入口の段階です。ストラング氏の分析は学会発表にとどまり、査読を経た論文にはなっていません。2025年の発表では確認された人骨が129体とされ、今回の学会要旨では「少なくとも128体」と数え方も微妙に揺れています。死亡年齢の下限も、要旨では20歳、取材記事では18歳と幅があります。こうした細部は、正式な論文で整理されるまで確定しないと考えておいたほうがよさそうです。
その一方で、今後わかることは多そうです。ローマ帝国の時代の戦闘員の骨がこれだけまとまって出ることは、これまでありませんでした。健康状態、食べていたもの、かかっていた病気。文献には残らない、当時の兵士の暮らしの実像が、骨から直接読み取れるかもしれません。DNAの解析対象を増やせば、この穴に誰がいたのかも、もう少しはっきりするはずです。
子どもたちがボールを蹴っていた芝生のすぐ下に、名前も所属も分からない150人の男たちが1900年間眠っていた。ウィーンという街の始まりに、記録に残らなかった殺し合いがあった。その事実だけでも、十分に重い話だと思います。
出典
学会要旨:Sheridan Strang「The Mass Grave of Hasenleitengasse: Perimortem Trauma in a Roman-Period mass grave site」第25回ヨーロッパ古病理学会(2026年8月6日、ベルリン)
https://cfp.dainst.org/25th-european-ppa-meeting/talk/LCZ9CF/
Live Science(2026年8月14日、Kristina Killgrove):’The lance head was still inside the pelvis’: Mass grave found in Austria may hold casualties of unknown ancient Roman battle
https://www.livescience.com/archaeology/romans/the-lance-head-was-still-inside-the-pelvis-mass-grave-found-in-austria-may-hold-casualties-of-unknown-ancient-roman-battle
Smithsonian Magazine(2026年8月20日、Meilan Solly):Construction in Austria Revealed a Roman-Era Mass Grave Beneath a Soccer Field. New Research Suggests That the Men’s Enemies Targeted Their ‘Sensitive Areas’
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/construction-in-austria-revealed-roman-era-mass-grave-beneath-soccer-field-new-research-suggests-that-the-mens-enemies-targeted-their-sensitive-areas-180989372/
2025年の発見時の報道(Live Science、2025年4月4日)
https://www.livescience.com/archaeology/romans/mass-grave-of-roman-era-soldiers-discovered-beneath-soccer-field-in-vienna


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