コンピュータの歴史は、ふつうリレー、真空管、トランジスタ、そして集積回路という順番で語られます。ところが1950年代の日本には、このどれでもない部品で動くコンピュータがありました。素子の名前はパラメトロン。1954年、当時東京大学の大学院生だった後藤英一氏が発明した、日本生まれの論理素子です。
この素子を使って東京大学の高橋秀俊研究室が作り上げたのが、PC-1という計算機でした。先に断っておくと、PC-1の「PC」はパーソナルコンピュータの略ではありません。Parametron Computer No.1、つまり「パラメトロン計算機1号」の略です。もちろん個人用でもなく、部屋を占める大型の科学計算用マシンでした。
2026年8月11日、技術系メディアのHackadayがこのパラメトロンを取り上げ、海外の読者に向けて「真空管もリレーもトランジスタもないコンピュータ」として紹介しました。中身を追いかけると、0と1の表し方からして現在のコンピュータとまったく違う、独特の世界が広がっています。
スイッチ素子をめぐる1950年代の事情
デジタルコンピュータを作るには、0と1を保持する部品がどうしても必要です。ふつうはスイッチの一種を使います。電磁石で接点を開け閉めするリレー、電子の流れを制御する真空管、そして半導体のトランジスタ。形は違っても「電気を通すか、遮るか」の二択で0と1を表す点は共通しています。
1950年代前半の日本では、このスイッチの調達が悩みの種でした。主流だった真空管は動作が不安定で寿命が短く、壊れやすい。トランジスタは発明されたばかりで、性能も供給もまだ頼りにならない。安心して使える計算機を作りたい——後藤氏がパラメトロンを生み出した背景には、そういう事情がありました。理化学研究所の紹介記事によれば、試行錯誤の末にたどり着いたのが、スイッチとは根本から違う発想だったのです。
波の位相で表す0と1
パラメトロンの実体は、フェライト(磁性体のセラミック)のコアに銅線を巻いたコイルと、コンデンサを組み合わせた共振回路です。ブランコが決まったリズムで揺れるように、電気回路にも自然に振動しやすい周波数(共振周波数)があります。この回路に、共振周波数のちょうど2倍の周波数で外から揺さぶりをかけると、「パラメータ励振」という現象によって、半分の周波数——つまり元の共振周波数——の振動が湧き上がってきます。
面白いのはここからです。こうして生まれる振動には、安定した状態がちょうど2つあります。波の形は同じで、タイミングだけが半周期、角度でいえば180度ずれている。片方が山のとき、もう片方は谷になっている関係です。この「波の揺れ方のずれ」を位相と呼びます。パラメトロンは、位相0度の振動を0、位相180度の振動を1に割り当てました。
つまり、電気が流れているかいないかではなく、波がどちらのタイミングで揺れているかで情報を持つわけです。スイッチのオン・オフで0と1を表す発想しか知らないと、そんな手があったのかと思わされます。
繋ぐだけで手に入る多数決ゲート
0と1を保持できても、計算するには論理ゲート——複数の入力から答えを出す回路——が要ります。パラメトロンはここでも独特でした。
複数のパラメトロンを、次のパラメトロンに弱く結合させます。次段が励振されるとき、入力から届くわずかな振動が種になり、それが増幅されて本格的な振動に育ちます。このとき、同じ位相の入力どうしは互いに強め合い、逆位相の入力は打ち消し合う。結果として、新しいパラメトロンは入力の多数派が持っていた位相に自然と落ち着きます。3入力なら、2つ以上が一致した側の値が答えになる。つまり、素子を繋いだだけで多数決ゲートができあがるのです。
多数決ゲートが手に入ると、他の論理ゲートはおまけのように付いてきます。3入力のうち1つを常に0に固定すれば、残り2入力のANDゲート(両方1のときだけ1)になり、1に固定すればORゲート(どちらかが1なら1)になります。結合に使う変圧器の極性を逆にすれば、0と1をひっくり返すNOTもできる。後藤氏が1959年に米国の学会誌に発表した論文には、この原理でフリップフロップ(記憶回路)やパリティチェッカーまで組み上げる方法が示されています。
実用上の強みもありました。各パラメトロンは入力を種に自前で振動を育て直すので、信号が段を通るたびに新品同様に再生されます。おかげで1つの出力で10〜20個の入力を駆動でき、信号の劣化に悩まされにくい。部品自体もコイルとコンデンサの組み合わせですから、真空管のように切れることがなく、安価で長寿命でした。
国産パラメトロン計算機の系譜
この素子に、日本中が飛びつきました。意外なことに、最初に完成させたのは発明者の研究室ではありません。世界初のパラメトロン計算機は、1954年7月の最初の発表を聞いた日本電信電話公社の電気通信研究所が開発したMUSASINO-1で、1957年3月に稼働しています(周辺回路などに真空管519本を併用していました)。続いて1957年12月に日立製作所のHIPAC MK-1、1958年には日本電気のNEAC-1101が動き出します。
本家である東京大学高橋研究室のPC-1が完成したのは、それらの後の1958年3月26日でした。パラメトロン4,200個を使い、消費電力は3キロワット。記憶装置は磁気コアメモリ512語で、足し算・引き算に0.4ミリ秒かかりました。1秒間に数千回の足し算、というペースです。現在のパソコンとは比べものになりませんが、当時の東大理学部で使える唯一の電子計算機として学内に開放され、さまざまな科学計算を支えました。
ほかにも、東北大学と日本電気が共同開発したSENAC-1(1958年)、MUSASINO-1の改良機を富士通信機製造(現在の富士通)が商品化したFACOM 201(1960年)など、パラメトロン計算機は次々と作られていきます。高橋研究室のPC-1の後継機PC-2も富士通と共同で開発され、FACOM 202として製品化されました。FACOM 202はトヨタ自動車にも納入されています。戦後日本のコンピュータ産業は、かなりの部分がこの国産素子の上で産声を上げたのです。
トランジスタに敗れた理由
これだけ広まったパラメトロンが、なぜ消えたのか。答えははっきりしていて、速度です。
パラメトロンは振動が育つのを待って動く素子なので、切り替えに時間がかかります。後藤氏自身の1959年の論文によれば、高速型の素子でも上限は6メガヘルツ程度、計算機全体のクロックとなると140キロヘルツあたりが頭打ちでした。一方のトランジスタは、性能向上のペースが圧倒的でした。動作周波数でパラメトロンを追い越しただけでなく、ラジオをはじめ応用範囲が広かったため量産と改良が急速に進み、論理素子専用だったパラメトロンは分が悪くなる一方でした。1960年代には、パラメトロン計算機はトランジスタ機にほぼ置き換えられます。
ただ、コンピュータ以外の場所ではもうひと働きしています。工作機械の数値制御、モールス信号をテレタイプ用の信号に変換する装置、道路を通る車を検知する試作システムなどに使われました。安くて壊れない、という持ち味が活きる場所です。
消えた技術が残したもの
PC-1の実物は現存していません。1964年に運転を終え、そのまま失われました。ただ、開発に関わった和田英一氏の手でPC-1のシミュレータが作られており、当時のプログラムはいまもパソコンの上で動いています。実機を見たい場合は、MUSASINO-1Bが東京・武蔵野のNTT技術史料館に、FACOM 201が東京理科大学の近代科学資料館に保存されています。
そして後藤氏自身は、この原理を捨てませんでした。後年、超伝導回路で同じ発想を実現する「磁束量子パラメトロン」を考案し、量子コンピュータにつながる研究へと進んでいます。波の位相で0と1を表すというアイデア自体は、コンピュータ史の脚注で終わらなかったわけです。
ちなみに、パラメトロンは意外なところにも顔を出しています。マンガ・アニメの「Dr.STONE」に、半導体が手に入らない世界でパラメトロンを使ってコンピュータを作るエピソードがあるのです。文明がゼロから技術をやり直すとしたら、たしかにコイルとコンデンサで組めるこの素子は理にかなった選択かもしれません。トランジスタに敗れて消えた技術が、70年後の物語の中で「もうひとつの道」として蘇っているのは、少し愉快な話です。

出典
この記事は、以下の情報をもとに執筆しました。
Hackadayの紹介記事:PC-1: The 1954 Computer With No Tubes, Relays, Or Transistors(英語・2026年8月11日)
後藤英一氏の原論文:The Parametron, a Digital Computing Element Which Utilizes Parametric Oscillation(PDF・英語・1959年)
情報処理学会コンピュータ博物館:パラメトロン/PC-1 パラメトロン式計算機/MUSASINO-1B
理化学研究所:コンピュータ開発史に輝く後藤英一の挑戦


コメント