盗掘されてもなお残った、エトルリア最高位の墓——ウルチで137年ぶりに開いた「石室の墓」

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1889年、フランスの考古学者ステファン・ジゼルは、ローマの北西にある古代都市ウルチの墓地で、直径30メートルほどの円い石の囲いを見つけました。囲いの大きさから、これはただの墓ではないと考え、ウルチ最大の墳丘になぞらえて「新しいクックメッラ」と呼んだそうです。ところが、囲いの輪郭を確かめたところで時間と資金が尽き、中に何があるのかは掘らずじまい。そのまま137年が過ぎました。

2026年の夏、その囲いの内側から、部屋が3つある巨大な石造りの墓が出てきました。名前は「石室の墓(Tomba della Camera di pietra)」。造られたのは紀元前7世紀の終わりごろ、いまから2,600年あまり前です。発表したのはイタリアのヴィテルボ県・南エトルリア考古美術景観監督局で、発掘は2023年から続く国際プロジェクト「ウルチへの帰還(Ritorno a Vulci)」が担当しています。共同ディレクターの一人、大英博物館のクリスティアン・マゼ氏は、これが最高位の人物の墓であることに疑いはないと話しています。

査読を通った論文はまだ出ていません。以下は「発掘チームがこう発表した」という段階の話として読んでください。

ローマより前にイタリアを動かしていた人たち

エトルリア人は、ローマが大きくなる前のイタリア半島の中部で栄えた民族です。ウルチはその主要都市のひとつで、現在のラツィオ州北部、ティレニア海の海岸から20キロほど内陸に入った、フィオーラ川を見おろす台地にありました。川をたどれば海に出られ、陸路で内陸のほかの都市ともつながる。物と人が行き交う場所です。

この墓が造られた紀元前7世紀末は、ウルチがもっとも豊かだった時期にあたります。考古学ではこの時代を「オリエンタライジング期」と呼びます。ギリシアや東地中海から物や技術や流行が流れ込み、それをイタリアの人々が自分たちの文化に取り込んでいった時代、という意味です。ローマがウルチを征服するのは紀元前280年。墓ができてから300年以上あとのことなので、副葬品が納められた時点では、ローマはまだイタリアの中心ではありませんでした。

ウルチの墓地は19世紀に何千もの墓が掘り出されたことで知られていますが、当時の発掘は金目の物を取り出すのが主な目的で、どの品がどの部屋にどう置かれていたかという記録はほとんど残っていません。品物はローマ、ロンドン、パリなど各地の博物館に散らばり、いまとなっては「ウルチから来た」ことは分かっても「どの墓から来た」かは辿れないものが少なくありません。今回の発掘は、その穴を埋めようという取り組みの一部です。

3つの部屋に納められていたもの

墓は、フィオーラ川がかつて運んだ堆積層を掘り込んで造られ、中央の部屋の壁は「ネンフロ」と呼ばれる地元の火山岩のブロックで組まれていました。屋根は崩れ落ちていましたが、その下に副葬品がそのまま残っていたそうです。

上の絵は発表内容をもとにした想像図で、実際の発掘写真は記事末尾の出典ページで見られます。

出てきたものを並べると、ひとりの人物のためというより、ある一族の暮らしぶりをそのまま封じ込めたような顔ぶれです。武器。戦車の部品。肉を焼く串(オベロイ)。金と青銅の薄板。骨や象牙の細工物。装身具や衣服にかかわる品が多数。そのなかに、女性用の靴がありました。靴は革や布でできているので、2,600年も土の中で形を保つことはめったにありません。武器や金に比べれば地味な品ですが、そこに葬られた人の身なりに直接つながるものとして、発掘チームはとくに珍しい発見に数えています。

器の類いも豊富でした。エトルリア特有の、黒くつやのある「ブッケロ」という土器。装飾を施した地元の土器。そして、ギリシアのコリントスやアテネ周辺(アッティカ)で焼かれた輸入陶器です。

盗掘されていたのに残っていた脇の部屋

ここで、ひとつ断っておくことがあります。この墓は、手つかずで見つかったわけではありません。監督局の発表によると、20世紀のあいだに何度も盗掘者が入っています。「最高位の墓」と聞いて、封印されたままの宝物庫を想像すると、少し違います。

それでも、墓の構造は驚くほど残っていて、とりわけ両脇の部屋には、盗掘者が持ち出さなかった品が置かれたままになっていました。

その筆頭が、宴会用の食器一式です。ウルチのこの墓地でしか出ない「ポッレドラーラ・ウェア」という珍しい地元産の彩色陶器で、浅い杯、注ぎ口のある水差し、大きな水がめ、混酒用の鉢がそろい、一部は2,600年前に置かれた位置から動いていませんでした。ブッケロの器と、ワインを準備するための「おろし金」も一緒です。当時のワインはそのまま飲むものではなく、チーズや香辛料をすりおろして加える飲み方があったので、おろし金は宴会道具のひとつでした。さらに、野生のヤギの絵柄で知られるイオニア(現在のトルコ西岸あたりのギリシア人都市)の「ワイルド・ゴート様式」の大きな彩色杯も見つかっています。

もうひとつが、青銅の三脚台と、それに添えられたアラバスター(雪花石膏)のランプです。監督局の発表では、これらは「おそらくナウクラティスかロドスの一帯から来たもの」とされています。ナウクラティスはエジプトのナイル河口にあったギリシア人の交易都市で、ロドスはエーゲ海の南東の端、トルコの目と鼻の先にある島。どちらにしても、イタリアからは船で何週間もかかる距離です。

盗掘を受けた墓から、なぜこれほど残ったのか。ひとつには、屋根が崩れて土に埋もれたことで脇の部屋に手が届きにくくなった、という事情がありそうです。ただ、その点について発表は詳しく述べていないので、ここは今後の報告待ちです。

隣の墓が失ったものを、この墓が取り戻す

今回の発見の意味は、出てきた品物の豪華さだけではありません。むしろ発掘チームが強調しているのは、すぐ近くにある別の墓との関係です。

1839年、同じポッレドラーラ墓地で「イシスの墓」が見つかりました。掘ったのはナポレオンの弟リュシアン・ボナパルトの夫妻で、当時の慣例どおり、価値の高い品だけが持ち出され、残りは捨てられました。女神イシスに見立てられた女性像をはじめ60点あまりがいま大英博物館にあります。ただ、墓そのものの場所は発掘後に分からなくなり、どの品がどの部屋にどう置かれていたかも記録されていません。研究者たちは、イシスの墓は今回の墳丘のすぐ南に並ぶ石室のどれかではないかとみていますが、まだ現地で確かめられてはいません。

「石室の墓」は、このイシスの墓とほぼ同じ時代、同じ墓地、同じ階層の人物の墓です。しかも今回は、品物の位置も、部屋の構造も、土の重なりも、写真も図面も、すべて現代の方法で記録されています。つまり、1839年に失われた「文脈」を、隣の墓を通して読み直せる可能性が出てきたわけです。大英博物館が発掘プロジェクトに加わっているのは、まさにこのためでもあります。

ひとつの壺だけを見れば、分かるのは形と模様と焼かれた時期くらいです。同じ壺が、どんな器と並べられ、どの部屋で、どんな品に囲まれて置かれていたかが分かると、そこに葬られた人がどういう宴を開き、どこの物を好み、何を見せたかったのかが見えてきます。今回の墓は、その「並べ方」がまるごと残った、ウルチではめったにない例です。

地中海の向こうから届いた品々

副葬品の産地を地図に落としてみると、この墓の持ち主が生きていた世界の広さが分かります。地元ウルチの彩色陶器とブッケロ。ギリシア本土のコリントスとアッティカの陶器。トルコ西岸のイオニアの杯。そして、エジプトの河口かロドス島から来たとみられる三脚とランプ。紀元前7世紀の末に、ティレニア海に面したひとつの都市の一族が、東地中海のほぼ全域から品物を集めていたことになります。

ただ、これは「ギリシア文化がイタリアに流れ込んだ」という一方通行の話ではありません。宴会用の食器一式は、ギリシアの飲み方を取り入れながらも地元の職人が地元の様式で焼いたものですし、輸入品はその中に混ぜて使われています。外から来たものを選び、組み合わせ、自分たちの宴のかたちに作り替えていく。オリエンタライジング期という言葉が指しているのは、そういう営みです。

墓と墳丘の囲いは、調査の終わりにいったん土で埋め戻されました。露出させたままにすると壁が傷むためです。発掘は2027年に再開され、そのあとで出土品の詳しい研究と論文の発表が予定されています。ジゼルの言った「新しいクックメッラ」がどれほどの大きさだったのか、プロジェクトの試算では本家のクックメッラ(直径約70メートル)に匹敵するか、上回る可能性もあるとのこと。囲いの外側にまだ何が眠っているのかも含めて、いま分かっているのは最初の1章にすぎません。

出典

解説記事(英語):Live Science「Archaeologists discover ‘tomb of the very highest rank’ in 2,700-year-old Etruscan cemetery」(Kristina Killgrove、2026年9月24日)
https://www.livescience.com/archaeology/archaeologists-discover-tomb-of-the-very-highest-rank-in-2-700-year-old-etruscan-cemetery

監督局発表の全文(イタリア語):Archeomedia「Grande scoperta a Vulci, riemersa una monumentale tomba etrusca che racconta l’élite di 2600 anni fa」(2026年9月)
https://www.archeomedia.net/montalto-di-castro-vt-grande-scoperta-a-vulci-riemersa-una-monumentale-tomba-etrusca-che-racconta-lelite-di-2600-anni-fa/

発表の英訳と解説(英語):Finestre sull’Arte「Vulci: Discovery of the “Tomba della Camera di Pietra,” a monumental tomb of the Etruscan aristocracy」
https://www.finestresullarte.info/en/archaeology/vulci-discovery-of-the-tomba-della-camera-di-pietra-a-monumental-tomb-of-the-etruscan-aristocracy

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