カンブリア紀は、いまから約5億3900万年前に始まり、約4億8700万年前まで続いた、およそ5200万年の時代です。古生代の最初の紀であると同時に、地球の歴史を大きく二分する「顕生代(けんせいだい)」——生き物の姿が化石ではっきり見えるようになった時代——の入口にあたります。ひとつ前がエディアカラ紀(原生代の終わり)、ひとつ後がオルドビス紀です。
この時代の名前は「カンブリア爆発」とともに知られています。目を持ち、殻をまとい、泳ぎ、獲物を捕らえる動物たちが、地質学の時間感覚でいえば短い期間に次々と化石に現れる。いま生きている動物の体の基本パターンは、ほぼこの時代までに出そろいます。
ただ、その「始まり」が地層のどこに引かれているのかは、年表を眺めているだけでは見えてきません。
殻と目がそろった海
カンブリア紀の地層をいちばん下から順に見ていくと、最初に増えるのは意外に地味なものです。数ミリにも満たない管、板、棘、円錐——「小さな殻の化石(スモール・シェリー・フォッシル)」とまとめて呼ばれる、正体のはっきりしない硬い破片が大量に出てきます。どの動物の体のどの部分だったのか、いまだに分からないものも少なくありません。
おなじみの三葉虫が現れるのは、そこからさらに後です。最古の三葉虫の化石は約5億2100万年前のもの。カンブリア紀の始まりから、およそ1800万年が経っています。
そこから先の海は、一気ににぎやかになります。中国・雲南省の澄江(チェンジャン)動物群は約5億1800万年前、カナダの有名なバージェス頁岩は約5億800万年前のもので、どちらも殻を持たないやわらかい動物まで丸ごと残っている特別な産地です。そこには節足動物、海綿、腕足動物、脊索動物——私たち脊椎動物につながる系統も含めて、現在およそ40ある動物の門(体のつくりの大分類)のほとんどが顔をそろえています。

この海の主役としてよく描かれるのがアノマロカリスです。頭の前から伸びる一対のとげだらけの付属肢と、輪を描くように並んだ口の板を持つ、全長60センチほどの遊泳動物。特筆すべきは目でした。オーストラリア南部で見つかった仲間の目の化石には、直径3センチほどの面に少なくとも1万6000個のレンズがぎっしり並んでいます。現生のトンボが約2万8000個ですから、5億年前の動物としては驚くほど高い解像度です。
ただし「三葉虫を噛み砕く捕食者」というイメージのほうは、近年になって修正されました。2023年、付属肢と口を3次元で復元して力のかかり方を計算した研究では、硬い殻を割るほどの力は出せなかったという結果が出ています。速く泳いでやわらかい獲物を捕らえる、追跡型のハンターだったとみるほうが自然だ、というのが現在の見方です。
記録に残らなかった前史
「爆発」という言葉は強すぎるところがあります。何もいなかった海に動物が突然湧いたわけではありません。
遺伝子の変化の速度から系統が分かれた時期を推定する分子時計の研究は、以前から、動物の主要な系統がカンブリア紀より前に分岐していたことを示していました。ただし化石が伴わなければ、それは計算上の話にとどまります。長いあいだ、先カンブリア時代の地層からは、そうした動物の体がほとんど見つかっていませんでした。
その状況が動いたのが2026年です。4月2日付のサイエンスに、中国・雲南省で見つかった江川(チアンチュアン)生物群の報告が載りました。雲南大学とオックスフォード大学などの共同研究で、50平方メートルほどの露頭から700点を超える化石が回収されています。年代は約5億5400万年前から5億3900万年前——カンブリア紀が始まる直前、エディアカラ紀の終わりごろです。
ここで効いたのは、化石の残り方の違いでした。エディアカラ紀の化石は普通、砂岩に押しつけられた「型」として残ります。ところが江川のものは、岩の表面に炭素の薄い膜としてへばりついた状態で残っていました。これはバージェス頁岩や澄江といったカンブリア紀の有名産地と同じ残り方で、口や消化管、移動に使った器官といった内部の構造まで見える保存です。

そして、カンブリア紀にしか知られていなかったはずの動物のグループが、そこから出てきました。私たちヒトを含む後口動物(こうこうどうぶつ)の、最も古い仲間とみられる化石も含まれています。共著者のロス・アンダーソン(オックスフォード大学)は、これらの動物が他のエディアカラ紀の産地で見つからないのは、本当にいなかったからではなく、保存のされ方の違いを映している可能性があると述べています。
ここに、地層に線を引く人たちが抱えていた難しさがあります。体の化石が現れる位置で時代の境目を決めようとすると、その線は「動物がいつ出現したか」ではなく「どこでどんな条件がそろったか」に振り回されてしまう。カンブリア紀の基準を決めた委員会は、この問題を正面から引き受けることになりました。
境界の基準に選ばれた巣穴
1992年、カンブリア紀の始まりを示す国際基準の地点が、カナダ東端のニューファンドランド島に定められました。バーリン半島の突端、フォーチュンヘッドという岬の崖です。ここのチャペル・アイランド層に打たれた一点が、カンブリア紀の、古生代の、そして顕生代の始まりを世界共通で示す基準になっています。
基準に選ばれたのは、体の化石ではありませんでした。Treptichnus pedum(トレプティクヌス・ペダム)という生痕化石——生き物が泥の中に残した巣穴の跡です。
この巣穴には特徴があります。堆積物の中を水平に進む主坑道から、斜め上に向かって短い枝が何本も、規則正しく繰り返し伸びている。ジグザグに向きを変えながら、泥の中を系統立てて探っていった跡です。ただ這った跡でも、まっすぐ縦に掘った穴でもなく、堆積物の内部を三次元的に使いこなしている。

国際的な地層境界の基準が生痕化石で定められたのは、カンブリア紀のこの一例だけです。地層の線引きに、体そのものではなく生き物のふるまいの跡を使ったのも、これが初めてでした。
選ばれた理由は実務的なものです。小さな殻の化石も三葉虫も、地域によって現れる順序や時期がずれてしまう。それに対して、生痕化石が現れる順序は世界のあちこちの地層で共通していました。誰が作ったかは分からなくても、行動の記録なら対比できる、という判断です。
その「誰が」については、いまのところエラヒキムシ(鰓曳虫)の仲間だろうとみられています。現生のエラヒキムシに堆積物を与えて掘らせる実験が2010年と2024年に行われ、どちらでも Treptichnus pedum によく似た形の巣穴ができました。海底の泥に潜り、後戻りしては別の方向を探る、その動作の癖まで含めてよく似ているのです。
つまり、顕生代の始まりを告げる合図として選ばれたのは、新しい体つきではなく、新しいふるまいでした。
潜る動物が変えた海底
泥に潜るという行動が、なぜそこまで重く扱われるのか。それは、この行動が海底そのものを作り替えてしまったからです。
それ以前の海底は、いまとはまるで違うものでした。シアノバクテリアなどが作る微生物のマットが広い範囲を覆い、蓋のように水と泥を隔てていました。マットの下の泥は水をあまり含まずに締まっていて、酸素はほとんど届かず、硫化水素を出す細菌の世界になっていた。水と泥の境目は、ナイフで切ったようにくっきりしていたと考えられています。エディアカラ紀の平たい生き物たちは、この安定したマットの上に寝そべるようにして暮らしていました。
動物が縦方向に潜り始めると、この構造が崩れます。マットは破られ、泥はかき混ぜられ、水と酸素が下へ入り込む。海底の上層は、やわらかく水を含んだ、常にかき回されている層に変わりました。硫化水素の世界は下へ追いやられ、表層はもっと多くの生き物が住める場所になります。

この一連の変化は「カンブリア基質革命」、あるいは「農耕革命」と呼ばれています。後者の呼び名は、畑を耕して土をやわらかくし、空気と水を通す作業になぞらえたものです。呼び名が二つあるのは、1990年代から2000年にかけて別々の研究グループが違う角度から同じ変化に行き着いたためで、いまはほぼ同じことを指す言葉として使われています。
この筋書きを裏づける材料は、いまも出続けています。2025年10月、中国科学院南京地質古生物研究所のチェン・チョー(陳哲)とリウ・ヤーロン(劉亜嶸)が、湖北省の石板灘(せきばんたん)生物群から知られている限り最古の三次元的な巣穴システムを報告しました。年代は約5億5000万年前から5億4300万年前、まだエディアカラ紀です。この時代の生痕はほとんどが海底表面をなぞる浅い這い跡なのですが、ここでは泥の内部に立体的に入り込む構造が見つかりました。著者らは、この三次元的な探索の登場が海底の生態を作り替えて微生物マットの安定を崩したとみており、マットに依存していたエディアカラ型の大型生物が姿を消していく時期と重なることを指摘しています。カンブリア爆発に先立ち、それを可能にした変化だ、という位置づけです。
殻や棘や目が意味を持つのも、追う者と逃げる者、掘る者と掘られる者の関係ができてからです。硬い体が先にあって世界が変わったのではなく、世界の作りが変わったから硬い体が効くようになった——「動物の体の設計図が出そろった時代」の裏側では、そういう順序で物事が動いていたことになります。
線引きのゆらぎと、新しい窓
もっとも、フォーチュンヘッドに打たれた線は、決まってから10年と経たないうちに揺らぎはじめました。
2001年、ジェームズ・ゲーリングらが基準地点を精査したところ、基準になっているはずの Treptichnus pedum が、境界の約4メートル下の層からも見つかりました。境界より上にしかないはずの化石が、下にあった。さらにこの生痕は岩相への依存が強く、浅い海の砂や泥の地層にしか出てきません。シベリアや華南のように、条件の違う地層とは対比しづらいという問題も残ります。2014年には正式な見直しが提案され、議論は続いています。
石板灘の報告が示すように、潜るという行動そのものがエディアカラ紀のうちに始まっていたのですから、これは基準の選び方の失敗というより、そもそも「ここから」と言える瞬間があったのかという話に近いのかもしれません。
そして私たちが見ているカンブリア紀の姿は、世界に数十カ所しかない特別な保存の産地——いわば地層に開いた窓——越しのものです。バージェス頁岩型と呼ばれるこの保存が起きた仕組みについては、2012年に硫黄同位体を使った分析があり、堆積物の中で酸化剤が早い段階で枯渇し、微生物による分解が止まったことが原因だと示されました。それを可能にしたのはカンブリア紀の海水の性質そのもので、だからこの種の保存はカンブリア紀の前半から中ごろにほぼ限られます。窓が開いていた時間のほうが、限られていたわけです。
その窓が、まだ新しく開くことがあります。2026年1月、中国科学院の朱茂炎(しゅ・もうえん)らのチームが、湖南省花垣県で見つかった花垣(ホアユエン)生物群をネイチャーに報告しました。約5億1200万年前、外側の陸棚にあたる深い海の記録です。5万点を超える化石を採集し、そのうち8681点を整理した結果、153種・16の門レベルのグループが確認され、59パーセントが新種でした。細胞レベルの組織まで残っているものもあります。

この産地が重要なのは、時期です。カンブリア爆発の途中、約5億1350万年前に「シンスク事件」と呼ばれる絶滅が起きています。浅い海が広く酸素不足に陥ったとみられ、礁を作っていた古杯類(こはいるい・海綿の仲間とみられるグループ)などが壊滅しました。顕生代で最初の大量絶滅にあたりますが、当時は生物の種類そのものが少なかったため、五大絶滅には長く数えられてきませんでした。
ここで、先に挙げた二つの有名な産地の位置を確かめておくと、澄江はこの絶滅より前、バージェス頁岩は後にあたります。カンブリア紀の海として一続きに思い描かれがちな二つの風景のあいだには、絶滅がひとつ挟まっていたわけです。花垣生物群はちょうどそのあいだ、絶滅の直後の海を写しています。深い海の生き物たちが生態系の構造をおおむね保ったまま生き延びていて、深い海が避難場所として働いた可能性がある、というのが著者らの見立てです。
爆発は、一本調子で増え続けたわけではありませんでした。途中で一度大きく削られ、また戻っている。その削られた部分がどれほどのものだったかも、深い海に何が残っていたかも、新しい窓が開くたびに描き直されています。カンブリア紀の始まりに引かれた線がどこに落ち着くのかも、まだ決まっていません。
出典
エディアカラ紀末の江川生物群の報告(サイエンス, 2026年4月2日):オックスフォード大学プレスリリース/論文本体:Li et al., “The dawn of the Phanerozoic: A transitional fauna from the late Ediacaran of Southwest China”(Science, 2026)
エディアカラ紀の三次元的な巣穴と海底生態系の転換:Chen & Liu, “Advent of three-dimensional sediment exploration reveals Ediacaran-Cambrian ecosystem transition”(Science Advances, 2025・無料で全文が読めます)
カンブリア基質革命を提唱した論文:Bottjer, Hagadorn & Dornbos, “The Cambrian Substrate Revolution”(GSA Today, 2000・PDF)
巣穴の作り主をエラヒキムシとみる実験:Vannier et al., “Priapulid worms: Pioneer horizontal burrowers at the Precambrian-Cambrian boundary”(Geology, 2010)/Turk et al., “Priapulid neoichnology, ecosystem engineering, and the Ediacaran–Cambrian transition”(Palaeontology, 2024)
基準地点の下から基準化石が見つかった報告:Gehling et al., “Burrowing below the basal Cambrian GSSP, Fortune Head, Newfoundland”(Geological Magazine, 2001・PDF)/見直しの提案:Landing et al., “Proposed reassessment of the Cambrian GSSP”(Journal of Asian Earth Sciences, 2014・本文は有料)
バージェス頁岩型の保存が起きた仕組み:Gaines et al., “Mechanism for Burgess Shale-type preservation”(PNAS, 2012・無料で全文が読めます)
花垣生物群の報告:Zeng et al., “A Cambrian soft-bodied biota after the first Phanerozoic mass extinction”(Nature, 2026)/中国科学院プレスリリース


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