チェルノブイリのロボットは次々に壊れた——生き残ったのは空港カートと真空管の1台

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1986年のチェルノブイリ原発事故では、爆発で吹き飛んだ原子炉の中身——高濃度に汚染された黒鉛や燃料の破片——が、建物の屋根の上に散らばりました。線量は場所によって毎時数千レントゲンに達し、人が作業できる時間は1回あたりわずか数十秒。そこでソ連は、人の代わりに瓦礫(がれき)を片付けるロボットを次々に投入しました。

その顛末(てんまつ)を掘り下げた解説動画を、ウクライナの研究チーム「Chornobyl Family」がYouTubeで公開しています。2023年版の動画を大幅に増補した最新版で、海外の技術系メディアHackadayが取り上げました。結論から言うと、投入されたロボットの多くは、まともに働けませんでした。そして最後まで頼りにされた1台の正体が、なかなか意外なのです。

ソ連全土から集められたロボットたち

事故が起きるまで、高放射線の環境で働くロボットは、ほとんど必要とされていませんでした。つまり、既製品がない。そこでソ連全土の研究機関や工場、さらには西ドイツなど西側諸国からも、ありったけの技術がかき集められました。戦車を改造した遠隔操作車両、ブルドーザーの無人化改造、月面探査車の技術を転用した六輪ロボット、西ドイツ製の遠隔マニピュレーター——。Hackadayはこの状況を「地獄のハッカソン」と表現しています。短期間に、その場しのぎで、めまいがするほど多様な機体が生み出されたからです。

ただし、ハッカソンと決定的に違う点がありました。普通の開発なら、試作機はまず試験場で走らせて、問題を潰してから現場に出します。チェルノブイリでは、その手順を踏む余裕がありませんでした。完成した機体は、端から高線量区域へ送り込まれたのです。

相次いだ失敗とその原因

結果は散々でした。動画の解説によると、偵察用ロボットRR-1は放射線量を実際の10倍以上も高く報告し、測定機としての役目を果たせませんでした。後継のRR-2とRR-3は重心が高すぎて、ヘリコプターで屋根に降ろした途端に横倒しになったといいます。初期の瓦礫回収ロボットTR-1Aは、構造が単純すぎて大した仕事ができませんでした。ケーブルで操縦するタイプは、ケーブルが瓦礫に引っかかって身動きが取れなくなる事故が相次ぎました。

Hackadayの記事は、最終的には「人が手で測るほうが速くて安全」という場面すらあった、と伝えています。ロボットのために用意した仕事を、人が肩代わりする逆転現象です。

機械的な故障だけが原因ではありません。ここに、この話の核心につながる伏線があります。1980年代にはすでに半導体、つまりトランジスタやICが電子機器の主役でした。ところが半導体は、強い放射線を浴びると誤作動し、やがて壊れます。放射線が半導体の内部を通り抜けるとき、電気の流れを乱してしまうためです。最新の電子回路を積んだロボットほど、チェルノブイリの屋根の上では急速に「頭」をやられていきました。

生き残った空港カートの改造機

そんな中で、もっとも信頼できる機体のひとつとして働き続けたロボットがありました。「ベロヤーレツ」です。

動画の解説によると、その土台は空港の荷物カート。制御系は半導体ではなく、一世代前の技術である真空管とリレー(電磁石で動く機械式スイッチ)で組まれていました。動力もバッテリーではなく、ガソリンエンジンのような内燃機関です。

当時の感覚では、時代遅れの部品構成に見えたはずです。ところがこの「古さ」こそが、チェルノブイリでは強さになりました。真空管とリレーは、半導体と違って放射線を浴びてもほとんど動じません。内燃機関も、放射線で劣化しやすいバッテリーより長持ちします。つまり、最新の技術ほど先に壊れ、古い技術ほど生き残ったのです。ベロヤーレツの実機はいまも立入制限区域内に保存され、展示されているそうです。

月面車の技術で挑んだ屋根の除染

失敗を重ねながらも、ロボットは世代ごとに改良されていきました。その到達点のひとつが、六輪の輸送ロボットSTR-1です。開発したのはVNIIトランスマッシュという研究機関で、ここはソ連の月面探査車「ルノホート」を作ったチームでした。月面という過酷な環境のために磨いた無人走行の技術が、事故から15年ほどを経て、原発の屋根の上で再び呼び出された形です。

STR-1は無線で操縦でき、ケーブル絡まりの問題から解放されていました。銀亜鉛電池で駆動し、屋根の上の放射性瓦礫をブルドーザーのように押して、開口部から下の容器へ落としていきます。公式データによると、STR-1は約90トンの放射性物質を屋根から除去し、これによって1,000人を超える作業員を高線量区域へ送らずに済んだとされています。

ロボットが担えなかった部分

ただし、この話を「ロボットが現場を救った」で締めるのは正確ではありません。ソ連で除染作業を指揮したユーリ・セミオレンコ氏は、1990年の国際会議で、屋根の除染は結局その大半を人力に頼らざるを得なかったと語っています。ロボットが壊れ、動けず、間に合わなかったぶんは、防護服を着た作業員——リクビダートルと呼ばれる人たち——が数十秒ずつ交代で屋根に上がり、手作業で引き受けました。ロボットの失敗の記録は、そのまま人が背負った負担の記録でもあります。

それでも、この即席の開発競争が残したものは小さくありません。放射線環境で機械に何が起き、どう設計すれば耐えられるのか。実地で得られたこの知見は、その後の災害対応ロボットの土台になりました。Hackadayの記事も、性質の異なる事故ではあるものの、福島第一原発の廃炉作業に通じる教訓があると触れています。溶け落ちた燃料に近づけるのは、いまも人ではなくロボットです。チェルノブイリの屋根の上で得られた「何が壊れて、何が生き残るか」という答えは、40年を経たいまも参照され続けています。

出典

Hackadayの記事:Chernobyl’s Robots, Or The Hackathon From Hell(Hackaday)

元になった解説動画:Chornobyl Family(YouTube)

STR-1の実績について:Cleaning up nuclear waste: a history of robotics development(Power Technology)

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