千年前に書かれた聖書のページから、家畜の病気のウイルスのDNAが出てきました。イギリスやヨーロッパ各地の中世写本を調べたところ、羊痘(ようとう)ウイルス——いまも羊の群れを全滅させることがある感染症の病原体——の遺伝情報が残っていた、という研究です。2026年9月に学術誌『Science Advances』に発表されました。
本そのものが、動物の記録だった
中世の本は紙ではなく、羊皮紙に書かれています。羊や山羊、仔牛の皮を石灰の液に漬けて毛を抜き、枠に張って強く引っぱりながら乾かし、削って薄く平らにしたものです。紙が普及するまで、ヨーロッパの本はほぼこれで作られていました。
つまり1ページ1ページが、いつかどこかで死んだ家畜の皮そのものです。本を「書かれた内容の記録」ではなく「動物の記録」として見ると、話がまったく変わってきます。皮になった時点でその動物が病気だったなら、病原体の痕跡も一緒に閉じ込められているかもしれない。
実際に出てきました。ユニヴァーシティ・カレッジ・ダブリン(UCD)を中心とする国際チームが、ケンブリッジ大学、イェール大学、オーストリア国立図書館、ランベス宮殿図書館などが所蔵する写本を調べ、羊痘ウイルスのDNAを回収しています。遺伝学者だけでなく、歴史学者、ウイルス学者、タンパク質化学者、そして修復の専門家が加わったチームです。

調べられた本の顔ぶれ
対象になったのは8世紀初めから14世紀にかけての写本が中心で、15世紀のものも含まれます。名前を聞けば分かる本が並んでいます。
ひとつは『ヨーク福音書』。約1000年前に作られた装飾写本で、宗教改革を生き延びた数少ない征服前の福音書のひとつです。いまもヨーク大聖堂で使われ続けている、現役の本でもあります。
もうひとつは『コーパス・グロッサリー』。西暦800年ごろに作られた、最古級の英語の辞書にあたる写本で、現在はケンブリッジのコーパス・クリスティ・カレッジにあります。ほかに、8世紀ごろ北部イングランドのノーサンブリアで作られた「パウロ書簡」の注釈付き写本や、ヴァンサン・ド・ボーヴェが編んだ百科事典『大きな鏡(スペクルム・マイユス)』の15世紀の一部も調べられました。
気になるのは、貴重な写本をどうやって傷つけずに調べたのかという点でしょう。羊皮紙の生体分子研究では、ページの表面を消しゴムで軽くこすり、出てきた消しかすを分析する方法が使われます。もともとは皮の動物種を判定するために開発された手口で、削ったり切ったりせずに済みます。『ヨーク福音書』はこの方法で以前から調べられてきた本でもあります。
そして、同じ写本の複数のページから同じウイルスのDNAが見つかった例がありました。たまたま1枚だけ紛れ込んだのではなく、感染した動物の皮がまとまって1冊の本に使われた、ということになります。
青銅器時代の羊の歯まで、さかのぼる
チームは写本だけでは止まりませんでした。ロシアと中央カザフスタンの、青銅器時代の牧畜民の集落から出た羊の歯も調べています。
骨と違い、歯は内部の血管が通っていた部分に感染の痕跡を長く抱え込みます。数千年前の病原体のDNAが残るのはそのためです。ここから、これまでで最も古い羊痘ウイルスの検出例が得られました。紀元前1700年ごろ、いまから3,700年ほど前です。
写本と歯を合わせて、紀元前1700年ごろから1917年までの古代ウイルスゲノムが21個そろいました。羊痘ウイルスの歴史を、3,500年以上にわたって遺伝子のレベルでたどれるようになったのは初めてです。
羊の本ではないページからも出た
予想外だったのは、ウイルスのDNAが羊の皮のページ以外からも出たことです。仔牛の皮、山羊の皮、それに紙からも見つかりました。
羊痘ウイルスは名前のとおり羊の病気です。仔牛の皮から出てくる理由は、いまのところ二通り考えられています。ひとつは、めずらしいことに種を越えて感染していた場合。もうひとつは、羊皮紙や紙を作る工程で混ざった場合です。
当時、紙を丈夫にしたり表面をなめらかにしたりするために、動物由来のゼラチンや膠(にかわ)が広く使われていました。同じ工房で羊の皮も仔牛の皮も扱っていたなら、道具や液を通じてウイルスが移っても不思議はありません。
どちらなのかは、まだ決着していません。ただ、どちらだとしても本を作る現場の様子が透けて見えるのは確かです。ページは書いた人の記録であると同時に、皮をなめした工房の記録でもあった、ということになります。

千年のあいだ、ほとんど変わっていなかった
そろった21個のゲノムを並べて、この研究でいちばん目を引く結果が出ます。羊痘ウイルスの遺伝情報は、この数千年でほとんど変化していませんでした。
ウイルスといえば変わり続けるもの、という印象があります。実際、人の天然痘ウイルスは歴史の中で系統が入れ替わり、遺伝子の増減も起きてきました。羊痘ウイルスはそうなっていない。青銅器時代の羊の歯から取れたゲノムの時点で、すでに現代の株と同じ遺伝子の欠け方をしていました。
研究チームの筆頭著者、UCDの博士課程に在籍するルイ・ロートさんは、この安定性を逆から読んでいます。変化がないのなら、重要な変化はもっと前に終わっていたはずだ、と。ウイルスが羊という宿主に食い込むための作り替えは、記録の始まる3,700年前より古い段階で完了していて、以後は手を加える必要がなかった。そう考えると、いまの羊痘ウイルスと戦うときに狙うべき急所も、その古い時期にできた部分にある可能性が出てきます。
関連するカプリポックスウイルス属——羊痘ウイルス、山羊痘ウイルス、ランピースキン病ウイルスの3つ——の主要な系統が共通祖先から分かれた時期は、11,500年前から3,700年前のあいだと見積もられました。家畜化が広がり、羊がユーラシアの草原地帯からヨーロッパへ大きく移動していった時期と重なります。人が家畜の飼い方と動かし方を変えた時期に、ウイルスの側も枝分かれしていた。因果関係まで示せたわけではありませんが、時期はきれいに重なります。
いまも続いている病気の話として
この研究が過去の話だけで終わらないのは、羊痘がいまも現役の脅威だからです。ギリシャでは羊痘・山羊痘の流行が続いていて、封じ込めのために数十万頭が殺処分されました。ロートさんも「世界中の人々が、いまもこの病原体と戦っている」と述べています。
研究を統括したUCD農業食品科学部のケヴィン・G・デイリー准教授は、羊皮紙づくりを「消えつつある技術」と呼んだうえで、その羊皮紙がどれだけのものを抱え込んでいたかを私たちはようやく分かり始めた、と話しています。写本は文化の記録として守られてきましたが、同時に中世の家畜がどんな病気にさらされていたかの記録でもあった。
そう考えると、世界中の図書館や文書館に眠っている膨大な羊皮紙が、まるごと試料の山に見えてきます。どの本の、どのページが、どこの何年ごろの家畜から来たのか。写本学の側にはすでにその情報が積み上がっています。あとは読み取る技術のほうが追いついてきた、という段階です。
ただし、慎重に見ておきたい点もあります。仔牛や山羊の皮から出たDNAの由来がはっきりしない以上、「どの本からどの動物の病気が見つかった」という対応づけは、まだそのまま信用できません。工程での混入と本当の感染をどう区別するかは、これからの課題として残っています。


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