2023年、数学の世界でちょっとした事件がありました。長年の未解決問題だった「アインシュタイン問題」が、プロの数学者ではなく、趣味で図形を探求していたイギリスのデイヴィッド・スミスさんによって解かれたのです。それから3年。今度はこの図形が、東京大学の研究チームの手で、光を操るチップに生まれ変わりました。2026年7月29日付で科学誌Nature Communicationsに掲載された研究です。

1種類の形で埋め尽くす「アインシュタイン問題」
まず、元になった数学の話から。平面をすき間なくタイルで埋めることを考えます。正方形や六角形なら簡単ですが、その場合、模様は必ず同じパターンのくり返しになります。では、模様が絶対にくり返さないように平面を埋め尽くせる形は存在するのか。しかも、たった1種類の形だけで。これが「アインシュタイン問題」です。
名前だけ見ると物理学者のアインシュタインが関係していそうですが、実はまったくの無関係です。ドイツ語で「ein Stein」は「1個の石」という意味で、「1種類のタイル」を表す語呂合わせとしてこの名前が付きました。ここは誤解しやすいところなので、先にお伝えしておきます。
この問題には長い歴史があります。1970年代、物理学者のロジャー・ペンローズは、2種類の形を組み合わせればくり返さない模様が作れることを示しました。有名なペンローズ・タイルです。ただ、「1種類だけ」となると話は別で、その後50年近く、誰も答えを出せませんでした。
それを解いたのが、冒頭のスミスさんです。2023年に発表されたのは、13の角を持つ、少しゆがんだ帽子のような形。「帽子(hat)」というニックネームで呼ばれるこの図形は、1種類だけで平面を埋め尽くせて、しかも模様が永遠にくり返しません。発表当時、数学界の内外で大きな話題になりました。
髪の毛の500分の1の穴、数十万個
この帽子タイルに目を付けたのが、東京大学生産技術研究所の森竹勇斗准教授です。森竹さんの専門はフォトニック結晶。細かい構造を規則的に並べることで光の進み方を制御する材料で、レーザーや光センサーなどに使われています。ふつうのフォトニック結晶は、同じパターンのくり返しでできています。では、そのくり返しを、帽子タイルの「くり返さない模様」に置き換えたら何が起きるのか。海外メディアLive Scienceの取材によると、森竹さんが帽子タイルを知ったのは2024年、一般向けの科学書がきっかけだったそうです。
チームは電子ビームリソグラフィとエッチングという微細加工の技術を使い、窒化ケイ素という素材の薄膜に小さな穴を開けていきました。穴の半径はわずか100ナノメートル。髪の毛のおよそ500分の1の細さです。この穴を数十万個、帽子タイルの模様のとおりに並べました。できあがったチップの大きさは約0.5ミリ。鉛筆の先ほどの面積に、くり返さない模様がぎっしり刻まれています。
このチップにレーザーを当てると、光は散乱して、スクリーンに風車のような渦を巻いた模様を描きました。ちなみに森竹さんが最初にこの模様を撮影したのは、iPhoneの長時間露光モードだったそうです。その模様の中には、ブラッグピークと呼ばれるくっきりした明るい点が並んでいました。レーザーをチップのどこに当てても点の位置が変わらないことから、この構造が「準結晶」としての秩序を持つことが確かめられました。準結晶とは、パターンはくり返さないのに、全体としてはきちんとした秩序を保っている物質のこと。同じ配置が周期的に並ぶふつうの結晶とは区別される、独特な状態です。
誰も狙っていなかった「利き手」の発見
ここまでなら、「珍しい図形で準結晶を作った」という話で終わりです。ところが、この構造は予想外のものを持っていました。
帽子タイルは、左右非対称な形をしています。鏡に映すと元の形と重ならない。右手と左手が、鏡写しの関係なのにどう回しても重ならないのと同じです。この性質はキラリティ(利き手)と呼ばれます。帽子タイルを敷き詰めた構造は、この利き手を全体として受け継いでいました。光の散乱パターンそのものが、鏡写しにすると別物になる非対称な形をしていたのです。
さらに驚きだったのが、光の偏光への応答です。光には円偏光といって、コルク抜きのように右回り・左回りにねじれながら進む状態があります。森竹さんが右回りと左回りの光をそれぞれチップに当てたところ、回る向きによって散乱のしかたにわずかな違いが現れました。従来の準結晶は鏡映対称性を持つため、この種の応答は原理的に出せません。帽子タイルの非対称性があってはじめて生まれた現象です。
森竹さん自身、この効果を最初から狙っていたわけではなく、当初は見つかるとは思っていなかったと述べています。共著者で上級著者の納富雅也氏も、鏡映対称性を持たない構造だからこそ回折パターン自体がキラルになった、これは従来の準結晶材料で観測されてきた光学応答とは根本的に異なる、と説明しています。
製品ではなく、その一歩手前にあるもの
誤解のないように書いておくと、今回の成果は実験室でチップを作り、光の振る舞いを確かめた段階です。何かの製品ができたわけではありませんし、論文自体も、これは基礎物理の研究だと明確にしています。
それでも、この結果には先があります。森竹さんは今後、表面で光を散乱させるだけでなく、チップの内部を進む光をこの模様で制御することを目指しているそうです。うまくいけば、電気の代わりに光で情報を運ぶ・処理する光通信や光コンピューティングといった分野につながる可能性があります。偏光の制御は通信や暗号技術でも重要な性質なので、「くり返さない模様だけが持つ利き手」は、光を扱う新しい道具になるかもしれません。
趣味で図形を探求していた一人の愛好家の発見が、3年後にはナノスケールの光学実験の主役になっている。数学の純粋な好奇心と、ものづくりの技術がつながった瞬間として、印象に残る研究です。
詳しくは東京大学生産技術研究所のプレスリリース(英語)と、Nature Communicationsの論文で読むことができます。


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