冷凍機いらずの量子コンピュータ、正体はダイヤモンドの「傷」——コンセントで動く128量子ビット機が発売

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量子コンピュータの写真というと、金色の配管が何段にも重なった、シャンデリアのような装置を思い浮かべる人が多いと思います。あれは本体を絶対零度近くまで冷やすための冷凍機で、量子コンピュータには巨大な冷却設備がつきもの——というのが、これまでの常識でした。

ドイツのスタートアップSAXON Q(ザクソンQ)が2026年7月21日に商用発売を発表した量子コンピュータは、その常識から外れています。室温で動き、標準的なサーバーラックに収まり、電源は普通のコンセント。冷凍機も真空装置も専用施設も要りません。128量子ビットの「SXQ128」がすでに注文可能で、512量子ビットの「SXQ512」は2027年第2四半期の出荷予定です。

量子コンピュータが冷やされる理由

そもそも、なぜ多くの量子コンピュータは冷やす必要があるのでしょうか。IBMやGoogleが採用する超伝導方式では、量子ビットの繊細な状態が熱によるノイズですぐに壊れてしまうため、マイナス273℃近く——宇宙空間よりも冷たい温度——まで冷やして守ってやる必要があります。この冷却を担うのが希釈冷凍機と呼ばれる大がかりな装置で、重さは数百キログラム、消費電力も大きく、設置には防振対策を施した専用の部屋が求められます。

つまり量子コンピュータ本体のチップは小さくても、それを動かすための周辺設備が巨大になる。量子コンピュータが「研究所の中の存在」であり続けてきた理由のひとつが、この冷却でした。

役に立つのは「傷のあるダイヤモンド」

SAXON Qのマシンが冷凍機なしで動くのは、量子ビットの作り方が根本から違うからです。使っているのは人工ダイヤモンド——ただし、完璧な結晶ではありません。むしろ逆で、わざと「傷」を入れたダイヤモンドです。

ダイヤモンドは炭素原子がきれいに並んだ結晶ですが、そのうち1個を窒素原子に置き換え、さらにその隣の原子を1個抜いて空孔にすると、「窒素-空孔中心(NV中心)」と呼ばれる欠陥ができます。この欠陥に閉じ込められた電子のスピン(自転のような性質)は、周囲の炭素にしっかり守られているおかげで、室温でも量子状態を長く保てます。レーザーで初期状態にセットし、マイクロ波パルスで操作すれば、量子ビットとして働くのです。

宝石としては価値を下げるはずの欠陥が、量子計算では主役になる。この逆説がNV中心方式の面白いところで、原理自体は以前から知られていました。ダイヤモンドという頑丈な「入れ物」が電子を守ってくれるので、超伝導方式のように環境ごと凍らせる必要がないわけです。

10量子ビットの壁と硫黄

ただし、原理が知られていることと、実用的な数の量子ビットを作れることは別問題です。Live Scienceによれば、今回の発表以前に、NV中心方式で10量子ビットを超えて動作する量子コンピュータを示した公表研究は見当たらなかったといいます。NV中心を狙った場所に高い歩留まりで作ること自体が難しく、従来のイオン注入では、打ち込んだ窒素のうち使える量子ビットになるのはごく一部でした。

SAXON Qがこの壁を越えた鍵は、材料技術にありました。窒素を打ち込むときに、硫黄をいっしょに注入するのです。共同創業者でライプツィヒ大学の実験物理学教授でもあるマリウス・グルントマン氏はLive Scienceに対し、硫黄が電子を供給して欠陥を必要な状態に保ち、窒素と空孔が高い歩留まりで結びつくようになる、と説明しています。この硫黄共注入のプロセスを開発したのは、同社CTOで同じくライプツィヒ大学教授のヤン・マイヤー氏。イオンビームをダイヤモンドに打ち込む技術の専門家です。

同社の発表によれば、誤り訂正前の1量子ビット操作の忠実度は99.92%。グルントマン氏は7月22日時点の最新値として99.98%という数字も挙げており、これは超伝導方式の最先端の報告に匹敵する水準だとしています。

ラックに収まることの意味

設置のしやすさは、単なる便利さ以上の意味を持ちます。クラウド経由で遠くの量子コンピュータを使う場合、通信の遅延が避けられません。グルントマン氏は、自動運転やロボティクスのように遅延が許されないエッジ用途では、その場に置ける量子コンピュータが重要になりうると述べています。同社のシステムはネットワーク越しに複数のユーザーが同時に使える構成で、前の世代のマシンはすでにドイツ航空宇宙センター(DLR)とフラウンホーファーIWUで稼働しています。フラウンホーファーIWUでは2025年6月から材料加工やロボティクスの最適化に使われており、設置以来、室温で連続稼働しているとのことです。

数字を読むときの注意点

ここまでの内容には、留意しておきたい点がいくつかあります。

まず、この性能を第三者が検証した査読済み論文は、現時点で見当たりません。技術の仕組みを解説したホワイトペーパーと同社の発表があるだけで、「NV方式で10量子ビット超は世界初」「超伝導方式に匹敵」といった主張は、いずれも同社側の説明です。参考までに、査読を経て公表されているNV中心同士の2量子ビットゲートの最高記録は、2025年5月のPhysical Review X誌の論文による室温96%で、その著者らは20量子ビットを超える拡張の難しさを指摘していました。同社の主張が正しければ大きな前進ですが、独立した検証はこれからです。

次に、128という数字の中身です。SXQ128は8量子ビットのコアを16個並べた構成で、一度にもつれさせられるのは1コア内の8量子ビットまで。128個すべてがひとつの量子状態としてつながるわけではありません。量子ビットの数は方式やアーキテクチャによって意味が変わるため、他社の量子コンピュータと数だけで比べることはできません。また、実用性を大きく左右する2量子ビット操作の忠実度は公表されていません。

そして、512量子ビットのSXQ512は2027年出荷の「予定」、1万量子ビット超は「2030年以降の目標」です。チップ1枚に載る量子ビットの数には限りがあるため、規模を増やすにはコアを大量に並べる必要があり、そこにも技術的な課題が残ります。

それでも、「量子コンピュータは巨大な冷凍機とセット」という前提が絶対ではないこと、そしてダイヤモンドの傷という小さな欠陥がその鍵を握っているらしいことは、覚えておいて損のない話だと思います。検証結果や実際の納品後の評価が出てきたら、また確かめてみたいところです。

出典

Live Scienceの記事:Engineers build world’s first portable diamond-powered quantum computer
SAXON Qのプレスリリース(HPCwire掲載):SAXON Q Brings Room-Temperature Diamond Quantum Computing to Commercial Market
SAXON Q公式サイト:SAXON Q — Room-temperature NV center quantum computing

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