アルツハイマー病を脳に広げていたのは、記憶のためのタンパク質だった

スポンサーリンク

アルツハイマー病は、脳の一か所でとどまってはくれません。「タウ」という有害なタンパク質が神経細胞を傷めながら、隣へ、また隣へと領域を広げていく。広がるにつれて記憶の障害は重くなり、やがて命に関わります。

ではタウは、どうやって細胞から細胞へ移っているのか。米ユタ大学ヘルスの研究チームが、その乗り物にあたるものをマウスで突き止めました。運んでいたのは、脳の中でごくありふれた、本来は記憶のために働いているタンパク質でした。名前を「Arc(アーク)」といいます。論文は2026年6月29日付で科学誌『Cell』に掲載されています。

タウが広がるという問題

タウ自体は、健康な脳にも病気の脳にも、どの神経細胞にもあるタンパク質です。ふだんは細胞の骨組みを支える役目をしています。ところがアルツハイマー病では、このタウが互いにくっついて大きなもつれ(タングル)になり、細胞の中で固まってしまいます。

今回の論文の筆頭著者で、研究当時はユタ大の大学院生だったミタリ・ティアギ氏は、このもつれを「のりの怪物」と呼んでいます。ベタベタと固まって、神経細胞の中の物流を止めてしまうからです。やっかいなのは、その怪物が小さく砕けること。砕けた小片は「タウシード(種)」と呼ばれ、別の神経細胞へ移ることができます。そして移った先で健康なタウに触れると、それを同じように変質させてしまう。新しい細胞で、また一から病気が始まるわけです。

この「移動」こそが病気の進行そのものなのですが、細胞と細胞のあいだをどうやって渡っているのかは、はっきりしていませんでした。

記憶に関わるタンパク質という乗り物

ここで出てくるのがArcです。Arcは記憶や学習に深く関わるタンパク質で、神経細胞どうしが情報をやりとりするときに使われます。特徴的なのはその運び方で、Arcは自分の体を小さな膜の袋——細胞外小胞(EV)と呼ばれる微小な泡——に包み込み、その泡ごと隣の神経細胞へ渡っていきます。脳の中の宅配便のようなしくみです。

研究チームがアルツハイマー病モデルのマウスの脳を調べたところ、この泡の中に、Arcとベタベタしたタウが一緒に入っているものが見つかりました。タウはArcにくっつくことで、宅配便に便乗していたのです。しかもその泡は、健康な細胞に取り込まれると、そこで新しいタウのもつれを作り始めました。

そこでチームは、Arcを持たないアルツハイマーモデルのマウスを作って比べます。結果ははっきりしていました。Arcのないマウスの脳の泡には、タウがほとんど入っておらず、病気を新しい細胞へ広げる力を失っていました。ティアギ氏の言葉では、タウの移動は「ほぼ消えた」といいます。

運び屋を止めたときに起きたこと

ここまでなら、話は単純に思えます。Arcを止める薬を作れば、病気の進行を食い止められるのではないか——。

ところが同じ実験は、もうひとつの結果も返してきました。Arcのないマウスでは、病んだ神経細胞がより早く死んでいたのです。

理由をたどると、Arcの役割が違って見えてきます。Arcが働いていれば、細胞は増えすぎた有害なタウを泡に詰めて外へ捨てられます。捨てられるぶん、その細胞自身の中にたまるタウは減り、長く生き延びられる。逆にArcを取り上げると、タウは細胞の中に閉じ込められたまま毒性のある濃度までたまってしまいます。つまりArcは、病気を広げる犯人であると同時に、いま傷んでいる細胞にとっては命綱でもあった、ということになります。

だとすると、狙うべき場所は「出口」ではありません。研究チームが有望と見ているのは、タウを積んだ泡が病んだ細胞から出たあと、健康な細胞にたどり着く前に、いわば飛行中に捕まえてしまう方向です。出すことは止めず、届くことだけを止める。シェパード教授は、この特定の泡を狙えるなら治療戦略として非常に有用だろう、と述べています。

ヒトへの当てはめと、まだ分からないこと

チームはヒトの脳組織も調べていて、そこでもArcとタウが一緒に入った泡が見つかっています。人でも同じような形でタウが広がっている可能性を示す手がかりではあります。

ただし、確かめられたのはそこまでです。研究の中心はあくまでマウスで、ヒトで同じことが起きていると確認されたわけではありません。シェパード教授自身、マウスで起きていることが人でも起きている手がかりはあるものの、まだ分かってはいないと述べ、治療法の開発を語れる段階からは遠いと明言しています。

仮にこの方向で薬ができたとしても、できることには限りがあります。すでに失われた神経細胞や、すでに起きた脳の損傷を元に戻すものではありません。あくまで、これ以上広がるのを食い止めるための道具です。早い段階のアルツハイマー病や認知症で進行を止められれば、それ以上の悪化と認知機能の低下を防げるかもしれない——研究チームが期待しているのは、その範囲です。

なお、シェパード教授はArcのカプシド(タンパク質の殻)に関する特許を扱う企業の共同創業者であり、別の企業の顧問も務めています。論文にはこの利益相反が開示されています。

出典

ユタ大学プレスリリース「How a brain messenger protein drives progression of Alzheimer’s disease」:https://attheu.utah.edu/health-medicine/how-a-brain-messenger-protein-drives-progression-of-alzheimers-disease/

論文(Cell, 2026年6月29日):Tyagi M, et al. “Arc mediates intercellular tau transmission via extracellular vesicles.” https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(26)00695-1

コメント

タイトルとURLをコピーしました