エジプトのポケット版『オデュッセイア』が、オランダの図書館で見つかるまで

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オランダのユトレヒト大学図書館で、約1700年前の『オデュッセイア』の断片が見つかりました。トランプ1枚ほどの羊皮紙で、書かれていたのは第12歌――ヘリオスの牛を食べてしまった部下たちが、ゼウスの怒りで海に沈む場面です。見つかったのは2024年ですが、大学が正式に発表したのは2026年9月14日でした。

写本の山の中にあった小さな切れ端

見つけたのは、ラドバウド大学(オランダ・ナイメーヘン)の研究者マルク・デ・クレイさん。ユトレヒト大学図書館の特別コレクションにある古い写本を調べて目録にまとめる仕事の途中で、この断片に行き当たりました。

このコレクションは、20世紀半ばにドイツの学者カール・シュミットの遺族から大学が買い取ったものです。中身の大半は羊皮紙に書かれたコプト語(ギリシャ文字で書き表したエジプトの言葉)の初期キリスト教文書で、そこにエジプト語やギリシャ語のパピルスが少し混じっていました。

問題の断片は、6.6センチ×7.7センチ。変色して水のしみだらけで、見た目はぱっとしません。目録では「ありふれた7世紀の断片」として扱われていました。ただ、表面にはとても小さく、きちんとそろった字が並んでいました。デ・クレイさんは、そのなかにホメロスの叙事詩に特有の言い回しをいくつか見つけます。ギリシャ語を学ぶ人は必ずホメロスを読むので、すぐにピンときたそうです。

ヘリオスの牛と、船を失う場面

調べを進めると、書かれていたのは『オデュッセイア』第12歌の詩句だと分かりました。物語の中でも有名な場面です。

トロイア戦争を終えて故郷イタケへ帰る途中、オデュッセウスの一行は、太陽神ヘリオスの島トリナキエに立ち寄ります。魔女キルケからは「この島には近づくな」と言われていましたし、上陸するにしても「牛には手を出すな」と部下たちに念を押していました。ところが嵐で1か月も足止めされ、食料が尽きます。オデュッセウスが目を離したすきに、部下たちはヘリオスの聖なる牛を殺して食べてしまいます。

これを知ったヘリオスはゼウスに報復を求め、ゼウスは雷で船を砕きます。生き残ったのはオデュッセウスただ一人。ユトレヒトの断片に残っているのは、まさにヘリオスが部下たちの仕業を知る瞬間の詩句です。

断片は両面に字が書かれています。1枚の紙の表と裏に続けて書く形は、巻物ではなく冊子(今の本と同じ綴じ方)の特徴です。全体像は、『オデュッセイア』全巻を収めた携帯版の写本だったと見られています。大きさは電子書籍端末くらい。作られたのは3世紀から4世紀、西暦300年ごろで、場所はエジプトのファイユーム・オアシス。当時この地方でホメロスを読んでいた誰かの持ち物だった、というわけです。

この時代の『オデュッセイア』の写本断片は、世界でも30点ほどしか知られていません。1点増えたというだけでも、古典学の世界ではかなりの出来事です。

物語の真ん中だから残った

ここからが、この発見のいちばん面白いところです。

『オデュッセイア』は全24歌。第12歌はちょうど折り返し点にあたります。しかも内容の上でも、ここは物語の転換点です。船も仲間も失い、オデュッセウスの10年の旅は最も低いところまで落ちる。けれどそこから、故郷で妻ペネロペイアと屋敷を狙う求婚者たちへの復讐へと物語が動き出します。大学の発表も、この場面を「物語のティッピングポイント(潮目が変わる点)」と呼んでいます。

そして、物語の真ん中ということは、冊子の真ん中のページでもあります。デ・クレイさんは、この断片が残ったのは本の中ほどにあって、外側のページに守られたからではないか、と話しています。物語で最も重い場面が、物理的にもいちばん守られた場所にあった。偶然ですが、できすぎた偶然です。

もうひとつの偶然は、目録の誤りです。7世紀の断片として登録されていたため、70年近く誰も詳しく見ませんでした。字がとても小さく整っているのは、もっと古い時代の書き手の特徴でもあります。専門家が一枚ずつ目を通す作業をしなければ、まだ眠ったままだったでしょう。

古代の本はどう作られ、どう散ったか

この断片が残った背景には、当時の本の作り方と、その後の流転があります。

ホメロスの時代からずっと、本といえば巻物でした。パピルス(ナイル川の水辺に生える草を薄くのばして貼り合わせた紙)を横に長くつないで、くるくる巻いて保管します。読むときは両手で少しずつ広げるので、途中の場面を開くのはひと苦労です。

これが紀元後の数世紀で、少しずつ冊子に変わっていきます。羊皮紙(羊や山羊などの皮をなめして薄くしたもの)は両面に書けて丈夫なので、冊子向きでした。ページをめくれば好きな場面にすぐ行ける。『オデュッセイア』全巻をポケットに入る大きさに収められたのは、この形のおかげです。ユトレヒトの断片は、巻物から冊子へ切り替わっていく時期の実物ということになります。

では、エジプトの本がなぜオランダにあるのか。ファイユーム・オアシスをはじめとするエジプトの乾いた土地では、パピルスや羊皮紙が腐らずに残ります。19世紀末から20世紀にかけて、そこから掘り出された文書が大量にヨーロッパの学者や収集家の手に渡りました。カール・シュミットもそうした学者の一人で、その死後、集めたものが遺族から大学へ売られた。ホメロスの断片が、初期キリスト教のコプト語文書と一緒の箱に入っていたのは、集める側にとってどちらも「エジプトから出た古い写本」だったからでしょう。どういう経緯でこの1枚がシュミットの手に渡ったのかは分かっていません。

断片には「Utrecht Gr. Ms. B6.39a」という整理番号が付けられました。正式な研究は、デ・クレイさんがユトレヒト大学のコレクションをまとめて刊行する書籍『Hieratic, Demotic, Greek, and Coptic Texts in the Utrecht University Collection』に収められる予定です。査読論文としての発表はまだなので、細かい読みや年代については、この本が出てから確定していく部分もあります。

なお、発見から2年たってなぜ今かというと、大学はクリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』の話題を挙げています。1700年前にエジプトの人が携帯版で読んでいた物語を、いま映画館で見ている。ホメロスの人気が途切れていないことの、ちょっとした証拠でもあります。

出典

4th-century fragment of the Odyssey discovered in Utrecht University Library(ユトレヒト大学、2026年9月14日)

1,700-year-old fragment of the ‘Odyssey’ discovered between pages of Dutch library book(Live Science、2026年9月16日)

Scrap of 1700-year-old copy of The Odyssey washes up in Utrecht(DutchNews.nl、2026年9月16日)

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