B型肝炎は、ウイルスを体から追い出すのがとても難しい感染症です。いま標準で使われている核酸アナログ製剤という飲み薬は、ウイルスが増えるのを抑え込む力は高いのですが、飲むのをやめるとウイルスがぶり返すことが多く、多くの人が何年も、場合によっては一生飲み続けることになります。
2026年9月21日、その状況を変えるかもしれない薬の前臨床データ(人に使う前の、細胞と動物での試験結果)が Nature Biomedical Engineering に発表されました。CRMA-1001という開発中の薬で、CRISPR-Cas9を使いながら、DNAをいっさい切りません。切る代わりに、ウイルスのDNAに化学的な目印を付けて、黙らせます。
ウイルスが肝臓に残しておく二つの隠れ家
B型肝炎ウイルス(HBV)が居座り続けられるのは、肝細胞の中に二種類の「置き土産」を残すからです。
一つは cccDNA と呼ばれる環状のDNAです。細胞の核の中に、染色体とは別の小さな輪として長くとどまり、ウイルスの部品を作るための設計図として働き続けます。飲み薬をやめたときにウイルスが戻ってくるのは、この輪が残っているためです。
もう一つは、ヒトの染色体そのものに割り込んで組み込まれたウイルスDNAです。こちらからは感染力のあるウイルス粒子は作られませんが、HBs抗原というウイルスの外殻のタンパク質が作られ続けます。この抗原が血液中に多くあると、免疫のほうがウイルスを敵と見なさなくなり、攻撃の手がゆるみます。しかも組み込みは、肝細胞に分子レベルの変化を起こして、肝がんのきっかけにもなり得ます。
つまり、本当にウイルスを抑え込むには、この二つの両方を止める必要があります。
切る代わりに目印を付ける
CRMA-1001 が使うのは、切る力を失わせた Cas9 です。通常の CRISPR-Cas9 は、ガイドRNAが示した場所へ酵素を運び、そこでDNAを切断します。この薬の Cas9 は切断部分が働かないように作り変えてあり、運ばれた先でDNAにくっつくだけです。
そこに、遺伝子の働きを抑える部品と、DNAにメチル基という小さな化学的な目印を付ける部品がつながっています。目印が付いた領域は、細胞が持っている本来の仕組みによって「読まない場所」として扱われ、そこからの転写、つまり設計図の読み出しが止まります。配列そのものは一文字も書き換わりません。目印は、ガイドRNAが結合した地点からおよそ1.5キロ塩基ぶん左右に広がるので、ウイルスの複数のプロモーター(読み出しのスイッチ)をまとめて覆えます。
薬そのものは、ガイドRNAと、この装置を作るためのmRNAを脂質ナノ粒子に包んだもので、点滴で投与します。新型コロナワクチンでも使われた、肝臓に届きやすい運び屋です。

切らないことが安全につながる
ここが、この研究のいちばん面白いところです。「切れない Cas9」は性能を落とした妥協案のように聞こえますが、B型肝炎に関しては、切らないこと自体が利点になります。
DNAを切る方式をHBVに使うと、染色体の組み換えが起きるリスクに加えて、切断の後始末の過程で新しい組み込みが生まれたり、小さくなったけれど読み出しは生きている環状DNAができたりすることが報告されています。ウイルスを減らすつもりの操作が、別の形の置き土産を増やしかねないわけです。目印を付けるだけなら、ゲノムはそのまま残ります。
効き目の持続でも、切らない方式は既存の候補薬と性質が違います。siRNAやアンチセンス核酸は、作られたあとのウイルスのメッセンジャーRNAを壊す方式なので、薬が体内にあるあいだしか効きません。臨床試験でも、指標は下がるものの、やめると戻ってしまうという結果が出ています。一方、メチル基の目印は細胞の中に残ります。実際、装置を作るmRNAもガイドRNAも投与から7日で検出できなくなるのに、抑え込みはその後も続きました。開発陣は同じ装置を別の遺伝子(コレステロールに関わる PCSK9)に向けた試験も行っており、サルでは1回の投与で2年間、抑制が続いています。
マウスとサルでの成績
ウイルスの量をどれくらい下げられたか。組み込みDNAを持つマウスでも、環状DNAを持つマウスでも、1回の投与で血液中のウイルス指標が大きく下がりました。環状DNAのモデルでは、HBs抗原が最大で3.4桁、ウイルスDNAが2.3桁の減少です。4週間ごとに3回打つと効果はさらに上がり、1 mg/kgの群では9割の個体で、投与から6か月後にHBs抗原もウイルスDNAも検出限界を下回りました。
ヒトの肝細胞を使った試験では、HBs抗原とHBe抗原が対照に比べて98%減りました。そして、取り出した環状DNAを調べると、狙った領域にきちんと目印が付いていました。
安全性の試験はカニクイザルで行われました。月1回、最大2 mg/kg で3回投与したところ、薬に関連する変化は最高用量での肝酵素の一時的な上昇だけで、最後の投与から4週間で戻っています。組織の異常や症状は伴わず、有害とは判定されませんでした。薬がどこへ届くかを調べた結果では、肝臓と脾臓が中心で、精子や卵子のもとになる細胞には届いていません。ヒトの細胞3種類・9人分のドナーを使った特異度の検査でも、狙っていないヒト遺伝子でメチル化と発現変化が同時に起きた例は見つかりませんでした。
ただし、著者ら自身が限界を挙げています。HBVに感染する霊長類のモデルは存在せず、マウスのモデルもヒトの感染を完全に再現するものではありません。最終的にどこまで人で通用するかは、臨床試験の結果を待つしかありません。
すでに人への投与は始まっている
開発企業の nChroma Bio は、香港とニュージーランドで複数回投与の臨床試験を始めており、最初の参加者には2026年1月に点滴で投与されています。目指しているのは「機能的治癒」と呼ばれる状態で、治療をやめてから6か月以上、HBs抗原が消えたままでウイルスDNAも検出されないこと。今の飲み薬ではめったに到達できない到達点です。
読むときに押さえておきたい点が二つあります。一つは、今回発表されたのはあくまで細胞と動物での結果で、ヒトでの有効性はまだ公表されていないこと。もう一つは、論文の著者の多くが開発企業の所属で、企業が当事者である研究だということです(共著者のアンジェロ・ロンバルド氏はミラノのサン・ラッファエーレ・テレソン遺伝子治療研究所の研究者で、同社の共同創業者でもあります)。第三者の追試や、臨床試験の結果を見るまでは、結論を急がないほうがよさそうです。
それでも、遺伝子を操作する技術が「切る」から「付箋を貼る」へ広がりつつあること自体は、押さえておく価値があります。B型肝炎ウイルスの持続感染者は世界で約2億5000万人、日本でも厚生労働省の推計で約99万〜103万人(2020年)。自分や家族が肝炎ウイルス検査を受けたことがあるかどうか、思い出してみてもいい話題だと思います。


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