未来のパソコンは1973年に完成していた——ゼロックスがAltoを売らなかった本当の理由

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マウスで操作する画面、見たまま印刷できる文書ソフト、ネットワーク越しのメール、そしてレーザープリンタ。いま私たちが当たり前に使っているパソコンの要素を、1973年の時点でほぼ全部そろえていたマシンがあります。ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)が作った「Alto(アルト)」です。

競合他社が同じ水準に追いつくまで、およそ10年。それだけの先行を持ちながら、ゼロックスはAltoを製品として市販しませんでした。作られたのは約10年間で2,000台ほど。なぜ「未来のパソコン」は、未来を独占できなかったのか。米国の技術系メディアHackadayが、この経緯を掘り下げたYouTube動画「Whatever Happened to the Computer of Tomorrow?」(Ctrl+Alt+Failチャンネル)を紹介していたので、その内容を追いかけてみます。

1973年に完成していた「いまのパソコン」

Altoのお披露目で技術者たちが見せたのは、画面で見たとおりに印刷される文書作成ソフト(いわゆるWYSIWYG)、ネットワークでつながった各マシンからの電子メール、そして誰でも使えるオフィスのレーザープリンタでした。いま読むと何の変哲もない光景ですが、1973年当時、これは革命です。

画素の集まりで文字も絵も自由に描くビットマップディスプレイに、マウス、そしてマシン同士をつなぐEthernet。メモリは128KB(最大512KBまで拡張可能)、2.5MBのリムーバブルディスクを備えていました。数字だけ見ればささやかですが、「一人一台の対話的なコンピュータ」という発想を丸ごと形にした最初のマシンでした。

ただし机の上に載っていたのはモニタだけで、本体は机の下に置かれた書類キャビネットほどの箱。コンピュータ歴史博物館(CHM)の資料によると、主任設計者チャールズ・サッカー氏の言として、初号機の製造には1973年当時で12,000ドルかかったそうです。Hackadayの筆者の換算では、消費者物価ベースで2026年の約9万ドル、金に換算すればおよそ96トロイオンス、金塊2.7kg分に相当するとのこと。「金と同じ重さの価値」とまではいかないものの、かなり近い水準です。

値段が理由ではなかった

これだけ高ければ売れなくて当然、と思いたくなりますが、話はそう単純ではありません。製造を重ねれば後継機はもっと安くできたはずで、実際CHMの資料には、製品化した場合の想定価格は4万ドル程度だったという見立ても残っています。高価ではあっても、企業向けなら成立しない値段ではない。現にAltoは社内で広く使われ、大学にも提供され、初期のマーケティングテストとしてホワイトハウスや米下院にまで設置されていました。

売るための準備も、売れるかどうかの手応えも、そろいつつあった。それでもゼロックスは1970年代を通じて、Altoを商品棚に載せませんでした。

「紙のないオフィス」を売れなかった、紙で食っていた会社

動画が示す答えは、技術でも値段でもなく、商売の構造でした。

当時のゼロックスの収益は、複写機本体の売り切りではなく、月々のサービス料、トナー、ドラムといった消耗品と保守から上がっていました。紙をたくさんコピーしてもらえばもらうほど儲かる仕組みです。ところがAltoが指し示す未来は、文書を画面上で作り、画面上でやり取りする世界。よりによって「紙のないオフィス」でした。

コンピュータは売れば一度きり。毎月のサービス料も、トナー代も入ってきません。自社の収益の土台を自分で掘り崩す製品を、わざわざ売りに出す理由がない——という分析です。

さらに事情を悪くしたのが、直前の失敗でした。ゼロックスは同じ頃、大型コンピュータ事業への参入で数百万ドル規模の損失を出したばかりで、以後の経営判断はすべて収益見通しで厳しく吟味されるようになっていました。紙幣を刷るように儲かる複写機と比べれば、Altoは採算の見えない博打にしか見えなかった、というわけです。

Hackadayの記事がこの動画を評価しているのは、まさにこの点です。後知恵で「ゼロックスは愚かだった」と笑うのではなく、当時の取締役会の側から見れば筋の通った判断だったことを、順を追って説明している。実際、パソコンの普及はその後、ゼロックスの紙のビジネスに打撃を与えました。恐れは的中していたのです。的中したからこそ、動かなかった。この皮肉な構図が、Altoの物語のいちばん苦いところだと思います。

アイデアだけが未来に届いた

ゼロックスが座り込んでいる間に、失うべき既存事業を持たない者たちが動きました。よく知られているとおり、AltoはAppleのLisaとMacintoshに大きな影響を与えます。PARCへの訪問と技術の受け渡しの経緯には込み入った事情があり、「Appleが盗んだ」と一言で片づけられる話ではないのですが、Altoで生まれた発想が別の会社の製品として世に出たことは確かです。同時代には、Three Rivers社のPERQ(英国ではICLが販売)のように、市場に出たGUIワークステーションも存在しました。

ゼロックス自身も1981年、Altoの思想を受け継いだ「Star」をようやく発売しますが、時すでに遅く、商業的な成功にはなりませんでした。

そして後日談がもうひとつ。Altoが約束し、ゼロックスが恐れた「紙のないオフィス」は、結局やって来ませんでした。パソコンとプリンタが普及した結果、オフィスの印刷量はむしろ増えていきます。ゼロックスを立ちすくませた未来予想図は、半分だけ正しく、半分は外れていたことになります。

正しい技術を持っていた会社が、その会社の立場では正しい判断として、技術を手放す。この構図は50年前の話でありながら、既存の収益源と新しい技術が正面からぶつかっている現在のAIの状況にも、そのまま重なって見えます。自分の食い扶持を脅かす発明を目の前にしたとき、組織はどう動くのか。Altoの物語は、その問いの最も有名な実例として、いまも参照され続けています。

元記事はHackadayのWhatever Happened To The Computer Of Tomorrow, Anyway? The Xerox Alto Story(2026年8月9日)。紹介されている動画はCtrl+Alt+FailチャンネルのYouTube動画で、Altoの製造原価や台数などの数字はコンピュータ歴史博物館の資料を参照しました。

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