超音速旅客機コンコルドが、定期便としてはじめて客を乗せて飛んだのは1976年1月21日。ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)がロンドン〜バーレーン線を、エールフランス(AF)がパリ〜リオデジャネイロ線を、同じ日に飛ばしました。2026年で、ちょうど就航から半世紀になります。
音速の2倍の速さで人を運ぶ、という離れ業を、コンコルドは実際にやってのけました。ただ、その速さに見合うだけの採算は最後まで取れず、商売としてはずっと苦しかった――というのが、いま振り返ったときの率直なところです。元になった海外記事(The Register)の見出しも、「音速の2倍、そして“2倍”の経営難」と速さと苦労を掛けて表現しています。
50年前の初就航
厳密にいうと、世界で最初に就航した超音速旅客機はソ連のツポレフTu-144で、1975年12月に運航を始めています。ただ、Tu-144が客を乗せた定期便を飛ばしたのは1977年から。客を乗せた定期旅客便としてはコンコルドのほうが先、という関係です。
コンコルドは英仏が共同で開発した機体で、造られたのは20機、実際に航空会社で就航したのは14機でした。一度に運べる客は100人前後。早い段階で買い手はBAとAFの2社だけになり、生産ラインは1970年代後半にはたたまれていきます。最後に造られた1機が初飛行したのは1979年でした。
マッハ2を可能にした技術
コンコルドの巡航速度は音速の2倍あまり(マッハ2)。時速にしておよそ2,000kmを超えます。飛ぶ高さも普通のジェット旅客機の倍近い、高度およそ1万7,000〜1万8,000m。乗客の窓からは地球の丸みが見えるほどでした。これでロンドン〜ニューヨークを約3時間、つまり通常の旅客機の半分ほどで結びました。
速く飛ぶと、機体は空気との摩擦で熱くなります。コンコルドの場合、外の気温が-56℃ほどなのに、機体表面(外板)は120℃を超えるまで加熱され、飛行中は機体が前後に20cmほど伸びたとされます。離着陸のときはパイロットの視界を確保するために、とがった機首が下へ折れ曲がる仕掛け(ドループノーズ)も持っていました。半世紀前の機体としては、相当に手の込んだ作りです。

商売として合わなかった理由
技術が立派でも、ビジネスとしては最後まで噛み合いませんでした。理由はいくつも重なっています。
ひとつは騒音です。超音速で飛ぶと、衝撃波が地上に届いて「ドン」という大きな音(ソニックブーム)になります。これを嫌って、各地で陸の上を超音速で飛ぶことが制限・禁止されました。コンコルドが本来の速さを出せたのは大西洋などの海の上だけで、飛べる路線がそもそも限られたわけです。米国も騒音への懸念から当初は着陸を認めず、ニューヨーク就航は1977年からでした。
もうひとつは燃費の悪さです。1973年のオイルショックで、世の中の関心は「燃料を食わない機体」へと一気に傾きました。ほぼ同じ時期に登場したボーイング747が一度に数百人を運べたのに対し、コンコルドは100人前後。速いけれど少ししか運べず、しかも燃料を食う――という機体は、たくさん運んで安くする「数の経済」では分が悪いものでした。運航コストが高ければ運賃も高くなり、乗れる客はさらに絞られます。速さという長所が、そのまま採算の重しになっていた、という構図です。
引退までの経緯
晩年は不運も重なりました。2000年7月25日、パリのシャルル・ド・ゴール空港で離陸時に1機が墜落し、乗っていた109人全員が亡くなり、地上にも犠牲者が出ました(計113人)。その後の乗客減に加え、2001年の米同時多発テロを受けた航空不況、そしてメーカー側(エアバス)が交換部品の供給を打ち切ったことなどが重なります。
こうして2003年、エールフランスが5月に、ブリティッシュ・エアウェイズが10月24日に、それぞれコンコルドを退役させました。飛行回数が少なく機体の傷みは小さかったため、「物理的にはまだ飛べた」という見方もあります。ヴァージンのリチャード・ブランソンが存続に関心を示しましたが、最終的に空を去りました。
ふたたび動き出した超音速旅客機
退役から20年あまり、超音速の旅客定期便は一度も復活していません。それでも「もう一度」という動きは続いています。
いま中心にいるのは米国のBoom Supersonicで、開発中の機体は「Overture(オーバーチュア)」。マッハ1.7で60〜80人ほどを運ぶ計画です。ユナイテッド航空、アメリカン航空、日本航空(JAL)などから受注・予約が入っています。実証機の「XB-1」は2025年1月、モハーベ砂漠の上空で音速を突破(マッハ約1.1)し、試験を一通り終えました。
コンコルドの泣きどころだった「陸の上を超音速で飛べない」問題には、新しい手で挑もうとしています。Boomが掲げる「ブームレス・クルーズ」は、特定の高度と速度で飛べば衝撃波の音が地上まで届かない、という飛ばし方。さらに2025年6月6日、米国は1973年以来続いてきた陸上での超音速飛行の禁止を大統領令で解除しました(元記事はこれを「アメリカの航空を再び偉大に」と皮肉まじりに紹介しています)。陸の上も飛べる道が開けば、海の上に縛られたコンコルドより路線を増やせます。NASAも、轟音を「コツン」程度に抑える静かな超音速機「X-59」を開発し、2025年10月に初飛行させました。
Boomは、座席あたりの値段をビジネスクラス並み(ニューヨーク〜ロンドンで片道1,700ドル前後)まで下げると説明しています。1990年代のコンコルドが往復で1万ドルを超えたのと比べれば、狙いどころははっきりしています。コンコルドが解けなかった「採算」という宿題に、価格設計の面から答えを出そうとしている、ということです。
いまの挑戦が残す宿題
ただし、ここまでの話の多くは各社・各国の「計画」や「目標」の段階です。Boom自身、量産に向けた巨額の開発資金や、各国の航空当局による認証という大きな関門をこれから越えなければなりません。会社の評価額が下がったとの報道もあります。Overtureがいつ客を乗せて飛ぶかも、まだ確定した話ではありません。
コンコルドがつまずいたのは、速さの技術ではなく採算でした。今回も、速さや静かさの技術が進んだとしても、「商売として続けられるか」という同じ問いは残ります。期待しすぎず、悲観しすぎず、淡々と続報を待つくらいがちょうどよさそうです。50年前に証明されたのは「音速の2倍で人は運べる」ということ。残された宿題は、いまも当時とそれほど変わっていません。
出典・参考リンク
・Concorde at 50: Twice the speed of sound, twice the economic trouble(The Register)
・What Happened to the Concordes?(スミソニアン国立航空宇宙博物館)
・The Return of Supersonic Travel(Boom Supersonic)


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