地中海のマルタ島には、エジプトのギザのピラミッドより古い巨石建造物があります。約5,600年前から建てられはじめた「神殿」と呼ばれる石の構造物で、島全体では二十数か所が約1,500年にわたって建設され続けました。この神殿群の向きが、ある星座と一致している——そんな研究を、米国の宇宙ニュースサイトUniverse Todayが2026年8月、現地取材を交えて紹介しました。
もとになっているのは2022年に発表された論文で、新しい研究ではありません。ただ、中身を読むと「神殿は太陽に向けて建てられた」という長年の定説をひっくり返しかねない内容で、しかも代わりに浮かび上がった星座がなかなか意外なものでした。順を追って紹介します。
ギザより古いマルタの巨石神殿
マルタは、シチリア島の南に浮かぶ小さな島国です。本島マルタと隣のゴゾ島には、新石器時代の巨石神殿がいくつも残っていて、ユネスコの世界遺産に登録されています。ゴゾ島のジュガンティーヤ神殿は約5,600年前(紀元前3600年ごろ)にさかのぼるとされ、ギザのピラミッドより確実に古い建造物です。
神殿を建てた人々は、現在のシチリア島から海を渡ってきたと考えられています。そして紀元前3600年ごろから約1,500年間、島のあちこちに巨石を積み上げた神殿を建て続けました。文字を持たない文化だったため、彼らが何を信じ、なぜ神殿を建てたのかは、残された石と遺物から推し量るしかありません。

陸の見えない海を渡った人々
ここでひとつ、地理の問題があります。シチリアからマルタまでは約97km。当時の舟は帆のない丸木舟だったと考えられていて(帆船の最古の描写は紀元前2千年紀のエジプトまで下ります)、この距離は1日では渡り切れません。つまり途中で必ず夜になります。
マルタ大学の考古学者ルーベン・グリマ氏は、Universe Todayの取材にこう語っています。夜にマルタの近くを通り過ぎても、あるいは航路が30kmずれても、島はまったく見えない——。コンパスもGPSもない時代に、目印のない夜の海をどうやって渡ったのか。星を頼りにした、と考えるのが自然です。
実際に人々が海を行き来していたことは、物証があります。マルタでは、パンテッレリーア島(シチリアの西の火山島)産の黒曜石が見つかっているのです。黒曜石は火山ガラスの一種で、噴火ごとに成分の特徴が異なるため、産地を特定できます。石は海を歩いて渡れませんから、誰かが舟で運んだことになります。
神殿の向きをめぐる長年の議論
では、神殿と星に何の関係があるのか。マルタの神殿が天体に向けて建てられたのではないか、という議論には長い歴史があります。特にムナイドラ神殿は、春分・秋分の朝日が中央通路にまっすぐ差し込むことで知られ、「古代の暦」「天文台」とまで呼ばれてきました。冬至の太陽との一致を指摘する研究も多く、太陽こそが神殿の向きを決めた本命だ、というのが定説に近い見方でした。
ただし、この手の主張には根本的な弱点があります。神殿ひとつだけを見て「この向きは冬至の日の出と一致する」と言っても、偶然かもしれないのです。空には太陽・月・明るい星と候補がたくさんあり、神殿もたくさんあります。数を撃てばどれかは当たります。一致が意味を持つと言えるのは、多数の神殿にまたがる統計的なパターンが示せたときだけです。
3Dシミュレーションによる検証
そこで真正面から検証したのが、英クイーンズ大学ベルファストのロバート・ピーター・バラット氏による2022年の研究です(学術誌Digital Applications in Archaeology and Cultural Heritageに掲載)。バラット氏は保存状態のよい23の神殿を3Dモデル化し、ゲームエンジンのUnity上で、それぞれの神殿の内部から入口越しにどの天体が見えるかを自動計算するプログラムを組みました。
ここで重要なのは、計算に使ったのが「当時の空」だという点です。星の見える位置は、地球の自転軸がゆっくり首を振る歳差運動などの影響で、数千年たつと大きく変わります。この研究では歳差をはじめとする補正を織り込み、紀元前3600年から紀元前2100年までの空を300年刻みで再現しました。そのうえで、太陽(冬至・夏至・春分・秋分)、月、シリウスなどの明るい恒星、プレアデス星団、そして南十字星(みなみじゅうじ座)を候補として、各神殿の向きとの一致を総当たりで調べています。
候補に南十字星が入っているのには理由があります。タルシーン神殿の入口付近で見つかっている穴の並びが、南十字星の形を表しているのではないかと以前から指摘されていたのです。
太陽説の棄却と南十字星の浮上
結果は意外なものでした。まず、本命だったはずの太陽が落ちます。神殿の主軸で冬至や夏至と統計的に有意に一致するものは、ひとつもありませんでした。ムナイドラ南神殿の春分・秋分の一致は確かに精度が高いものの、他の神殿に同じパターンがなく、単独では結論を出せません。月やシリウスも同様に退けられました。
ふるいに残ったのが、南十字星でした。23の神殿のうち9つが、誤差±約2.8度以内で南十字星の方向と一致していたのです。これが偶然に起こる確率を計算すると、0.000228%。統計的には文句なしに有意な数字です。
面白いのは、ジュガンティーヤ神殿の南北2棟の関係です。先に建てられた南神殿は当初南十字星と一致していましたが、歳差運動で星の位置がずれるにつれ、向きが合わなくなっていきます。ところが後から建てられた北神殿は、南神殿から9度向きを変えて建てられていて、その向きがふたたび南十字星を捉えているのです。まるで、ずれた照準を建て直しで合わせ直したかのような配置でした。
ちなみに南十字星は、現在のマルタからは見えません。これも歳差運動のせいで、当時は南の空の低いところに見えていた星座が、いまでは地平線の下に沈んだままになっています。つまりこの一致は、5,000年以上前の空を再現してはじめて浮かび上がるものでした。
夜の航海を導いた星という解釈
では、なぜ南十字星だったのか。バラット氏が有力な解釈として挙げるのが、航海の道しるべです。シチリアからマルタへ南下する舟は、おおむね南十字星に向かって進むことになり、帰りは背中に南十字星を背負う形になります。1日以上かかる航海では夜間の航行が避けられず、方角を教えてくれる星は文字どおり命綱だったはずです。南十字星は現代でも南半球で航法に使われる、見つけやすい星座です。
神殿の入口が南十字星の方角に開いているなら、神殿の内部から入口越しに、ちょうどその星座が見えたことになります。論文では、神殿が航海者に星を教える「教材」の役割を果たした可能性にも触れられています。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの考古学者イザベル・ヴェッラ・グレゴリー氏はUniverse Todayの取材に対し、夜空は彼らの世界そのものの一部だった、と述べています。巨石と土器の民という従来のイメージよりも、はるかに複雑な信念体系を持った人々だった、というのが同氏の見立てです。
解釈上の留意点
ここまで読むときれいな話に見えますが、著者のバラット氏自身が、結論にいくつも慎重な留保を付けています。
まず、統計的に有意であることと、意図して向けたことは別問題です。マルタの出土品には太陽や月を思わせる図像がある一方、南十字星をはっきり表したと言えるものはタルシーンの穴の並びくらいしかなく、この星座が信仰の中心だった形跡は薄いのです。バラット氏は、意図性は現時点の考古資料からは証明できず、議論は推測の域にとどまると明記しています。
さらに論文には、あえて自説を揺さぶる思考実験まで載っています。もし神殿が単に強い風を避ける向き(風下向き)に建てられていたとしたら、向きの候補範囲がぐっと狭まるため、9神殿が偶然南十字星と重なる確率は3.69%まで上がる、というのです。それでも有意水準の5%は下回りますが、0.000228%の圧倒的な数字は「神殿が天体に向けられていた」という前提があってこそ、ということになります。神殿の向きは古い実測図に頼っている部分があり、遺跡自体も崩壊や復元で当初の形が分からなくなっている、という測定上の限界も述べられています。
それでも、シチリアからの渡海という動かしがたい事実と、産地の分かる黒曜石という物証、そして23神殿の統計が、同じ方向を指しているのは確かです。グリマ氏がUniverse Todayに語った言葉が、この話の締めくくりにちょうどいいと思います——過去の人々を過小評価するのは、あまりにも簡単だ。私たちは何度もその間違いをしてきた。
出典
この記事は、以下の情報をもとにまとめました。
Ancient Maltese Seafarers Likely Navigated By The Stars(Universe Today、2026年8月10日、Bruce Dorminey)


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